230 不安と整理
大訓練場へと向かう途中、俺はガルバさんに話し掛けることが出来なかった。
当時出会った時のような、柔らかな空気感を出しているカトリーヌさんが、ガルバさんに延々と語りかけていたからだ。
きっとあれを邪魔したら、大変なことになると、俺の本能が告げていた。
諦めてナディアとリディアに話しかけようとしたが、こちらはこちらで祖国である公国ブランジュが心配なのか、重苦しい雰囲気だったので、今は放っておくことにした。
歩きながら、世界がもっと単純だといいのに……と、そんなことを考えながら、今日一日で起こったことを、自分の中で消化していくことにする。
ドンガハハの遺書の内容が全て事実であれば、色々不安なことが出てくる。
まず帝国に於ける不安要素だけど、魔石を埋め込まれて魔族化した者達がどれくらいいるのかが分からないことだ。
出来ることなら殺さすことなく正気に戻ってほしい。しかしその数が十や二十ならまだしも、百を超えるとなると俺の魔力量の問題があるから簡単じゃない。
次に帝国へ乗り込んで、魔族化を封印した後のことを考えなければいけない。
仮に皇帝がこの件に関わっているのなら、戦争に行くようなものだ。
そうなったら、皇帝を討つことになる。
その後のことは、内情に詳しいライオネルとどうするかを話しておかないといけないな。
出来れば魔族化を独断で進めたクラウドとかいう輩を止めるだけで済むことを願いたいが……。
ブランジュに関しても王族だけが絡んでいるのか、それとも俺達を監視していたカミヤ伯爵も関係しているのか、行ってみないと判断出来ないのが辛い。
それに世界を統べる力を手にしていながら、何故その力を使ってイエニスへ攻めこまないのか、そのことも気になっている。
考えれば考えるほど、不安になることしかない。
以前なら帝国や公国が魔族化に着手したと聞いても、きっと何処か対岸の火事のように感じ、傍観していただけだっただろう。
しかし聖シュルール協和国内でも、村をまるごと魔族化させるような儀式が行われていた。
そう考えると、これ以上放っておけば、知らぬ間に世界中に魔族が溢れ、危機的状況に陥ってしまう可能性が高くなる。
全てを投げ出すのは簡単だろう。
しかしそうすれば、遠くない未来で俺は後悔することが分かっている。
「ままならないものだ」
俺は小さく呟くのだった。
大訓練場まで来ると、カトリーヌさんは飛行艇を見上げてから、一人で自室へと帰っていった。
ガルバさんは師匠と話し始めたので、俺は飛行艇で割り振られた自分の部屋へと移動するのだった。
ベッドで横になりながら、明日にでも教皇様やフォレノワールに対して聞くことを思案する。
まずはドンガハハが精霊結晶を何故持っていたのかだ。
教皇様は加護が無ければ精霊結晶に触れることすら出来ないと言っていた。
それが本当ならドンガハハが加護持ちだということになる。
そう考えるとドンガハハは未だに多くの謎を残していることになる。
そして帝国といえばエスティアのことをどうするかだ。
闇の精霊が力を行使して何とか脱出したなら、帝国の闇を知っている可能性がある。
そしてフォレノワールがいるから、闇の精霊も力の行使が出来るはずだ。
元々はネルダールに人数制限があったことや、精神が安定しなかったことで連れては行かなかったが、彼女もまた従者だったのだ。
しかしだ。彼女は帝国に行くとまた情緒不安定になる可能性があるし、死地へと一緒に来てもらうよりは、教皇様と一緒にいることの方が彼女には良いだろう。
彼女や教皇様が危うくなれば、闇の精霊がきっと対処してくれるはずだ。
何にせよ、帝国ではライオネルに頑張ってもらうことなる。
俺は誰も死なないように、この局面を乗り切ることを決意してから、眠りに就いた。
眠りに就いてからどれぐらいの時間がたっただろうか?
急に寒気がして目を開くと、そこにはドンガハハが立っていた。
「?! うぉ」
そういえば隠者の棺は、意識を取り戻したら外へと出られる仕組みになっていたな。
「そんなに驚くことはないであろう」
ドンガハハは落ち着き払っていた。
しかし、普通は吃驚するから。
俺は心で叫びながら、冷静に対処する。
「明かりも点けないで、いきなり寝ている横に居たら驚くわ」
……冷静に対処出来なかった。
敵対していた相手だったこともあり、ある意味トレットさんより怖さを感じたのだ。
「どうやらあの場では死に損ねたようだな」
身体を確かめる素振りを見せながら、そう話しかけてきた。
「そんな簡単に死んでもらっては困る」
「残念だが、私は近いうちに死ぬだろう。魔族の召喚は魂の契約になるから逃げることは最早出来ないのです」
魂の契約、誓約とはまた違う次元の話なのだろうか?
「……契約を結んだ魔族がいなくなったから、平気なのでは?」
「魂の契約は身体に出なく、魂に刻まれるから解除するのは無理なのです」
「そのことが分かっていたのなら、いくら身体弱っていたからといっても、何故魔族化や魔族召喚をしたんですか?」
「……遺書を読まれたか。遺書を読んだのなら分かっていると思うが、先がないと分かっていたからなのだよ。それに教皇様なら私を消滅させ、それを糧にしてくれると思ったのだよ」
なんと身勝手な、それをするなら教皇様に何故責任の要求をしなかったのか、疑問しか残らない。
しかしそれを言ったところで、彼にはもうそれは無意味になるし、それは俺の自己満足だ。
それよりも質問をしたいことが山のようにある。
「普通はここで押し問答を続けるのでしょうが、貴方には聞きたいことがあったんですよ」
「答えられる範囲で答えよう」
ドンガハハは軽く頷くと、近くにあったイスに腰を下ろした。
最初に聞くことは決まっていた。
「机の引き出しに入っていた、あの精霊結晶はどうやって手に入れたんですか?」
「精霊結晶? あの宝玉は精霊結晶というのか」
「知らないで持っていたのですか?」
「ああ。あの部屋は元々父の部屋だったのだ。それを私が譲り受けたのだよ」
なるほど。だとすると、大訓練場で戦っていた時に言っていた首飾りはあれのことだろう。
ただそれだと封印を施したのもドンガハハの父になってしまうが、当時のことはドンガハハも覚えていないだろう。
ただ教皇様の信頼が厚かったのは間違いないだろう。
これに関しても、直接教皇様に聞くことにするか。
それにしても正直教会のことは分からないことが多い。
だけど二世代で執行部なんて、優秀だからだとしか考えられない。
さらに組織のトップになったってことは、それだけ教会に貢献してきたことが分かる。
それだけに今回の短慮で引き起こしてしまった件が残念に思えるのだ。
俺は頭を振って、新しく質問する。
「これからさらに質問をしていきますが、答えられないことは黙秘してくれて構わないません」
「こちらは既にいつ尽きてもおかしくないのだ。全てに答えさせてもらおう」
やはり潔い。
「まず帝国へ行けと言っていたが、勝算があるとでも?」
「魔族化を解ける賢者ルシエルとその従者達なら、いや御主等でない限りはきっと、帝国の中枢に辿り着くまでに捕縛されてしまうだろう」
「そうか。それなら帝国で知っている情報を全て話してください」
ドンガハハは頷くと、話し始めた。
「まずルシエル様が知りたいと思っている情報を先に話しましょう」
「全てにおいて知りたいと思っている。もったいつけずに教えてくれるとありがたい」
「そうですね、では、帝国内に広まっている戦鬼将軍の噂について話しましょう」
「ライオネルの?」
「はい。戦鬼将軍はルーブルク王国との戦いにおいて、支配した街で住民が将軍を毒殺を試みたとされています。将軍はその影響で死の淵を彷徨い、記憶が曖昧になってしまったと言われています」
「それでも前線に出ているんだろう?」
「いえ、それ以降はあまり帝国からは出ずに、帝都の守りに重きを置いていると言われています」
ライオネルが聞いたらどう思うだろうか? 武人の固まりみたいな男が戦場から逃げるなんて、潔く死ねとでも言いそうだな。
「ライオネルが戦鬼将軍だったことを、貴方は知っていますよね?」
「もちろんです。帝国内でもそのような噂が流れましたが、皇帝の命で噂をした者の首を刎ねることで、噂を強制的に沈めたようですよ」
圧政を強いているってことは、皇帝も知っている可能性が高いということだ。
「ちなみにこの二年で、ルーブルクとの国境線に変化は?」
「今はやや帝国が押されているようです。やはり戦鬼将軍がいないことで、両軍の士気に影響を及ぼしているのでしょう」
負けているからこそ出せない情報ということもありそうだけど……。
「皇帝もライオネルの件は絡んでいると思いますか?」
「それは一概にそうとは言い切れない部分があります。何せ帝国でも魔族が出たと騒ぎになることがありましたから」
「それもこれもブランジュか」
「……それは帝国の独断、そんな気もします。その偽戦鬼将軍が、なにやら色々画策しているようですから」
転生者なら少しは大人しくしてくれないのだろうか? 魔族化なんてことを研究するなら、無双したり、ハーレム目指したりする方が健全だろ。
しかしここで一つ不安が出来た。
ライオネルのレベルが落ちてしまったこともあるし、その偽ライオネルとの一騎打ちも考えていたんだけど……これは一気に片をつけないといけない気がしてきた。
一番早いのは帝都の王城に飛行艇から降下することだけど、果たしてそんなに簡単に行くだろうか? 向こうには空を守る翼竜部隊が待ち構えているし、もっと作戦を練らないといけないな。
溜息を吐き出すと、ふと思い出したことがあった。
「そうだ。ブランジュはどうやって、グランドルで俺が魔族を倒したことを知ったんだ?」
「冒険者のフリをしていたところに、賢者ルシエル達がやって来たと聞きました。ちなみにこれはカミヤ卿が主導しているらしいですが、事実確認は取れていません」
これだけの情報を得るのは凄いが、果たして教会執行部だけの情報なのだろうか?
「その情報も執行部で集めたものか?」
「いえ、ブランジュの使者です」
その話をしているってことは、裏もキッチリ取れているんだろうけど、俺は少しドンガハハが信じられないとも思っていた。
だからその使者の特徴を聞いておくことにした。
「そうか。しかしその接触してきた人物は、何故そこまでペラペラと?」
「賢者ルシエルに恨みを抱いていましたよ。自分の妹達を誑かしたと」
予想していなかった言葉が返ってきて、混乱する。
妹……達、達といった時点で、ナディアとリディアしかいない。
「……妹達? もしかしてナディアとリディアの?」
「ええ。ルシエル様の従者をしている二人の兄ですな。あまり謀には向いていないらしく、直ぐに感情的になるので、情報を得るのには楽な相手でした」
ドンガハハは面白がるでもなく、淡々とそう述べ、事実であることが分かった。
そんな事実を知って、彼女達に話すべきかどうか、また悩みのタネが増えてしまう。
「……そうですか。じゃあ世界を統べる力のことは?」
「それはさすがに口を割ることはしませんでしたな」
「それはそうか」
口が軽いとはいえ、そこまで機密をばらしたりはしないか。
頭を悩ませていると、ドンガハハは俺に頭を下げて言った。
「もしイリマシア帝国、公国ブランジュに行くのでしたら、迷宮を踏破してください。そして聖都をお守りください」
帝国、公国、魔族、迷宮とやることが多過ぎると思いながら、俺は溜息混じりに頷くのだった。
お読みいただきありがとうございます。