1-6 おつかい
最近のカレンの店では、早朝からムサシの訓練が日課になっている。
重戦士と言う類い稀な野蛮ジョブの割に、数え切れない程のスキル群を有するムサシだが、スキルの威力やスキルの繋げ方、加減の方法などは全くの素人なので、一からカレンに手解きを受けていた。
「ムサシ! そこは違う! そこはこう!」
カレンの厳しい声が響き渡る。
「えい!」
それに答えるムサシの気合もいつもより厳しく響く。
「ムサシ……あんたは天才だよ!」
「カレンママ!」
空き地でひっしと抱き合う親バカ、ママ馬鹿コンビの熱い抱擁を、横目で見ながら小次郎が魔法詠唱の練習をしている。
数日前の夜襲での反省から、スキルで持っている筈の無詠唱魔法を使いこなそうと思い立ったが、イメージが中々上手くいかずに、地味な反復練習を繰り返しているところだった。
魔法とは物理的な仕組みをまるで無視した様な、魔力と言うフワフワしたモノを利用して、イメージと言うフワフワしたモノで事象を起こす、フワフワした力である。
ある程度物理的な力を学んでいる小次郎には、自分の中での折り合いがつかないのであろう。
基礎魔法である筈のファイヤボール一つとって見ても、「何故打ち出す時に手を突き出す? 相手に悟られるだろ?」とカレンにダメ出しされて、小次郎は固定されたイメージを外す難しさを悟った。
「さて、今朝はここまでしとこうか!」
カレンが手の平を打ち鳴らし、場の空気を変えた。
「今日は二人にお使いを頼みたいんだ。店で使うミントの葉を取って来て欲しいんだけど、畑で採れるミントだと酒に負けちゃうからね、街道沿いの野生のミントを採ってきて欲しいのさ」
店の裏手にある物置小屋から、採取用の背負い籠を持って来て小次郎に渡す。
「結構な量が必要だからね、弁当も用意してあるから夕方位に戻ってきておくれ」
カレンがムサシの頭を撫でながら微笑んだ。
「イッパイ採っちゃうよ! 籠一つじゃ足りないかも知れないんだよ!」
やる気満々のムサシが鼻息も荒く、ガッツポーズをとる。
「ああ、楽しみにしてるよムサシ、イッパイ採っといで」
カレンにモンスターが出るかも知れないと言われ、しまい込んでいたドウェルグ特製の旅装を身に付けて、二人は初めてのお使いに出る。
この世界のミントの葉は地球のと比べてかなり大きく、ムサシの手の平程の大きさがある。
主に酒に漬け込んで香り付けをして楽しんだり、油に漬け込んで貼り薬にしたりと庶民に親しまれた薬草なので、家庭菜園などでよく植えられているが、滋養や魔力の豊富な山で採れたミントは香りも強く、効能も高いと評判で需要も多い。
「お兄ちゃん籠! 籠を持って来て欲しいんだよ!」
朝から張り切りっ放しのムサシが、大人の腕程もある太さのミントの幹を引きずって歩いて来る。
「この分だと思ったよりも早く集まりそうだな、ムサシの大活躍をカレンママに話してあげたら喜ぶぞ」
小次郎はムサシが引きずって来た、長さ十メートルはあるミントの木からナイフで葉だけを切り取り、大きさを揃えて束ねて行く。
小次郎の几帳面さと、ムサシの大雑把さのコンビネーションで、見る見る籠が一杯になり近所のお年寄りの分もついでに採取しようと決めた所で、二人はカレン特製の弁当を開ける事にした。
弁当の中身は顎の力が弱いムサシの為に、オリーブオイルベースのドレッシングを染み込ませて柔らかくした黒パンに、ローストした鶏肉と癖の無い葉野菜を挟んだカレン特製サンドイッチだった。
「ムサシの大好物なんだよ!」
慌てて手を出そうとするムサシを制して、小次郎が目の前に無詠唱で作成したウォーターボールを浮かべる。
「手を洗ってからじゃないと、ミントでお弁当が台無しになっちゃうぞムサシ」
もどかし気に手を洗うムサシを眺めながら、最早日常となった魔法や不思議植物を眺めた小次郎は、元の世界に帰るのと、この世界にとどまる事のどちらがムサシの為になるのかと思いを巡らせた。
元の世界でムサシが流した暗い涙と、カレンの腕の中で流した涙の違いが小次郎の心の中で引っかかり、しばしば考え込むのであった。
しかし数日前に同じ召喚者らしき、侵入者が言い放った言葉も小次郎を悩ませる。
「あなた達のせいで向こうに帰れなくなったのよ」
小次郎達のせいで帰れなくなった。
帰る方法があるけど小次郎達のせいで帰れなくなる、恐らくは召喚場所である神殿に関する機能、若しくはアイテムの使用、あの日召喚場所で集まっていた人達は、小次郎達を見て動揺していた。
先日の侵入者があの場所で召喚されたならば、あそこ迄動揺するだろうか? 彼等は恐らく小次郎達の召喚が最初の試みだったのであろう。
それならば別の場所でも同じ儀式や、術が出来るのではなかろうか? などと思考の海に沈みかけた頃に、ムサシの声が小次郎を引き上げた。
「お兄ちゃん、最後の一個もムサシが食べて良いのかな?」
ウォーターボールを目の前に浮かべて、考え事をしている間に大きな弁当箱に詰まったサンドイッチが、粗方無くなっているのを見て小次郎が愕然とする。
「ムサシ……太るよ」
「太らないよ! ムサシはグラマラスになる予定なんだよ! まったくお兄ちゃんは失礼きわまりないないんだよ!」
残り一切れとなったサンドイッチが寂し気に残された弁当箱を、ムサシが小次郎にグイグイと押し付ける。
小次郎は残った一切れを口に入れ、ハチミツで甘味をつけられた野草茶を水筒から飲むと、辺りに漂うミントの香りと相まって、身体の毒素が抜けて行く様な幸せな気持ちと、カレンの優しい愛情を噛み締めている気分に浸った。
「少し休んでから、もうひと頑張りしたら、ちょっと早いけど戻ろうか?」
無性にカレンに会いたくなった小次郎が、ムサシに予定の繰り上げを提案するとムサシは、一も二もなく賛同する。
どうやらムサシも同じ気分だったらしい。
午後からの仕事を早めに切り上げたのにも関わらず、ミント採取の成果は大きな籠に山盛りと、ムサシの両肩にぶら下げられた数束にも及び、兄妹揃ってカレンの喜ぶ顔を想像しながら街道を歩いていると、マウレツェッペから徒歩三十分位の場所にある小高い丘に差し掛かり、頂上からマウレツェッペの城下町が望める場所に辿り着いた。
「ここまで来たらもうすぐだな」
小次郎がそう呟いた時、ムサシが震える指で町の一角を指差した。
「お兄ちゃん……あそこってお店だよね?」
ムサシの言うお店と言うのは、カレンの店の事だろうと小次郎は、カレンの店が有る辺りを探して見ると煙が立ち上っているのが見えた。
しかしいつもの煮炊きに使う様な白い煙では無く、明らかに燃やしてはいけない物を燃やしている様な、どす黒い煙がもうもうと立ち上っていた。
「火事かもしれない! 急ぐぞムサシ」
小次郎が声をかけるが、その時にはもう二人は走りだしていた