231 身体と心のバランス
薄っすらと外が明るくなり始めた頃に、ドンガハハへの聴取が終わった。
黙秘することなく、全ての問いに答えた彼を教会の地下牢へ移送しようとすると、ケティとケフィンが居たので、ドンガハハの移送を任せることにした。
「私が貴方を、教会を裏切ったことを後悔する、そんな日が訪れることを祈っていますよ」
最後にドンガハハはそう言って、飛行艇を下りて行くのだった。
「貴方が後悔しようとしまいと、どうでもいい。今はただ、目的を完遂させるのみに全力を注ぐさ」
自分自身にそう言い聞かせながら、戻ってきたリフトに乗り、俺も大訓練場へと下りることにした。
大訓練場では既に師匠が剣の素振りを始めていた。
「師匠、おはよう御座います。早いですね」
「おう、ルシエル。これぐらいの時間帯から身体を動かせば、頭も冴えてくるからな」
「まぁ確かに……一戦お願い出来ますか?」
「ああ、一戦と言わずに何戦でも付き合うぞ」
「ありがとう御座います。少しだけ身体を解すんで待っていてください」
「何かあったのか?」
「じっとしていると不安にしかならないので、身体を動かすことにしただけですよ」
「……そうか」
「はい」
何か言いたげな師匠だったが、結局何も言わず、ただ模擬戦に付き合ってくれた。
皆が下りてきても、ケティとケフィンが地下牢から帰ってきても、騎士団が早朝訓練に来ても、模擬戦は続く。
雷龍の力を使った時は負けてしまったが、使わない今はかなり善戦していた。
きっと攻防の合間に龍の力を使えば、今なら勝てる気はする。
だけど心の中のモヤモヤは、そんなことではなくならない気がした。
それを察したのか、それとも我慢出来なくなったのか、ライオネルも途中から参加し始めた。
二人を相手にすることが決まったところで、魔法を解禁すると、そこからは容赦ない攻撃が飛んでくるようになる。
全神経を二人へ集中させながら戦うことにより、頭が空っぽになっていく。すると徐々に心の靄が晴れていく、そんな気がした。
数え切れないぐらい地面に転がされ、両手で足りるぐらい二人を地面に転がした。
昔から考えれば俺も少しは進歩しているらしい。
それを少しだけ嬉しいと感じる自分がいることに気がつき始めた。
この二人を相手にすることで、未来の俺をまた新しく作っていく。
そんな感覚があった。
ライオネルの大剣を避け、懐に切り込んだところで、師匠がライオネルの薄皮ごと切ろうと剣を振り下ろす。
俺は身体を回転させ、師匠の剣を横から蹴り飛ばした。
そこを今度はライオネルの大盾が迫っており、吹き飛ばされてしまった。
地面に転がされた身体を起こし、再び剣を構えようとした時だった。
いきなり大きな影が現れ振り向くと、ゴーレムが出現していた。
直ぐに術者であるポーラを見ると、お腹を擦りながら告げる。
「お腹空いた」
その声で太陽の位置を確認すると、既に模擬戦を開始してから数時間経過していることが分かった。
「あ~、悪い。じゃあ皆で朝食に行きましょうか」
するとゴーレムは土へと還り、師匠達も仕方ないと武器を鞘へ戻すのだった。
大訓練場から移動しようとすると、騎士団の面々がこちらを見ていることが分かったので、念の為に謝っておくことにする。
「大訓練場で訓練させていただきました。皆さんのお邪魔となってしまい申し訳ありませんでした」
しかし騎士団の騎士達は戸惑いの顔を浮かべるだけで、何も発しようとはしなかったので、そのまま俺達は食堂へと向かうのだった。
まさかこのことがきっかけで、俺の印象が騎士達の中で大きく変わるとは思ってもいなかった。
信頼関係というのは大事だと思う。
そして食堂にいる教皇様の元侍女達と俺の間に信頼関係はない。
だから毒が盛られている可能性も考えてしまい、皆の食事にはリカバーとピュリフィケイションを使った。
即効性のある毒だったら、助けられるかどうか分からないからだ。
「ルシエル、神経質になりすぎるなよ」
師匠の目に、俺の行動がどう映ったのかは分からないけど、師匠は食事の間、その一言しか発することはなかった。
ただその一言で、少し自分の気が楽になったことは間違いなかった。
食堂を出てからは、皆と分かれて一人で教皇様の下へと向かうことした。
誰に襲われることもないまま、すんなりと教皇様の部屋へ訪れることが出来た。
そして入室した俺を待っていたのは、凜とした佇まいの教皇様だった。
「おはよう御座います、教皇様」
「おはようなのじゃ、ルシエル」
「何処か昨日までと少し様子が違う気がしますが、何かあったのですか?」
「うむ。フォレノワールにしゃんとするように言われたのじゃ。妾がいつまでも過去をウジウジ考えていると、ルシエルが折角切り開いた未来も潰すことになるとな」
フォレノワールを見れば、馬体は元の黒毛に戻っていた。
「フォレノワールは元に戻ってしまったようですが?」
『問題ないわ。この姿でいるのは精霊だとバレないようにするためだから』
「どういうこと?」
『あの姿でいれば消えたりすることも出来るけど、魔力の消耗も激しいし、直ぐに精霊結晶に戻ることになるわ。それだと相棒とは呼べないでしょ? だから旅をするならこの姿が一番なのよ』
「ということは?」
「ルシエルについて行くそうじゃ」
『よろしくね』
「ああ。今後ともよろしく。ちなみにフォレノワールは翼竜が飛び回るところを怖がらずに飛べたりするか?」
『馬鹿にしているの? 翼竜程度、相手にならないわ』
この強気な発言なら期待出来そうだな。
「期待している」
『任せなさい』
どうやら大体の相互理解は、喋れない時でもちゃんと出来ていたようだ。
俺は意識を教皇様に向けて、本題に入る。
「日が昇る前にドンガハハが意識を取り戻し、聴取をしました。その結果を踏まえた上で私は帝国へ向かいます。教会のことは教皇様にお任せします」
「やれるだけやってみるじゃ。もうドンガハハのような者を出してはならないのじゃ」
「そうですね。そういえば教皇様、この聖都を覆っていた結界は魔道具で作り出していたんでしたか?」
「うむ、その通りじゃ。無くなってしまったがな」
「それは廃棄したということですか? それともまだ残骸はありますか?」
「機能がしていないだけで、あるにはある」
「もしそれと同じ、もしくは類似したものが作れたら、教会では買い取ってもらえますか?」
「どういうことじゃ? 直るとでもいうのか?」
「まだ分かりません。ですが、それを直してみたいと思っている技術者はいます。もちろん報酬は魔道具が完成してからで構いません」
「分かったのじゃ。ついて参れ」
教皇様はそう言うと、ネルダールへ転移した部屋とは逆の扉を開いていくと、そこには金色の鐘があった。
「これは持ち運び出来ないですね」
「うむ。魔法袋に入れて持ち帰り、いつかそれが再び聖都へ戻してくれることを楽しみに待っているぞ」
教皇様はそう言って鐘を触ると、玉座へと戻っていくのだった。
「ここまでのものは想像していなかったぞ」
溜息を吐いて鐘を回収し、元の位置へと戻ったところで、エスティアを任せたい意向を伝えることにした。
「教皇様、最後にエスティアのことですが、本来なら連れて行きたかったのですが、ここを空にするわけにもいかないので、帝国との戦いが終わるまでお願いしてもいいでしょうか?」
「エスティアなら、ずっと大歓迎なのじゃ」
「エスティア、ここを任せてもいいだろうか?」
「……分かりま……したとは言わない」
雰囲気が変わった?
「ルシエル、帝国へ行くならエスティアも連れて行ってくれ」
どうやら闇の精霊に意識の主導権を握ったようだった。
「なっ!? 帝国からやっとの思い出逃げ出したんじゃなかったのか!?」
「そうだ。だからこそエスティアに、帝国で受けた心の傷を、きっちり帝国で癒す機会が欲しいのだ」
そこには何処か狂気のような感情が見え隠れしていた。
「ルシエル、教会のことは心配しなくても、妾とローザがいるから大丈夫じゃぞ」
教皇様そのことに気がついているようだったが、送り出すことを決めたようだった。
あまり連れて行くのは得策ではないけど、戦える人は一人でも多いほうがいいのもまた事実。
俺は闇の精霊の提案を受けることにした。
「分かった。エスティアがそれを望むなら連れて行くよ。ただ本当に命を危険に晒すことになる。危ないときは守ってあげてくれ、闇の精霊よ」
「我はエスティアを傷つけるものに容赦はしない。出来る限るエスティアと頑張るつもりだ」
「勝手なことをしたら、フォレノワールに叱ってもらうからな」
「……善処す……ルシエル様、よろしくお願いします」
どうやら戻ったらしい。
しかし戻ったエスティアは先程とは違い、闇の精霊とは別の決意した目をしているように思えた。
「それでは帝国を無事に脱出したら、魔通玉で一度連絡を取らせてもらいます」
「うむ。この聖都だけは妾が何としても死守してみせる。だから頼むぞ、ルシエル」
「はっ」
片膝を突けて頭を下げるのだった。
「フォレノワール、それじゃあ隠者の厩舎に入ってくれるか?」
『いやよ。精霊結晶に戻るから、必要な時に呼んでほしいわ』
「……分かったよ」
きっと自分が精霊結晶から出たいときは出られるんだろうなぁ。
そんな予感はしていたが、好きにさせることにした。
こうして俺は教皇様とローザさんに一礼し、エスティアと一緒に教皇様の部屋から退出し、大訓練場へ向かうのだった。
「ルシエル様、もし帝国を無事に切り抜けることが出来たら、その時は一緒にメラトニへ行ってくれませんか?」
トラウマの克服か。
闇の精霊がどういう感情を好むのかは分からないけど、弱体化する気もする。
だけど、それを二人が望んでいるのなら、付き合うことにしよう。
「メラトニだけでいいのか?」
「はい、メラトニだけでいいです」
「分かった」
それからはエスティアが教会で過ごして感じた三ヶ月間の内容を聞いて、大訓練場への入り口まで来ると、怒号と剣戟が聞こえてきた。
「戦闘? まさか」
魔族化したものはもういないと思っていた。
でももしかすると、魔族化した執行部がまだ居たのかもしれない。
俺は急いで大訓練場の扉を開くと、そこには何故か昨日と同じく騎士達が積み上げられていた。
「……これは一体?」
「ルシエル様のお師匠様はレベル一になってしまった方ですよね? 何で騎士達が負けているんですか?」
「ああ。師匠とライオネルは人じゃなくて修羅だから人の常識が通用しないと、俺は思いこむことにした」
「それは酷くないですか」
そう言いながら、口許に手をやり、エスティアは笑っていた。
俺は溜息を吐きながら、皆の治療をしていくことになるのだった。
お読みいただきありがとう御座います。