379 世界を総べる使徒
浄化波を発動しても幻影達に何も効果がなかったことから、聖域結界でも足止めすることは難しいだろうと判断し、俺は男が言ったように幻影達を攻撃することで記憶を持ち主へ返還させることにした。
「さぁ大切な記憶を縛る呪縛から解放されたい人から順番にかかってくるといい」
俺は聖域結界の境目近くまで幻影達へと駆け寄り、そう告げながら魔法袋から物体Xを生産する魔道具を取り出し、時空間魔法を用いて幻影達の顔の付近で滞留させたのだった。
そう。ある一定の攻撃が物理攻撃や魔法攻撃ではなく、精神的な攻撃であっても有効なのではないか、と考えての行動だった。
すると浄化波や聖域結界には全く反応することがなかった幻影達の足取りが、急に警戒したように遅くなった。
どうやら試練の迷宮のアンデッド達にも効果があった物体Xは、幻影達にもある程度の効果が望めそうなことが分かった。
それにしても物体Xが液体にまま浮遊し滞留すると瘴気よりも危険なものに見えるから不思議だな。
師匠達も物体Xを飲むのには慣れたはずだけど、物体Xを出したら直ぐに自分達が対峙している相手へと視線を戻したぐらいだし……。
まぁそれでも操られているからだろう、幻影達は空中に滞留した物体Xへと突っ込んできた。
そして幻影達は聖域結界に弾かれることなく、聖域結界の中へと侵入し、俺を攻撃しようとした幻影達が実体化し、物体Xに触れた瞬間だった。
攻撃どころではなくなったのだろう。幻影達がその場で苦しみだすとバタバタと倒れていき、苦しんでいるうちに幻影の身体が粒子化して消えていった。
自分でやっておいてあれだけど、顔に物体X……恐ろしいな。
その様子を後ろから幻影達を操っていた男が唖然とした表情で見ていたが、俺と目が合うと男が纏っていた瘴気が膨れ上がった。
しかし先程までの余裕はなさそうで、ただ威勢を張っているようにしか見えなかった。
俺は今がこちらから仕掛けるタイミングだと判断し、男が信じている邪神から与えられた力を真正面から打ち破ることにした。
幻想剣に魔力を込めて必殺技らしく構え、幻想剣を振り上げる。
「【聖龍よ、瘴気により歪められ穢れてしまった世界を、その清浄なる光で呑み込み、悪しき呪縛から解き放て 聖龍乱撃】」
俺は必殺技らしく、俺は幻想剣を四度振り切ると、一振りごとに幻想剣から聖龍が放たれ、吸血鬼、キングワイト、貴族の青年、そして玉座の男へと飛来していく。
けれど浄化波を弾いた瘴気の障壁が再び出現し、聖龍の行く手を遮ろうとした。
しかし聖龍は浄化波とは違い、その壁に喰らいついた箇所から瘴気の障壁に罅が入っていき、その罅はやがて亀裂となり、砕け散った。
聖龍はそれでも止まることなく吸血鬼、魔物、貴族の青年……の下にある魔法陣へと突っ込んでいき、魔法陣とともに消滅した。
また玉座から離れなかった男は聖龍が襲いかかってくるのが怖かったのか、その場で蹲っていたのだが、玉座の後ろにある鏡から瘴気の結界が発動して聖龍の行く手を阻んだようだ。
あれが邪神の意志で発動した結界なのであれば、あの男を守らないといけない理由が何かがあるのかもしれない。
さて、一先ずまだ蹲ったまま震えているあの男のことは置いておこう。
俺の攻撃によって瘴気の障壁を発動していた魔法陣が消滅、また人質となる可能性があった幻影達もいなくなった。
これで力をわざわざ抑えてまで拮抗させる必要がなくなった各々の戦況に直ぐ変化が訪れた。
まずは師匠とライオネルだが、どちらが吸血鬼を倒すかで揉めながらも、師匠が攻撃役を担い、ライオネルが師匠を庇いながら吸血鬼から流れる血を炎の大剣で燃やしていく。
吸血鬼は高い身体能力を活かし、地を蹴り、天井を蹴り、壁を蹴って高速で動き回り空間を広く使うが、師匠は吸血鬼より高速で動くことができる高い身体能力に加え、戦闘技術も備わっているため負ける要素はない。
この空間が瘴気で覆われていた吸血鬼有利な環境において、師匠とライオネルを倒せなかった時点で結果は見えていた。
吸血鬼は血を失い過ぎたのか、狙いを二人ではなくルミナさんへ定めて滑るように接近しようとした――。
しかしライオネルは吸血鬼が狙いを変えること予想していたらしく、先回りして接近してきた吸血鬼を一刀両断してしまった。
吸血鬼は斬られて直ぐに身体が灰となり、その場で散ってしまった。
俺は戦闘の決着がついたと判断し、吸血鬼が灰となって散った場所へ浄化波を発動してから、今度は教皇様へと視線を向けたのだが、既に決着がつく寸前だった。
先程まで拮抗していたはずの教皇様とキングワイトの魔力のせめぎ合いは、教皇様がかなり優勢となっていただけでなく、キングワイトが手に持っている杖が悲鳴のような高い音を鳴らして壊れだしていたのだ。
さすがにキングワイトもこのままでは負けると判断したのか、教皇様の後ろに魔法陣が展開され、そこから魔物が出現させようとしたのだろう。
しかしキングワイトができることを教皇様ができないはずもなく、魔法陣の中心に落雷が発生し、召喚するための魔法陣が消滅する。
そして何かをキングワイトへ告げたように見えた次の瞬間、キングワイトの頭上から無数の青白い羽根が落ちていき、キングワイトの姿を隠し、羽根が全て落ちるとキングワイトの姿は幻だったかのように消滅していた。
その儚くきれいな魔法は、俺も魔法開発を頑張ろうと思わせてくれるには十分過ぎるものだった。
それにしてもルミナさんが瘴気を纏う青年を倒さないのは知り合いだからで間違いがないようだ。
何度も話しかけているが、瘴気を纏う青年は聞く耳を持たないのか、それともルミナさんの声が届いていないのだろう。
俺は聖域結界から出て玉座の間へと入り、ルミナさんが戦っている中央へと向かう。
師匠とライオネルが周囲を確認しながら俺の警護へと移り、教皇様は男を守るように現れた結界へ視線を固定させたままだ。
「師匠、ライオネルお疲れ様でした」
「よく言うぜ。ほとんどの手柄はお前のものだろうが」
「旋風の言う通りです。あの幻影達も今頃は意識が戻っているかもしれません」
二人ともまだまだ余裕があるし、機嫌も悪くはないな。
あの吸血鬼ぐらいでは奪い合う程ではなかったということだから、何とも頼もしい限りだ。
二人が負ったかすり傷をヒールで治療しながら尋ねる。
「あの結界の先にある鏡の中か、その先に邪神がいるのは間違いないでしょう。ただ気になるのは……」
「あの男か? 戦闘慣れはしていなそうだし、覇気もまるで感じないから典型的な世襲貴族だろう」
「帝国でも悪知恵ばかり働かせる者達の多くが苦労を知らない、もしくは欲望に弱い世襲貴族です」
俺が聞きたかったのは邪神があの男を優遇する話をしたかったんだけど……。
「まぁどんな高尚な志があろうとも、地位や名誉とは違い、子孫へと引き継がせるのは難しいのかもしれませんね。それよりも邪神があの男を……」
「聞きたいことは邪神が力を与えた理由だろ? そんなこと聞かれても邪神でもないし、ブランジュ公国の貴族も詳しくないのだから分かるはずないだろう」
「ルシエル様、聞きたいことは知っている者に問うのが早いかと」
師匠とライオネルの指摘で、どうやら神経質になっていたことを自覚した。
「すみませんでした。不安に駆られていたのか、自分で考えることを放棄したかったのかもしれません」
「ルシエル、どうせこの後に邪神と対峙するんだ。それでもまだ蹲って震えているあの男が気になるか?」
師匠が剣で未だに震えている男を指し示して問い掛け、俺は首を振った。
「いいえ、ありがとうございます」
「いや……ルシエルの不安は俺と戦鬼のせいでもあるからな」
師匠とライオネルの心には未だに前回の邪神戦とのことが大きな傷跡を残っているのだろう。
だから気休めの言葉をかけても意味はないのだが……。
「あの時だって守ってくれたじゃないですか。それに二人以上の戦力を俺は知りません」
「それは分かっているんだが、な……。それよりもルシエル、さっさとあの女聖騎士を助けてやれよ」
ルミナさんは苦戦をしている様子はないし、助けを求める素振りも見せない。
それでも確かに俺ならできることがあるかもしれないな。
「もし新たな魔族が出現した場合、そちらの対応はお任せを」
「さぁ行って来い」
「はい」
俺の前に立っていた師匠とライオネルの間を通り抜け、ルミナさんと瘴気を纏う青年へと近づいていく。
瘴気を纏った貴族服を着た青年は騎士のような剣を振っているが、やはりルミナさんの実力には遠く及ばない。
ルミナさんが攻撃しない理由は何となく……説得しようとする声が聞こえてくるので分かるのだが、気になるのはこの青年がルミナさんだけを狙い続けていることだ。
それは俺が二人に近づいても変わらなかった。 ルミナさんに執着するのには何か理由があるのだろう。
するとルミナさんは俺が近づいてきたのを見て安堵の表情をみせた。
「ルミナさん、彼とは知り合いみたいですが……」
「ルシエル君……この方は姉上と結婚された現メインリッヒ伯爵なのだ」
顔見知りなのは分かっていたけど、まさかルミナさんのお義兄さんだったとは……。
これでルミナさんが攻撃せず、手助けも頼まなかった理由が分かったな。
俺はもう一度青年の状態を診てから、青年が瘴気を纏っていることは間違いないが、魔族化まではしていないことを確認した。
これなら元に戻すことも可能だと判断し、聖属性魔法を行使しようとしたところで、強い違和感を覚えた。
その違和感とは、吸血鬼とキングワイトは明らかな戦力だったはずだが、この青年だけは瘴気を纏っていても戦力とは言い難かったことだ。
もちろんルミナさんの顔見知りでもあるし、救いたい気持ちはあるのだが……。
そんな迷いを抱いた俺を嘲笑うかのように、ここで放っておいた男の瘴気が膨れ上がると、青年が男の近くまで跳んで後退すると、男の瘴気をその身に受けて苦しみ出した。
「まさか、こいつが一番役に立つとは人生とは分からないものだ、お前もそうだろ? フランシスク家の娘」
「戯言を! 昔から勇者の末裔だからと権力の笠を着て、悪逆非道な振る舞いをしていただけでは飽き足らず、まさか己の欲を満たすためだけに邪神へ魂まで売り渡すとは……」
そうなるとあれが転生者の末裔であり、ナディアとリディアの婚約者だった男か……。
カミヤと聞いていたから少しは日本人らしい風貌をしていると思っていたが、全く掠るような印象がなく、こちらの世界に暮らしている一般の人族と大差はないな。
しかしブランジュ公国がこうなっていることも含め、二人が逃げたのは正しい選択だったのだろう……。
それにしてもさっきまで怯えていた男が立ち直ったのは、俺が青年を攻撃しなかったからだろうか? もしくは青年が何か切り札なのかもしれない。
「くっくっく。勇者の末裔? ああ、確かに我がカミヤ家は召喚された勇者の末裔でもあるな。だが、本当にそれだけでブランジュの権力を意のままに操っていたとでも思っていたのか?」
どうやら勇者の末裔ではあるものの、ブランジュ公国には隠された機密があるのだろう。
「何? それはどういうことか」
そのことについてルミナさんは間髪入れずに問うた。
「そもそも我が一族の家名がカミヤになったのは、神を召喚するためにこの地へと降ろした際、大地が割れ、そこに谷が出来たことに起因するのだ」
「まさか!?」
「そう。貴様らが邪神と呼ぶ神こそ我らの先祖が呼び出した神であり、この私こそがこの地を総べるべき神の代行者なのだ」
さすがに邪神をこの地に召喚したのがこの男の先祖だったという衝撃は驚きを隠せず、教皇様からは威圧を通りこした何かまで感じる。
しかし男の語る言葉に少し気になることがあったのだが、男への対応はルミナさんに任せておき、今はその男の瘴気をその身に受け、身体に変化が表れ始めた青年の状態に注視しておく。
「それならば勇者の末裔ではなく、最初から神の代行者でも代弁者とでも名乗っていれば」
「それができるのであれば最初からしておったわ! あの忌々しいレインスターが我が神を封印したことで、我が一族が凋落を余儀なくされることとなったのだ」
やはり転生者のブラッドが邪神を呼び出したことと、この男の計画は繋がっていたんだな。
「己の欲望のためにこんなことを……。それならば何故メインリッヒ卿がここにいるのだ」
「この私に意見をしたからだ。そんな奴には自分が否定したことを実行させ、自責の念に駆られて心を壊してやるのが効率的だろ?」
「それだけで人としての意識を奪ったのか」
「そんなことはしていないさ。ただ現実ではなく、夢の中で国を守るために必死で戦っているのだから本望だろ?」
「許せない……」
「くっくっく、滑稽だったぞ。人質を取るまでもなく、自らこの城へと自ら赴き、この私に人道を説きに来たのだから。あの時は笑いが止まらなかったぞ」
邪神がこの世に戻ってきたことで、男はブランジュ公国を支配することになったのか。
ただこの男が……ブランジュ公国の動きが活発になったきっかけはきっと……。
「それではメインリッヒ卿以外の者達は……」
「まだ生きてはいるぞ……いや、既に生贄として神の力の一部になった頃かもしれんな」
男は瘴気の結界が聖龍を弾いたことで自分が優位だと感じたのか、見下すような笑みを浮かべるようになり、口も軽くなった。
しかし男の口振りから、俺が魔法陣を結界で覆ったことは知らないみたいだな。
「外道が! ならばせめてメインリッヒ卿だけでも」
「おっと、動くんじゃないぞ。そもそもこいつが抵抗もなくこうなったと思うのか?」
ルミナさんの魔力が高まり、白銀に輝き出したが、男の言葉が気になり動くことができなかった。
「まさか、人質を……」
「そうだ。ああ、ブランジュ公国だけの話ではないぞ。世界中に人質がいるのだ。今頃は各地で魔族や魔物が大量に出現しているだろうし、俺の一存で爆発させることが出来る兵器を持った死兵達が各地に散っているのだ」
男の言葉でやはり外で起こっていることを把握していないのだと悟った。
魔法陣は特殊な聖域結界で覆っているし、各地で何か変化があれば連絡がくることになっている。
それに男の切り札は教皇様が対応したことで既に解決している。
ルミナさんも男の言葉を聞いて冷静さを取り戻したのか、さらに質問を重ねていく。
「それだけか? あの次期魔王を名乗った魔族や、ネルダールを襲ってきた魔族は違うのか?」
「はっ、精霊石を用いた強力な兵器よりも魔族のことを訊ねてくるとは、無知であるということはある意味で幸せなことなのだな」
まるで馬鹿を相手にするのは疲れるみたいな素振りをする。
「まさか……あれだけの強い魔族だ。使役することができず、単独で行動されてしまい動きを把握することができていないのか……」
ルミナさんは独り言のように呟き、男を挑発した。
「黙れ、フランシスク家の厄介者め! 魔族どもは神を完全復活させるために……まさか!? 起きろ、メインリッヒ卿、我が城に侵入してきた賊を蹴散らすのだ」
男はルミナさんの挑発にのり、青年……メインリッヒ卿を命令するが、動く気配はない。
「ここまで悪逆非道な行いをしてきたツケが回ったようだな」
「おい、メインリッ……ヒ!?」
あ、気づかれたか。
男がルミナさんとのやり取りをしている時空間魔法のタイムリバースを発動していたため、魔力は相当消費したものの、瘴気によって生じたメインリッヒ卿の身体の変化は既に戻っている。
「別に邪神を崇拝するのは個人の自由だが、私利私欲のために世界を滅ぼすことに加担した罪は重い」
俺は幻想剣に聖属性の魔力を込め、邪神が張ったと思われる瘴気の結界へ斬り込むと、激しい電撃のようなものが結界から放たれた。
しかし俺はそこで退くことはせず、魔力をさらに込めると小さな穴が空き始める。
すると後方から黄金に輝いた矢が飛来し、その小さな穴を通って男の頬を掠りながら邪神がいると思われる大きな鏡へと突き刺ささると、玉座の間を禍々しい赤黒い光が染めた。
お読みいただきありがとうございます。
何度か書き直して説明回に……精進いたします。
それと騎士の表記が続いていましたが、貴族服を着た青年が正しい表現です。