383 手のひらからの脱却
明けましておめでとうございます。
謀略の迷宮で初めて邪神と対峙した時には、ただ圧倒的な絶望を感じるだけだった。
それはたぶん邪神があまりにもかけ離れた存在で、それだけしか感じることが出来なかっただけなのだろう。
まさか強くなったことで逆に邪神の強大な力を感じることになり、身体の震えが止まらなくなるとは思わなかった。
邪神はそのひりつくような魔力を垂れ流し、俺達を視界に収めたまま何やら考える素振りをしている。
こちらは邪神が出現してから陣形を変え、師匠とライオネルが前衛、俺の隣でルミナさんが中衛に、そして教皇様が後衛となった。
そして邪神が思い出したかのように発言しようとした時だった。
「か、神よ……代行者である……この私の怪我を……早く……治し……て」
男が邪神に縋るように助けを求めたのだ。
しかし邪神はまるで汚いものでも見るような視線を男へ向け、男へ黒紫の魔力の塊を放ち、男に着弾すると土埃が巻き上がった。
俺達があれだけ男にトドメを刺すか刺さないかで迷っていた時間が一瞬にして無駄になってしまった。
特別に何か変化があったようには見えないが、これで各地の魔法陣も起動してしまうのだろうか? いや、それよりも俺達がこの邪神を何とかしないと、それこそ全てが無駄になってしまうのだ。
そう考えた時には既に身体の震えは止まっていた。
《強欲な性格だから少しは役に立つかもしれないと余の力を貸してやったが、ここまで無能だったとは……。長らく深淵に封印されていたことで余の神眼も曇っていたようだ。もっと面白い人間なら見つけていたのに……》
邪神は緋色の目が妖しく輝かせてそう告げると、邪神の後ろに瘴気の羽根が生え、その後方に魔法陣が四つ展開された。
「本当は二度と会いたくなかった。前回も告げたとは思うけど、この世界から出て行ってほしい。時間を持て余してしまうのであれば、主神クライヤと戦闘いいじゃないか」
《はっはっは。やはり面白い奴だ。だが、再び深淵に封印されてやるつもりはない。それにあの根暗と遊戯をして楽しいと思うか? 思わないだろう》
やはりこの邪神は話すことが好きなのだろう。既に攻撃できる態勢でありながら、俺との対話に興じている。しかも隙だらけのはずなのに師匠とライオネルが動けずにいる。
「だからといって嫌がらせとは仮にも神がすることなのか? それにレインスター卿がいなくなったこの地で、再び人々を暴力と謀略による恐怖を与えて陥れるだけの面白みのない遊戯の何が面白いのだ」
《はっはっは。青いな。遊戯とは勝つことが前提だからこそ面白いのだ。そして勝つことが分かっているからこそ途中経過を愉しめるのだ。特にそこの二人みたいにアンデッド化したにも関わらず、迷宮で悠久の時を過ごすはずだったことが覆る、そんなイレギュラーだって起こるなんて最高じゃないか』
ああ、どうして超越した存在というのは身勝手なのだろう。俺は平和な暮らしを望み、今度こそ天寿を全うしたいだけだったのに……。
「それならば自分で世界を構築すればいいじゃないか。なぜ自ら手を下してまでこの世界にこだわるのだ」
《ふむ。余とてこの世界にどうしても来たくて来たのではないのだぞ。ただ世界を総べる力を得るために余は呼ばれ、仕方なく応じたに過ぎないのだ》
やはりあの過去は実際に起こったことなのだろう。神なら運命神や治癒神、他にも善なる神々だっているはずなのに……。
「それならば既に契約者はいないのだ。彼方へ帰還すればいい」
《それは無理だな。契約はブランジュ公国が世界を総べるまで力を貸すことだ。それが履行されるまで余は帰りたくても帰れないのだ》
邪神は大げさに悲しむジェスチャーをして手で顔を覆うが、間違いなくそんな契約をした者を笑っているのだろう。
「どうせブランジュ公国が世界を支配しようとしても、最後には邪魔をして振り出しに戻し、悪趣味に嘲笑うつもりなのだろう」
《既にそこまで余を理解してくれているとは……。うむ、契約者ではないが、この世界をくれてやってもいいぞ》
「お断りだ。世界を支配して何が楽しい」
《権力者なら直ぐに飛びつくのだが、欲がないのも考え物だな。しかしそれならば余計に分からぬ。なぜその人数で余と対峙することを選択するのだ?》
邪神は本当に不思議そうだった。俺だって邪神と対峙する未来が訪れるなんて転生した時には考えたこともなかったけど、それでも……。
「正直なところ、こんな役目を負いたくなかった。でもこれまで助けてくれた人達や協力してくれた人達がいた。その人達を守りたいから戦うのはおかしいか?」
《それならば懇願するなり、余に縋るなりした方が余を倒すよりも確率が高いのではないか?》
懇願してこの世界から出て行ってくれるのであれば、土下座ぐらい何度でもしてみせる。
だけど、邪神にはそんな気がさらさらないのだから、それこそ考えるだけ無駄なことだ。
「人の命を盤上の駒としか見ていない邪神に従えと? それならば現世に干渉しないというルールを守ってみせてほしい」
《やれやれ。こうも敵視されるというのも悲しいものだな。そう敵視されると絶望を与えたくなるじゃないか》
その瞬間、さらに邪神から受ける圧力が増したのだが、耐えるだけであれば何の支障もなかった。
そして皆も邪神からの攻撃にしっかりと備えが出来ているようだった。
《ほぅ。この圧力に耐えるか。あれから少しは強くなったらしいな》
「強くならないと守りたいものが守れないことに気づかされたから、強くなるしかなかったんだ」
《それは重畳。それにしても治癒士だったはずだが、今は賢者か。他の仲間も英雄、守護者、精龍巫女、精霊姫か……。それに面白い称号まで持っているじゃないか》
どうやら戦う前に俺達のステータスを鑑定したらしい。まぁそこは仮にも神なのだから不思議ではなかった。
しかしどうやら俺の称号を確認してから、邪神は言葉とは裏腹に警戒レベルを上げたのだろう。
邪神の後ろに出現していた魔法陣から、氷柱ように尖った赤黒い魔力弾が突然放たれたのだ。
たぶん邪神が警戒して攻撃をしてきたのは【世界を守護する者】という大それた称号ではなく、【英霊の弟子】【英霊の友】そして【英霊の加護】の方なのだろうな。
本来であれば教皇様の称号の方がおかしいことになっていそうだけど、レインスター卿の娘なのだからステータスをいじることだって出来るだろう。
それで邪神が俺だけに注目して、教皇様が狙われる確率が下がるのなら本望だ。
聖域結界を念のために発動すると、魔法陣から放たれた魔力弾は一枚目の聖域結界に突き刺さって消えた。
その魔力弾が何度も飛来するものだから聖域結界はボロボロになって消失してしまう。
俺は再び聖域結界を張りながら、邪神に話しかける。
「勝利する結果が分かっていて、それでも警戒するとは気になる称号でもあったのか?」
《白々しい。通りであの時とは違い余裕があるはずだ。貴様らはあの男が残した人類の希望なのだろう? それならば徹底的に潰してやろう》
「そんなに敗北したレインスター卿がトラウマなのか? それならば後悔するといい」
《なんだと》
「俺達が二度目の敗北を与えてみせるからだ!」
この俺の発言が戦闘開始の合図となった。
俺は邪神が出現させている四つの魔法陣に対し、聖域円環を発動して消失させることに成功した。
そうなることが分かっていたかのように師匠とライオネルは邪神へと突っ込んでいくが、俺が聖域結界を張り直した直後から教皇様が詠唱を紡いでいた精霊魔法が完成していたらしく、巨大な光の槍が邪神の頭上に出現したと思えば、瞬きする間もない程の速度で落下したのだった。
たださすが邪神もその精霊魔法を感知していたらしく、頭上へ掌を向けると光の槍を受け止めてしまった。
その瞬間、衝撃波が起こったのだが、同時に師匠が邪神の首へ刃を滑らせ、ライオネルは邪神の胴体へと大剣を振り切っていた。
邪神は斬られることを想定していなかったのか、教皇様が放った光の槍を受け止め切ることなく光の槍に貫かれて爆風が巻き起こった。
《馬鹿な……》
そんな声が聞こえてきたけど、俺はそこへ聖龍剣を放ち、魔法陣詠唱で聖域円環と浄化波を発動しており、浄化波で邪神の姿を消した塵や埃を消してみたのだが、邪神の姿は見えず、あの圧力もすっかりと消えてしまっていた。
これで邪神を倒すことができた……本当にそうだったのならどれほど嬉しいだろう。
「逃げられた! 全員その場で邪神の索敵をお願いします」
全員が必死に探すが、やはり邪神の姿を捉えることはできなかった。
「ルシエル、もしかすると邪神が殺したと思ったあの男もまだ生きているんじゃないか?」
師匠のその言葉に俺は同意するしかなかった。
「そうでしょうね。それにこの空間ですが、やはりおかしいです。だからここから脱出しましょう」
「脱出って言っても戻るってことか?」
「いえ、まずは転移を試みようかと」
「ルシエル、この空間がおかしいとはどういうことじゃ? 魔通玉で連絡はできたのじゃろ?」
「はい。しかしこの空間はどれだけ進もうとあの大穴の中なのです。だから今も俺達は邪神の掌で踊らされているのではないかと推測します」
「それならば直ぐに邪神を追うのじゃ。追跡者の目がきっと邪神まで導いてくれるのじゃ」
「はい。それでは集まってください」
そして俺が転移しようとした時だった。
「危ない!」
ライオネルが俺の背中を守るように大盾を構えて何かを弾き飛ばすと、ルミナさんが勢いよく飛び出して、何かへと剣を突き刺した。
すると先程まで影も形もなく、気配や魔力さえ分からなかった魔族が出現して消えていった。
「ルミナさん、大丈夫ですか?」
「大丈夫だよ。でもさっきの魔族? だけど、魔力のみで構成されているような感じだった」
ルミナさんが困惑するのも無理はないけど、魔力を視られるルミナさんが味方で良かったと安堵しつつ、そんな敵がいきなり襲ってきたのはどうしても腑に落ちなかった。
「もしかするとあの男の仕業かもな」
「ルシエル様の仰られたこの空間から私達を出したくないのかもしれませんね」
師匠とライオネルはあの男の仕業だと思っているらしい。
でもどちらにしてもこの場から脱出した方がいいことも分かった。
「それでは転移しましょう」
《残念だが、それは許可できないな》
邪神の声が頭に響き、身体がビクッと反応してしまったが、やはり逃げていたのか。
「時間稼ぎのつもりか?」
《その通りだ。目覚めたばかりで力が出なくて倒されてしまったからな》
倒されたことは認めても、復活するから勝敗は付かないということなのだろう。
「次期魔王をあっさりと倒されたり、ブランジュ公国の支配も人選を失敗して頓挫したり、遊戯の才能もないみたいだし、さっさと終わりにしてくれませんか?」
《釣れないじゃないか。でも考えてもみよ。人類を絶望へと誘いたい余と、その余に対抗する人類の希望が誰にも知られずに戦うなんて侘しいではないか》
「何をしようというのだ」
《其方達の姿を全ての人類が見えるようにするのよ》
「誰もみたいとは思わないから止めろ」
そんなことをしたら邪神を退けたあと、俺の気が休まることがなくなるじゃないか。
《そんなに嬉しいのか? それならばもっと早くそうするべきだったな。では、余が力を溜めている間、其方達はこの空間で戯れていてくれ》
その言葉が聞こえたと同時に五つの魔法陣が出現し、その魔法陣一つから一体の魔族が出現して消えていった。
「これが前座か? 直ぐに終わりそうだが……」
「あの男もいるようだから、きっと元ブランジュ公国民なのだろう。いかがいたしましょうか」
「それを世界中の者達に見せるというのか……。ルシエル君……」
「ルシエル、どうするのじゃ?」
師匠、ライオネル、ルミナさん、教皇様の順で俺に意見を求めてくるが、俺は既に決断していた。
「茶番は終わらせましょう。やはりこの空間は作られたものであり、ここを脱出するしかありません」
俺はそう告げて、幻想剣を幻想杖に変えて魔力を注ぎ込み、ゆっくりと詠唱を始める。
「【時と空間を司る神よ、神の依り代である時空龍よ、予言通り絶望と混沌が支配しようと邪神が顕現する時が訪れた。運命ではなく、邪神の介入により運命が捻じ曲がらんとする時を引き戻すための審判を仰ぐ】」
詠唱が終わった直後、幻想杖の先端から激しい光が発生すると、光が徐々に大きくなっていく。
そして直径五メートルを越えたところで光の渦となり、時空龍がその光の渦を通ってその姿を現すのだった。
お読みいただきありがとうございます。
本日一月三日は一粒万倍日といい、物事を始めるには最適の日なので、投稿は本日からさせていただくことにしました。
一粒万倍日は月に何度もありますので、その時に新しいことを始めてみるのもいいかもしれません。
さて、今年も誤字脱字が散見してしまうかもしれませんが、これまで通り暖かく応援していただければと思います。そして筆者もその応援に応えられるように頑張ってまいる所存です。
2021年も皆様のご多幸をお祈り申し上げ、新年の挨拶とさせていただきます。