1-6 護るために
「カレンママはどうだった?」
ムサシはカレンがベッドに運び込まれてから、片時も離れずに看病をしていたので、小次郎はてっきりカレンのベッドでムサシも寝入っているものだと思い込んでいた。
「お熱も下がったみたいなんだよ……」
「そうか……」
ムサシは小次郎のベッドによじ登り、隣に腰掛けると唇を尖らせて黙り込んだ。
「なあ、ムサシ、カレンママ好きか?」
小次郎がムサシに視線を送らずに尋ねると、今迄我慢していた涙がポロリと零れ落ちた。
「カレンママは俺達を一生懸命守ってくれたよな?」
ムサシは俯いたままにコクコクと頷く。
「きっと……カレンママはあんな目に会っても、理由も話さずにニコニコ笑って抱きしめてくれるんだよな?」
小次郎がムサシの顔を覗き込むと、尖らせていた唇を噛み締めながら、ポツリポツリと喋りだした。
「カレンママは、知ってたみたいなんだよ……今日騎士団がお店まで調べに来る事を……だから、ムサシ達をおつかいに行かせたみたいなんだよ……傭兵のおじさん達が昨日の夜に知らせに来てたみたいなんだよ」
ムサシが近所の噂話を聞いた内容をポツリポツリと話し出した。
話を纏めると腕の良い闇医者に、客を取られた治療師が騎士団に泣きつき、特徴から王城で大暴れをした不埒者と断定、城下町の粛清を兼ねた狩り出しが決定され、その情報を聞きつけた傭兵団が事前にカレンに報告、カレンは街の外に小次郎達をおつかいに出して騎士団を突っ撥ねた。
「それで今回の大立回りか……」
「うん……」
小次郎もムサシもこの世界は命が軽いとは感じていたが、身近な人間の命まで軽いとは考えていても、見ないふりを続けて来た。
小次郎に至っては闇医者稼業をやって来て、足の骨折程度で命の恩人などと感謝されて、大袈裟だと苦笑いをしていたが、ここでは骨折や脱臼などで食い詰めてしまうのが普通なのだ。
「カレンママを守りたいな……」
「うん……」
小次郎は意を決した様に立ち上がり、部屋を片付け始める。
「お兄ちゃん?」
目を真っ赤にして泣きそうな小次郎の表情を見て、ムサシも唇を噛み締めながら立ち上がり、店の物置にカレンが揃えてくれた二人の旅装を取りに行く。
カレンとカレンの店を守る為に二人が出来る事をする為に、兄と妹の間には言葉は要らなかった。
夜明けまでまだ早い暗闇の中、カレンの寝室に二人の人影が入り込む。頼り無さげなヒョロリとした人影は、カレンに高位治療魔法を施した後に建物全てを包み込む様な、巨大な治療魔法結界を施した。
小さな人影は穏やかな寝息を立てるカレンの頬に、小鳥の様なキスをした後に大きな布切れを置いた。
二人の人影は声を揃えて小さな声で「行ってきます」と囁いて、部屋の扉を静かに閉めた。
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「へっへっへ……それでよ、アイツと来たらすっかり酔っ払っちまってよ」
「やっぱりアイツは口だけかよ、ふひひひ」
深夜の門番は二人一組で、城門の外にある篝火の前に立っている。
野生動物の立てる物音などに敏感になり易い深夜なので、門番に就く者達は恐怖を誤魔化す為に馬鹿話に興じるのが普通であるが、特にこの二人はウマが合うらしくかれこれ二時間は小声でケラケラと笑い合っていた。
「異常なーし!」
馬鹿話を中断した二人は、硬く閉ざされた丈夫な城門を拳で三回叩く。
「了解!」
城門の内側から返事が返って来る。
「くくくく……それでよ、アイツと一緒に飲みに行った奴の話だとな……」
定時連絡が済んだ途端、またすぐに話を始めた二人の前に、石畳を踏み締める足音が、聞こえて来た。
「巡回か?」
「傭兵団の連中だろ?」
暗闇の中に視線を投じて見ると、二つの人影が月明かりで辛うじて見える。
「子供か?」
門番の一人が不用意に近づくと小さな人影が、自分の身長よりも長柄のハンマーを掲げ、おもちゃの様に薙ぎ払った。
どーーん!
木製の門扉が軋み大太鼓を打ち鳴らした様な音が響き渡り、城門の前から動かなかった門番が目を瞑り小さな悲鳴をあげた。
「ひっ!」
ドチャリと音を立てて城門に沿って落ちて来たのは、不用意に近付いた門番だった。
「ヒール」
いつの間にか篝火に顔を照らされるまでに近付いた小次郎が、血泡を吹いて痙攣している門番に治療魔法をかけた。
「治しちゃうんだ?」
「俺はまだ人殺しになりたくないし、それにほら」
治療魔法をかけられた門番を指差すと、変形した鉄鎧の中で回復させられた門番は、痛みのあまりに地面でのたうち回っている。
「いだいいい、取って、これ取っでえええ!」
放心していた門番の相方が慌てて鎧を外そうとするが、変形した鉄鎧は肉に食い込み留め金も潰れていて思う様に外せない。
「忙しいみたいなので勝手に通りますね」
小次郎が門番ににこやかに挨拶をして前に進み出すと、残された門番が剣を抜き放ち、小次郎達に飛びかかって来た。
「ウェポンブレイク」
小次郎が魔法名を唱えると門番が握りしめていた剣が、みるみるうちに錆釘の様に朽ちて行き、根元からポッキリと折れてしまう。
門番の心も同じ様に折れてしまい、その場でへたり込んだ。
「宜しいですね?」
小次郎がもう一度確認を取ると、門番はコクコクと頷く事しか出来なくなっていた。
二人が三階建ての雑居ビル程もある城門を見上げ、一瞬戸惑うと小次郎が身体強化魔法をムサシにかける。
ムサシはヘビーハンマーを地面に横たえて、城門に手を掛けゆっくりと押し始めると、要所要所を鋼で補強されている巨大な城門がギシギシと悲鳴を上げ始めた。
「ムサシ、これって……」
「え?」
突如岩が転がる様な轟音が響き渡り、侵入者を阻む筈の城門が、城門付近の城壁ごと倒壊した。
へたり込んだ門番が歯の根が合わない口振りで呟いた。
「跳ね上げ式の城門を押し開くなんて……」
城門の内側では騒ぎを聞き付けた衛兵達が、弓を番えたまま凍りついた様に固まっている。
「ム、ムサシ達は外国人だから、こう言う間違いはあるあるなんだよ!」
「襖とクローゼットの違いみたいに言う事か?」
「お兄ちゃんだって気付かなかったんだよ!」
やいのやいのと言い合いをする兄妹の後姿を呆然と見送る衛兵達より射出された弓矢は、一番飛んだものでも二メートル程だった。
「敵襲! 敵襲!」
大きなメガホンの様な物を抱えて大声で叫び、城内の要所に明かりを灯して周りながら不寝番が走る。
「何事か!」
神殿騎士団団長のシュテッケンが、寝起きで不機嫌なのを隠そうともせずに不寝番を呼び止めた。
「城門が破壊され侵入されたとの報告がありました!」
シュテッケンは眦を釣り上げ怒鳴りつけた。
「侵入を許したのか! 門を開けた馬鹿者は誰だ!」
「傭兵団を外周警備に出した後に門は開けておりません! 門扉では無く、門ごと破壊されました!」
シュテッケンは「話にならん!」と悪態をついたのち自室に戻り全身鎧とマントを装備する。
「騎士団を集合させよ! ネズミ狩りだ!」
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その頃ムサシと小次郎は王城神殿のドアを勢い良く蹴破っていた。
「し、召喚者殿!」
神殿の中には数十人の非武装の人間が避難して来ている様で、その中には学術士モームの姿もあった。
「モームさん、良いところでお会いしました。聞きたい事があったんです」
小次郎がモームに向けてニッコリと微笑むと、モームは短い悲鳴を上げた。
「カーズパラライズ」
小次郎が魔法名を唱えるとモーム以外の人間が一斉に床に倒れこむ。
「た、短縮詠唱……」
「モームさん、召喚に必要な装置や機械、若しくは依り代みたいな物がありますよね?」
小次郎に詰め寄られてモームは視線を泳がせる。
「別の召喚者に会いました」
モームとムサシが驚いて目を剥いた。
「ど、ど、ど、どう言う事なのかな? お兄ちゃん! 別のプレイヤーが居るって事なのかな?」
モームよりも動揺するムサシの顔を両手で挟み込み、少しの間黙らせると小次郎は話を続けた。
「召喚の儀式があるなら送還もできますよね? ここで正直に話すか、惚けて王城を破壊されるか選んで下さい。因みに僕ら二人でリンドヴルムを討伐した経験がありますので、十五分も頂ければ王城を更地にする事も可能ですよ」
伝説のドラゴン、リンドヴルムの名前を出されて冷静になったのか、モームは小次郎の矛盾点を突いてきた。
「ははっ、リンドヴルムを討伐なされたと? リンドヴルムは未だに空を我が物顔で飛び回っておりますぞ?」
「リンドヴルムは復活しますよ? 何度でも、知らないんですか?」
「定期メンテの度に復活するよね?」
ムサシと小次郎がニヤニヤとモームを見据える。
「いや、それでも召喚者殿がこちらにいらしてからは、一度もそんな情報は……」
「向こうの世界では毎週の様に倒していたんですよ、ディスインテグレイト!」
小次郎が会話に何気なく混ぜた魔法名は、この世界では伝説とまで言われた最上級魔法の名前だが、神殿の天井ギリギリにふわりと浮かぶ巨大な剣が浮かび上がり、光の粒子を散らせながら空気を振動させる様子から、モームは本物の大魔法だと本能的に悟った。
「伝説の大魔法を短縮詠唱で出せるとは……確かに王城も一瞬で更地になりますな……こちらへどうぞ」
モームは二人を伴い神殿の奥へと移動し始めた。
「こちらが神の宿り木が祀られている場所になります」
モームは頑丈そうな扉を押し開け、吊るされたランプに火を灯すと、部屋全体がうっすらと明るく照らされて、部屋の全容が明らかになって来た。