370 世界を救った代償、そして最強の系譜
ご無沙汰しております。
教皇様と世界樹から出てきた精霊のような存在は暫くの間、お互いを慈しむように抱き合っていた。
ちなみに精霊達は俺達が現れてからもまるで気がついている様子がなく、全く微動だにせず、未だに世界樹へと魔力を供給している。
それだけ世界樹への魔力供給には集中力が必要なのだろう。
ただこういう時に限って邪魔が入ることもありそうなので、二人の再会? の邪魔が入らないよう、俺は世界樹を地中に伸びている根までしっかりと覆うように意識して強固な聖域結界を発動すると、その時に初めて世界樹の精霊と目が合った。
視線から何か特別な感じがすることはなかったけど、ただ俺を通して何かを見ているような気がした。
もしかするとレインスター卿……と、そこまで考えたけど、妄想が先行してしまっていると頭を振り、とりあえず俺は世界樹の精霊に会釈してみた。
すると世界樹の精霊は静かに微笑み、教皇様の耳元で一言二言何かを告げると、教皇様が名残惜しそうに世界樹の精霊から離れ、世界樹の精霊は軽く浮かび上がると世界樹へ吸い込まれていく――その時だった。
世界樹が視界を奪う程の強烈な光を放ち、あまりにも眩しくて視界を手で覆った。
そして光が徐々に収まったところで異常がないことを確認すると、いつの間にか教皇様の手前に見慣れぬ杖が浮遊していた。
教皇様はその杖を警戒することなく手に取ると、静かに詠唱を始めた。
「【この星に住まう数多の精霊よ 絶望に落ち行かんとす世界を救うため 古の盟約に従い妾の枷を解き放ち 聖なる者達を支援する力を解放せよ サンクチュアリ リベレーション】」
詠唱が終わった直後、教皇様が光り輝き、その光が形を変えていき、光が収まった時には教皇様の姿がガラっと変わっていた……とは言っても、一気に大人化した時のように外見が変化したのではない。
先程までは聖シュルール教会のローブを纏った姿だったのに、光が収まってみれば青みがかった白銀のドレスアーマーを身に纏っていたのだ。
少し丈の長いスリットの入ったスカートから見えるグリーブと、肘まである少し長い籠手には何処かで見た紋様が刻まれている。
教皇様は自分の姿を確かめてから俺達へと振り返った。
「待たせたのじゃ。これで邪神との戦いに挑めるのじゃ」
泣いた直後で少し目が赤くなっていてどこか恥ずかし気な様子ではあるものの、自信が漲ってさらに神秘性が増した感じがする。
ルミナさんとリディアは教皇様から発せられるそのオーラを感じたのか、自然と跪いてしまっていた。
「それが教皇様の最強装備なんですね。よくお似合いです」
「率直に言われるのは照れるのぅ……。だが、本来であればこの姿を見せる機会が永遠になければ良かったと思っておる」
教皇様は明るく取り繕っているが、杖を持った手が震えていた。
無粋であるとは思ったが、時間もなく必要なことだと割り切り、先程の精霊について訊ねることにした。
「別の機会であれば良かったと俺も思います。教皇様、お聞きしたいことがあります。先程の世界樹の精霊のことですが……」
「妾の母様じゃ」
「やはりそうでしたか。でも一体なぜ教皇様の母君が世界樹の精霊となられたのでしょう?」
本来ハイエルフは世界樹の守り人としての役割を担い、エルフはそのハイエルフを支える役割を担うと教えてもらったことがあったが……。
「母様のこと……。ルシエルはルナから聞いたことがあると思うが、父様は邪神を消滅させると同時に邪神の目論見で瘴気に蝕まれてしまった世界樹を切り倒すしかなかったのじゃ」
ルナ……精霊女王のラフィルーナのことか。ただ邪神ごと消滅させたと思っていたので、レインスター卿が自らの意思で切り落としていたことに少しだけ驚いた。
「その件についてはスケールが違い過ぎるので、尾ひれがついた神話として認識しています」
「確かにそうかもしれないのじゃ。ただ邪神を完全消滅させるために世界樹を切り落としたのは事実なのじゃ。その結果、暫くは何事もなかったように思えたのじゃが、世界樹が瘴気を吸収しなくなってしまったことで、徐々に大地が荒れ始め、世界中の至るところで瘴気が発生し、魔物が強化してしまい、その数も膨れ上がっていったのじゃ」
教皇様はレインスター卿のことを思い出したからなのか懐かしむように微笑んだが、世界樹を切り倒してから、それ以降の顛末を語る声はずっと震えていた。
「だから主神クライヤはそれを食い止めるために精霊女王であるラフィルーナに世界樹の役割を課したと?」
「それしか方法がなかったと聞いておる」
教皇様は後ろを振り返り、ラフィルーナに申し訳なさそうな視線を送った。
でも俺にはレインスター卿がその決定に納得し、従ったとはどうしても思えなかった。
「レインスター卿でもその後の対策を何も思いつかなかったのですか? 俺にはあのレインスター卿がただ手をこまねいているなんて思えないのですが?」
確かレインスター卿は邪神を退けてから暗黒大陸を封印する結界を張ったはず。
でも主神クライヤが精霊女王であるラフィルーナを許さなかったのは、瘴気が増えてしまう根本的な問題が解決しなかったからなのかもしれないと推測できた。
「ルシエルが考えている通りじゃ。父様はルナを解放するべく、ありとあらゆることを考えては実行していったのじゃ。暗黒大陸の封印も行動の一つなのじゃ」
「それでも主神クライヤを説得するだけの材料にならなかったのですね」
許されているのであれば、精霊女王が世界樹の迷宮にいたことの辻褄が合わないからな。
「……それは少しだけ違うのじゃ。そこは父様も一応は人族であったということじゃな。邪神は父様が本気になると直ぐに消滅しかけたのじゃ。ただ瘴気に蝕まれた世界樹が邪神に力を供給してしまい何度でも復活してしまうことが分かり、世界樹を切り倒したのじゃ。でも世界樹を切り倒したことで父様は代償を負っていたのじゃ」
……教皇様の言葉を理解するのに少しだけ時間を要した。
そして俺が世界樹の迷宮を踏破した後で【世界を守護する者】という称号を得たことを思い出し、あることが頭を過(よぎ)って寒気がした。
「その代償とは何だったのですか?」
「体力と魔力、そして記憶まで徐々に失われていくという最悪な代償だったのじゃ」
世界を守るために戦ったのなら本当に最悪な役回りだ。でもそれが大切な人達を守るためで、結果的に世界を救ったのだとしたら後悔はしないかもな。
ただそれでも……。
「最悪な代償ですね。でもレインスター卿はその代償を負った状態でも暗黒大陸を封印するだけの力があったということですね?」
「父様は世界最強だったからのぅ。ただ記憶力は人族の中では優れていたとはいえ、人族の範疇を超えていなかったのじゃ」
「まさか!? だから……」
世界を救った者に対して、あまりにも酷い仕打ちにしか思えなかった。
それと同時に主神クライヤが語っていた『レインスター卿が特殊空間を固定したから寿命が縮んだ』と言うのは、レインスター卿が記憶を残す手段の一つだったのだろう。
ただどうしてもレインスター卿の置かれてしまった状況を想うと理不尽でやるせなくなる。
「父様は記憶を失うと分かってもまた新しい記憶を作っていけばいいといつも笑っていたのじゃ」
教皇様の言葉通り、あのレインスター卿なら本心がどうであれ、そう立ち振る舞うだろうな。ただ周りの人達がそれで納得するとは思えないけど。
「レインスター卿らしいですね」
「うむ。そんな父様だから主神クライヤも邪神を退けた神殺しとして現人神に任命し寿命を伸ばしたのじゃろうな。そして次代の世界樹の苗を託したのじゃ」
「なるほど……。主神クライヤも出来るだけのことはしていたのですね」
主神クライヤがレインスター卿に世界樹の苗を託したのは、レインスター卿の記憶の喪失を止められると判断してのことだろう。
そう考えたところで再度教皇様の顔が曇った。
「父様が世界樹を育てることが出来れば良かったのじゃが、そうはうまくはいかなかったのじゃ」
「それはレインスター卿が世界樹を切り倒していたからですか?」
「そうじゃ。ただ父様は世界樹が自分を拒否することが分かっていたのか、まずは世界樹をどうすれば枯らさずに育てられるのか、そのことを研究するためこの空間を作り、世界樹周辺の土や植物を運び込んで同じような環境を作ったのじゃ」
たぶん回復魔法や植物を育てる魔法、精霊にも協力をしてもらったはずだし、だからこそ世界樹を育てられたんだろうな。
ただここからのことを教皇様に訊ねるのが少し怖いと感じた。
「それでうまく世界樹の苗は定着したのですか?」
「うむ。しかし父様の代償が無くなることも軽くなることも無かったのじゃ」
「……レインスター卿はそれでもしょうがないと別の方法を探したのでは?」
過去の話ではあるけど、そうであって欲しいと思った。
「確かにそうじゃ。ただ父様の失われていく記憶が古い過去のことからだと分かってしまったのじゃ。だから母様は主神クライヤと交渉し、ハイエルフの秘術を発動することで世界樹の精霊になったのじゃ」
「その時レインスター卿は?」
誰かを犠牲にするなんてことを了承する人じゃない。
「ハイエルフの中でも母様だけが使えた眠り魔法に父様が初めてかかって一週間も眠らされてしまったのじゃ」
「レインスター卿でも魔法の効果を受けることがあるんですね」
「代償で耐性も睡眠耐性が下がっておったのだろうな。そうでなくても連日徹夜しておったからのぅ」
「あの……命と引き換えにしてまでレインスター卿の記憶を守りたかったのですか?」
レインスター卿の周囲も実力が規格外だったのは何となく分かる。
でもレインスター卿の記憶が失われるのを何故そこまで……。
「新しい記憶からだったら違ったじゃろうがな。でも母様はリーザリア義母様の記憶を父様が忘れることだけは避けたかったのじゃ」
「レインスター卿の奥様の記憶……」
「その結果、父様が受けていた代償は最初からなかったことになったのじゃ。それからの父様はルナの解放と母様を元に戻すための研究、そして主神クライヤへの恨みを晴らすため、次元を切り裂いて攻撃することが日課になったのじゃった」
次元を裂くとか……よく神敵に認定されなかったな。
「規格外ではありますけど、レインスター卿ですからね。それでよく収まったと思います」
「うむ。それでもこの場まで来れば妾や父様には世界樹の精霊となった母様を見て、話して、触ることが出来たからこそ、それだけで済んだ話じゃな」
それだけで済んだ……まさにそうだと思う。
「ところで精霊女王の解放は?」
「母様が世界樹の精霊となっても世界樹がある程度の期間は成長させねばならんかったのじゃ。そして一度世界樹が大地に根を張れば、世界樹が力を取り戻すまで母様と会えなくなってしまうことが分かったのじゃ」
「もしかして精霊女王が封印されていることが分かり、教皇様も世界樹の精霊に会いに来なかったのですか?」
「そう決意をしたのじゃが、どうしても寂しくなった時に……」
余計なことを訊ねてしまったと後悔した。
「……なるほど。教皇様、色々と話していただき、ありがとうございました」
「うむ。では元凶である邪神退治に参るのじゃ。ルミナとリディアも早う立つのじゃ」
「はっ(はい)」
ルミナさんとリディアの顔色は悪くないけど、緊張で顔が強張っているように見えた。
「教皇様、精霊女王達はこのままこの場で待機するのですか?」
「うむ。世界樹を守ってもらうためにルナ達にはここにいてもらうが、それと同時に精霊達も世界樹の近くにいた方が強力な力を行使できるからのぅ」
「魔物がこの空間に出現しても、ですか?」
すると教皇様はリディアを見て口を開く。
「リディアが精霊達の力をその身に宿して戦えば問題ないじゃろ」
「えっ」
そんな驚いたリディアの様子を見て教皇様は笑う。
「何を驚いているのじゃ。精霊の皆は世界樹に魔力供給しておるが、これだけ近くにいるのじゃ。リディアが望む力を精霊に貸してもらえばいいのじゃ」
「でもそうすると精霊様達のバランスが崩れてしまうのでは?」
「世界が滅びる程の力を行使する訳ではないから大丈夫じゃ。そもそも精霊魔法は自身のイメージを具現化するものじゃ。魔物だけにその力を行使することも可能なのじゃ。もちろん精霊達の力を借りるのだからその威力は折り紙付きなのじゃ」
さすがレインスター卿の愛娘。教える内容も一緒か。
「イメージの具現化……」
「もしそれでも対処することが出来ないのであれば、ルナ達が解決するから安心するのじゃ」
「そうなのですか?」
「うむ。それにこの空間に残っている魔物は全て殲滅しておくから安心するのじゃ」
「ありがとうございます。それなら安心して精霊様達と世界樹を守ることに全力を注ぎます」
リディアの不安は取り除かれたみたいだな。でも世界樹を精霊達が守ることになった場合、たぶん代償が必要になることを伏せた気がした。
だから俺も出来るだけのことをしておこうと思い口を挟む。
「教皇様、世界樹を守るために各地の街や村に設置した魔道具ですが、まだ余りがあります。世界樹を守るために設置してもいいでしょうか?」
「ルシエル、心配しなくても良いのじゃ。もしもこのネルダールが邪神に落とされたとしても、ただそれだけのことじゃ」
教皇様は何か奥の手があるのか、機嫌良さそうに笑った。
それならそれを信じるとして、俺が出来ることは……。
「リディア、ここは任せるよ。念のためにこれを渡しておくよ」
「魔法袋ですか?」
「ああ。この中に魔力結晶球と効力の高いポーション、それと万が一に備えた替えの武器も入っている。もしネルダールが落ちることになった場合、ネルダールの住民を助けるために使用してほしい」
ネルダールの観光は結局することが出来ていないけど、住民がいることは間違いないからな。
「承知しました。教皇様やルシエル様が心配されることがないように全力を尽くします」
「うむ。リディア、この場を任せるのじゃ」
「はい」
「あの教皇様、私も残った方がいいのではないでしょうか?」
リディアが了承したところで控えていたルミナさんが不安そうな顔で口を開いた。
しかし教皇様はそれを即座に否定する。
「ルミナは妾の護衛であろう。それにブランジュ公国では、もしかするとルシエル以上に活躍してもらうかもしれんのじゃ」
「申し訳ありませんでした。私は私の使命を全うさせていただきます」
「うむ」
教皇様のかけた言葉でルミナさんはすっかり自信を取り戻したみたいだな。だけどルミナさんの活躍する機会はおそらく……。
「ルシエル、考え事ばかりするのはいいが、そろそろブランジュ公国へ行かねば不味かろう」
「申し訳ありません。ただこの空間から転移するのは……」
「分かっておるのじゃ。そもそもこの空間とネルダールに出現している魔物だけは全て消滅させてから転移するつもりじゃ」
「承知しました」
「さてリディアよ、よく見ておくのじゃ。【数多の精霊達よ 妾の魔力の下へ集い糧とし 邪悪な存在と穢れを取り払う世界樹を救う光となれ ホーリーメテオ】」
教皇様の詠唱に思わず空を見上げるが何も見えない。まさか不発? そう思った瞬間、空間が揺れた。
「さて、この空間にいた魔物と瘴気を含んだ魔法陣は消滅したのじゃ。これが範囲指定なのじゃ。魔法名に引っ張られることなく、イメージだけで良いのじゃ」
「は、はい。ご教授ありがとうございました」
リディアは慌てて礼を述べたが、参考にはならないだろうな。レインスター卿の系譜はやはり規格外だったな。
これなら邪神との戦いが少しは楽になるかもしれないと少し心が軽くなった。
こうして俺、教皇様、ルミナさんでブランジュ公国を目指して動き出すのだった。
お読みいただきありがとうございます。
少しずつでも更新して完結させるので、もう暫くお待ちいただければ幸いです。