389 取捨選択
あの赤黒い光が一体なんだったのかは分からない。
ただ展開したはず聖域結界が意味をなさず、身体全体が強烈な痛みに徐々に蝕まれていることだけは理解することが出来た。
エクストラルヒールを発動し、教皇様とルミナさんのことを回復しようと思考するが、動くことを脳が拒絶しているかのようで一切動くことが出来ない。
視界も赤黒く染まったまま戻らず、このままだと危険だと判断し、ディスペル、リカバー、浄化波を発動させた。
すると幾分か身体の痛みが引き、視界が薄っすらと戻ってきて愕然とする。
先程まで俺達がいた場所が赤黒いフィールドに覆われており、聖域結界だけでなく聖域鎧まで解除されてしまっていたのだ。
直ぐに聖域鎧を展開しようと思ったが、その前に教皇様とルミナさんの姿を探す。すると教皇様は小さな緑色が混ざった黄金色の球体で守られていた。
それならルミナさんは? そう探してみると後方へと吹き飛ばされてしまっていて、意識もないように見えた。
しかも教皇様からの付与も消えてしまっているようで、髪色なども戻ってしまっていた。
俺は直ぐにエクストラヒール、ディスペル、リカバーを発動したことを確認し、生きていることにほっとしながら聖域鎧をルミナさんと俺に発動して状況を確認する。
というのも回復する猶予がなぜあったのかを疑問を感じたためだ。
しかし邪神は先程までいた場所にはおらず、周囲を見渡してもその姿はどこにもなかったのだ。
「教皇様、大丈夫ですか?」
「ルシエル!? 無事よかったのじゃ! 妾は父様と母様の残してくれた力で何とか守られたようじゃ」
俺は念のためにエクストラヒール、ディスペル、リカバーを発動しながら何が起こったのか尋ねることにした。
「何が起こったのか俺には見えなかったのですが、教皇様は一体何があったのか分かりますか?」
「邪神は抑えていた力を解放しただけじゃ。それだけのはずなのに……」
教皇様は恐怖から震えながら座り込んでしまった。完全に戦意を消失してしまったらしい。
「邪神がどこにいったのか分かりますか?」
すると教皇様は何も言わずに空を指した。
よく見てみれば紫、赤、黒が混ざった魔法陣が出現していた。
もしかすると邪神の力の解放は変身することなのかもしれない。
俺は教皇様へ一度視線を戻し、声をかけようと思ったが、先に後方へと飛んでいったルミナさんの下へ移動する。
「ルミナさん、大丈夫ですか?」
身体を揺すって覚醒を促すと、苦しそうな声が漏れたと同時に目がカッと開き、身体に力が張ったのが分かった。
「ルミナさん、大丈夫ですか?」
俺は気にすることなく、もう一度声をかけるとルミナさんが俺を見てほっと溜息を吐き出し身体を起こした。
「ルシエル君、迷惑をかけた。回復してくれてありがとう」
「いえ、ルミナさんが無事で良かったです」
「そうか。それで邪神がいないようだけど、倒せたわけではないのだろう?」
ルミナさんも倒した手応えを感じなかったのだろう。
「ええ。教皇様の話では空に浮かんでいるあの魔法陣にいるらしいです。たぶん変身でもしているのでしょうね」
「なるほど……そんな絶望的な状況なのにルシエル君は随分と冷静なのだな」
「冷静……とは違いますね。想定していたことが起こってしまっただけです。あのレインスター卿が倒しきれなかった邪神を俺達が本当に倒せるのだろうかと思っていましたから」
「それは……」
ルミナさんも先程の攻撃で邪神を倒せなかったことで、本当に倒せるか不安を抱えてしまったか。
俺は今の状況を客観視したことを口にする。
「ルミナさんが邪神の隙を突いて攻撃を仕掛けてくれたことで、俺と教皇様も全力で攻撃することが出来ました。結果、倒せずに力不足だったことが分かりました」
「そんな……ルシエル君が諦めると言うのか!」
思えば初めて出会った時からルミナさんは俺をずっと信頼してくれていたな。
「ははっ。目標は小さな幸せをたくさん感じながらスローライフを満喫し、穏やかに老衰することだったんですけどね」
「何を?」
ルミナさんは唐突に語り始めた俺を困惑した表情を浮かべながらも聞いてくれる。
「俺にも目標よりも優先して守りたいと想える相手。そして俺の人生を豊かにしてくれた俺を支えてくれた人達を守るために俺も全てを賭す覚悟を決めました」
「ルシエル君?」
この世界に転生してからはずっと努力してきたつもりだ。それでも敵対するのは邪だろうと神なのだ。全てを賭しても報われるとは限らない。
きっとここから逃げ出して、強化された魔族や魔物が闊歩する混沌とした世界で、魔族や魔物を倒し続けることで偽りの英雄になることは出来るだろう。
それでも戦うことを選択したのは、俺を導いてくれた師匠達が格好良くて憧れたからだ。だから皆に恥じぬ俺でありたいのだ。
「ルミナさん、教皇様は先程の攻撃で邪神が倒せなかったことで心が折れてしまっています。師匠とライオネルもあれほどの存在を倒すまでにはかなりの時間を要するはずです。そこでルミナさんに負担を強いることになりますが、お願いがあります」
「聞こう」
「教皇様を守りながら、少しだけ時間を稼いでください。予想ですが、邪神が何か仕掛けてくる気がします」
「ルシエル君が命を賭すのであれば、私も身命を賭してその願い引き受ける」
ルミナさんは本当に勇者みたいだな。さて、俺も準備を始めよう。
俺はルミナさんを教皇様のところへと向かわせ、魔法袋から魔道具だと判明した壺と魔力結晶球、そして聖都の試練の迷宮に入る直前に手に入れたレインスター卿からもしものために探しておくように言われていた錆びた短剣を取り出した。
魔道具の壺の中へ魔力結晶球を入れていき、最後に短剣を挿し込んだ俺は詠唱を開始する。
「【時と空間を司る神よ、運命を司る神よ、邪神の介入によって輪廻は乱れ、安寧は絶望の終焉へと向かう】」
詠唱を開始すると俺を中心として巨大な魔法陣が紡がれていく。
邪神の魔法陣から瘴気の固まりが四つ落下してきたことは察知することが出来た。
「【人々が願うは正しき輪廻、生命を紡ぐ未来への継承】」
詠唱に集中しているが、ルミナさんが教皇様へ怒鳴った声が聞こえた気がした。
「【世界を守護する者の名の元に、迫る絶望へ抗うための救済を願い】」
何とか俺の詠唱を止めようと何か攻撃を仕掛けてきているが、必死に教皇様とルミナさんが戦ってくれていることが分かる。
「【十全たる魔力とこの身に宿る全てを糧とし、神々に講うは時空と因果を捻じ曲げ、この世界を救う英霊レインスター・ガスタードの魂を依り代として我が身へ宿せ 英霊召喚】」
だから俺は俺の全てを賭してこの世界が救われる存在に賭ける。
そして俺は焼かれるような痛みとともに意識を失った。
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