227 帝国へ行く理由
帝国には一生行きたくないと思っていた。
帝国は戦争で領地を拡大していき、経済を発展させる富国強兵の政策を軸にしている軍事国家だからだ。
ルーブルク王国へと戦争を仕掛け、他国への工作活動を行い、魔族化させる人体実験を行っている、そんな国に誰が行きたいと思うだろう。
しかし、俺は仕方なく行くことを決断した。
俺達のテーブルでは、先程まで談笑していたのが嘘だったように静まり返り、視線は俺へと注がれていた。
俺は気持ちを落ち着けるために目を瞑り、息を吐き出してから軽く吸って帝国行きを決断した理由を告げる。
「帝国へ行く……そう決めたのは、強い帝国兵と戦いたくないからだ」
「……戦いたくないのに、帝国へ行くのですか?」
皆が俺の発言に呆ける中、ライオネルが俺の発言の意図を聞いてきた。
まぁいきなりだし、これで分かる筈がないか……。
「もしライオネルが居なかったら、帝国へ行くつもりはなかったし、考えなかっただろう。ケティ、ライオネル戦鬼将軍の顔を国民は知っているか? それと一般兵はどれぐらい知っている?」
「知らない人がいるとすれば、それは新参者ニャ。ライオネル様は帝国の武の頂点だったから、皆が知っているニャ」
自慢げにそう教えてくれた。そしてその言葉を聞いて確信した。
やはりこの作戦がうまく行けば、すんなり魔族化と偽ライオネルを捕まえられると……。
「ケティありがとう。実はドンガハハの遺書の中に、魔族化に関する資料が出てきた。そしてそこで黒幕が公国であると書かれていた。しかし既に帝国へ公国の魔の手が伸びていた。このままでは聖シュルール協和国は挟み撃ちに合うことになってしまう」
「それが仮に事実だとすれば、教会騎士団の強さでは、帝国兵には勝てません」
「ああ。だから早いうちに帝国へ乗り込んで、魔族化した帝国兵が、さらに意思を失い狂化状態となる前に、全て治癒してしまいたいと考えている」
リスクは少なからずあるし、無論戦闘となる場面は絶対に出てくるだろう。
だけどそれでも帝国民まで魔族化してしまったら、きっと世界は魔族に、邪神に支配され、勇者が出てくる前に世界が滅んでしまうだろう。
それだけは避けなければ、いつまで経っても俺の穏やかな生活は訪れないということを悟った。
「ルシエル様なら魔族化を治せることも証明されているので、問題はないでしょうが、帝国へはどうやっていくのですか? 飛行艇では翼竜部隊に狙われてしまいます」
ライオネルの懸念はもっともだった。
しかし国境までいければ、そこからは馬でもいいだろうと俺は考えていた。
それにその方が、ライオネルのことを気がついてくれる者がいると思ったのだ。
「翼竜が出て来たら、飛行艇を下りて、そのまま正面突破を図る」
「無謀です。いかにルシエル様が強くなったところで、帝国には私が鍛え上げた兵が大勢いるのですよ」
ライオネルの鍛え上げた兵士が集う帝国。
考えるだけで、頭が痛くなる。
だが、その帝国兵がさらに魔族化して襲ってくるよりは、何百倍もいい。
それに絶対に戦うことになるとは思わない。
「ライオネルが鍛えすぎて嫌われていたのなら話は別だけど、きっとライオネルは皆の憧れであった想像する。だからこそ戦鬼将軍として、帝国へ凱旋してもらう」
「……凱旋ですか」
ライオネルは戸惑いの表情に変わり、少し陰りも見えた。
「ああ。帝国兵にはライオネルの名を騙って帝国を陥れようとしている、逆賊クラウドを倒しに行くことを宣誓する」
「……帝国兵は私を信じるでしょうか」
俺はライオネルからケティに視線を向けると、ケティは頷いた。
「もし駄目でも、俺が知っているライオネルなら、戦場という名の遊技場で戦うんだろ?」
遊技場は言い過ぎたか? ライオネルはプルプル身体を震わせていた。
「言い過ぎ「ふふわっはっは。実に心躍りますな」ではないよな。やる気になってくれたか?」
問題はなかったようだ。
戦場を遊技場と思えるのは、師匠とライオネルぐらいだろうな。
「ルシエル様のご命令であれば、何事にも全力で服しますよ。それに私の目標は偽の私を倒すこと、そして帝国兵の相手でよろしいんですよね?」
「ああ。それと最悪な事態も想定しておきたい」
「最悪な事態ですか?」
「ああ。仮に帝国の皇帝がこの計画を進めている場合や、魔族化してしまっている場合だ」
偽ライオネルのクラウドが皇帝を唆していたり、魔族化を推進していたりすれば、一気に話は変わってきてしまう。
「……仮に魔族化だけならば、ルシエル様が回復魔法で治すまで、私が皇帝を抑えます。そして万が一皇帝がこの魔族化を進めているのであれば、私が皇帝を倒します」
ライオネルの目には覚悟が現れている、そんな気がした。
俺は皆を見ながら、今回の目的を再度告げる。
「今回帝国へ向かうのは、魔族化させる研究及び研究所の破壊、そして全員が生きて帝国を脱出することだ。どんなに瀕死になろうと必ず救ってみせるから、絶対に即死だけはするな」
「「「はっ」」」
ライオネル達が返事をする中で、戸惑いながらもリィナが声を掛けてくる。
「あの、ルシエル様、話が見えないのですが、私やナーニャも行くのですか?」
全く考えていなかったが、やはりここに残していくか。
「どちらでも構いませんが、戦闘になる可能性もあるので、留守番のほうがいいかもしれませんね。今回の作戦で帝国に降り立つのは、俺とライオネル、ケティ、ケフィンだけですけど、危険がゼロではありませんし」
「そうですか」
二人はお互いを見合って、ほっとした表情を浮かべた。
「ルシエル様、私達は?」
同じように聞いてきたのはナディアだった。
しかしこの二人の役割については、既に考えてある。
「ナディアとリディアは、飛行艇を襲ってくるかもしれない翼竜の相手を頼みたい。そしてドランには合図を出したら飛行艇で迎えに来て欲しいんだ」
「飛行艇の運転はルシエル様しか出来ないぞ」
二人が返事をする前に、ドランの声が割って入る。
「ドランさんが最高傑作を整備出来ないように、自分まで操作出来なくするなんてことはないでしょ」
「……気がついていたか」
「ええ、もちろんですよ。」
技術者が弄れない技術を作るはずがないのだ。
「そうか。だが、断る」
「エエッ!?」
ドランのまさかの拒否に俺はうろたえた。
未だかつて、ドランに何かを拒否されたことがなかったからだ。
「帝国には苦渋を舐めさせられたからな。きっちり落とし前をつけてもらう」
そしてドランは拒否したことに対する説明を始め、それがまさかの復讐だった。
「えっと、ポーラやリシアンを死地へやるのですか?」
「ルシエルがいれば死なない。それにゴーレムが居れば時間が稼げる」
「私も餓死寸前まで追い詰められたこと、まだ忘れていませんわ」
……ドランだけでなく、二人も完全について来る気だった。
「ドラン、別に戦闘メインで行くわけじゃないんだぞ?」
「分かっておる。しかし帝国はドワーフ王国を滅ぼそうとした。その報いだけは受けさせねばなるまい」
うん、全然分かってくれてない。
ドワーフは決めたことには頑固だと聞いている。
だけどそんなことは言っていられない。
仕方ない。こうなったらドラン達の意識を生産へ向けさせるか。
「ドラン、帝国国民全てが敵な訳じゃないし、まだ色々開発中なものがあるだろう」
「それは後に開発すればよかろう」
「後があるならそれでも構わないけど、万が一の可能性はあるそれに逃げることを想定するなら、飛行艇は必須だ。俺は翼竜なんかに大事な飛行艇を撃墜されたくない」
「むぅ……」
ドランは苦虫を噛み潰したような、苦い顔を浮かべ、腕を組んだ。
もう一息で説得出来そうだ。
ここでたたみ掛けることにした。
「飛行艇で無事脱出するには、やはり魔導砲が不可欠だと思う。それに魔力レーダーも必須だ。そちらを優先して頼めないか?」
「くっ、痛いところを突きおって……いいだろう、そこまで言うのであれば、魔力レーダーと魔導砲は、責任を持って開発しておくぞ」
「よろしくお願いします」
何とかなった。
「ルシエル様、それでいつ帝国へ向かうのですか?」
「出来ればドンガハハに帝国や公国の裏を取ってからがいいんだけど、これから教皇様と会うことにするし……師匠達もメラトニへ送らないといけないから、早くともニ、三日の間、帝国への移動はしないつもりだ」
「そうですか。それなら作戦を十分練ることが可能ですね」
ライオネルは既に気力十分といった感じで、対帝国のことを見据えているようだった。
「皆、今回も力を借りることになるけど、よろしくお願いします」
完全な我侭に付き合ってくれる彼等に、一度ぐらいはきちんとお礼を言いたかった俺は、皆を見てから頭を下げた。
「ルシエル様、頭を御上げください。ルシエル様のなさろうとしていることは、誰もが出来ることではありません。それに私もこれでようやく帝国憂いを取り除くことが出来るのです」
ライオネルは頭を上げさせて、自分の為でもあると言ってくれた。
「そうニャ。あの時は逃げることで精一杯だったけど、今なら帝国の闇を晴らせるニャ」
ケティも奴隷にされた屈辱を晴らそうとしていた。
「ルシエル様の伝説を増やす良い機会です」
ケフィンだけ少しベクトルが違う気がしたが、こうして俺達の次の行き先が正式に決まった。
しかし、俺はこの時あることを忘れていたのだが、そのことに気がつくことが出来なかったのだった。
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