208 縺れた糸
師匠は目を瞑り、その時の光景を思い出しているように見えた。
そして順番に語り始めた。
「ルシエルの噂が流れることはガルバが掴んだ情報があったから、混乱することのないように、事前にルシエルの情報を流したものがいたら、俺達に知らせるようにしてあったんだ。そこにまんまと噂を流した奴がいたんだ」
師匠は目を瞑ったままだった。
「それで捕まえて尋問したんですよね?」
「ああ。物体Xを飲ませて、気絶したら起こして、それを何度も繰り返したら、想いのほか早く、二時間程度で墜ちた」
師匠やグルガーさんがそんな真似をしたのだから、その間者、かなりの根性があったんだろうな。
だけど噂を口にしただけで、よく尋問しようとしたな。
まぁ下調べはしたんだろうけど……。
「……まぁ耐性がないと辛いでしょうからね」
「ああ。まぁそんな尋問で得た情報と、ガルバの掴んだ情報を照らし合わせたら、本当のことを言っていることが分かった。そこでルシエルの件以外でも、ある事実が判明したんだが、それはひとまず置いておく。それで捕まえたそいつは、ただ噂を流すように雇われた普通の人族だった」
いくら貰ったのかは分からないが、絶対割に合わない依頼だっただろうに。
思わず同情してしまう。
「雇われたってことは、当然、雇い主も分かっているんですよね?」
「ああ。それが先程話に出たブランジュの貴族であるカミヤ卿だった。口を割らせた後、直ぐガルバにこの件を探ってもらっていたんだ」
「……なるほど」
情報収集ならガルバさんが適任だ。
「それで捕らえたその人族は、ちゃんと有力な情報を喋ったし、反省もしているようだったので、冒険者ギルドで一泊させた後に釈放したんだ」
前世でいうところの司法取引みたいなものか。
「まぁ噂を流したらからと言って処罰を下したら、それこそ問題になりかねないでしょうし……」
「ああ、噂話ぐらいは誰でもするからな。今回は調べている途中で、不審な点があったから詳しく話を聞いただけだしな」
いつの間にか尋問が話をしただけになっているのが、師匠クオリティーなんだろう。
「あれ? でも、そうなると師匠の怪我をした時期と、その雇われた人族を釈放した時期に二ヶ月程の開きがありますよね?」
噂が出たのがネルダールに向かって一ヶ月後だったはずだ。でも、師匠が怪我をしたのは十日程前だと言っていたよな?
「……ああ。週に一度から二度、俺は冒険者達に付き添いながら、自らも鍛えていたんだ」
師匠は一瞬顔を強張らせた後に、ガルバさんを牽制しながら説明に入る。
「これがギルドマスターだよ? 信じられるかい? 確かに書類仕事は完璧に終わらせていると言っても、緊急依頼をグルガーに丸投げなんだよ? ルシエル君も無責任だと思うよね」
しかしガルバさんは、いつもとは違って目を細め、そんな師匠を睨んでいた。
きっと修行にかまけていたんだろうな。
「ええぃ、ガルバ! 話の腰を折るな! 話を戻すぞ。十日程前にあの鉱山の麓にある森で訓練をしていたら、急に怒鳴り声と剣戟が聞こえてきてな。助けに向かったら盗賊だか傭兵だか分からないやつ等が、うちの冒険者達と戦っていたんだ」
師匠は逆ギレしながら開き直り、話を一気に進めた。
「話の流れから、その襲ってきた面子の中に、噂を流した人族がいたんですね?」
「ああ。盗賊に身を落としたものは首を刎ねるか、犯罪奴隷として他国に売ることになっているから、心を鬼にして、その人族ごと処理することにした」
しかし師匠は怪我を負った。
これがどうしても分からなかった。
あれだけの怪我を負わせられるのだったら、師匠は見逃されたのか? 十日前なら今とそれ程実力も変わらないはずだからだ。
俺の中でモヤッとしたものが沸き上がるような気がした。
「十日前にあの怪我を負っていたってことは、今日戦ったぐらいの力は戻っていたんですよね? それなのにあれだけの怪我を負ったってことですか?」
「ああ。まさか数人が魔族に変身するとは思わなかったからな」
「なっ!?」
師匠が魔族と対峙していた事実に、俺は驚愕のあまり、口が半開きになって状態で固まり、そして目を地図に落とす。
メラトニから南東の森を抜けた先を見てみると、そこには公国ブランジュが存在していた。
もしかしなくても、きっとその魔族達が公国ブランジュから教会本部へと出された討伐依頼なのだろう、
「まぁそこまで強いとは感じなかったが、この身体がきちんと制御出来なくて、捨て身の一撃を何度か喰らって、あの有様になった」
師匠は淡々と魔族の強さを語ったが、捨て身の攻撃だったなら……? 何度も?
「何度もって、それなら他の冒険者達は?」
「ボロボロだったが、数の利を活かして何とか打ち倒していた。まぁ倒しきらなかったから、その分ダメージを受けたが、他の者達が怪我や命を失うことがなかっただけ、幸いだったな」
師匠は少し誇らしげに語るが、俺は複雑な気持ちを抱えることになった。
少しでも状況が変わっていれば、師匠がここにいなかったことになるからだ。
「まぁ助かった冒険者達が、重傷を負った俺にありったけのポーションを飲ませたり、掛けたりして、メラトニまで運んでくれて、何とか一命は取り留めたんだ」
「……本当によく生き残れましたね」
「おう。さすがにルシエルが大事なものと引き換えに救ってくれた命だからな。さすがに諦めるわけにはいかなかった」
そう思うなら、少しは自重しろよ!! そう怒鳴りたくなったが、全てがイレギュラーな出来事であった為、ここで叫んでもそれは俺の自己満足だけでしかないので、話を続ける。
「その人族が本物の人間だった場合、やはり魔族へと至る何かがあるのでしょう……何か怪しい点や特徴はなかったんですか?」
「そいつ自体にはなかった。急激に魔力が高まったと感じたら、身体から瘴気が吹き出て、一瞬にして姿を変えたんだからな」
「……そうですか。何か手掛かりがあれば良かったんですけど」
「……手掛かりになるかは分からないが、グランドルで戦った奴隷商のことを覚えているか?」
「はい、もちろんです」
転生者を忘れることなんて出来ない。
「あの男と最初に戦った時、最後に魔石を対価として、何かを召喚しようとしていただろ?」
「ええ。赤黒く光る魔法陣が現れましたけど……」
「今回、魔法陣は見えなかった。だが、赤黒い光が弾けたのは見えた。まぁ参考になるかどうかは分からないけどな」
師匠は真剣な表情のまま頷いた。
今までの話を総合すると、一つの事実が浮かび上がる。
「……魔族を生み出しているのが、帝国ではなく、公国ブランジュだってことですか?」
「そう慌てるな。それについてはまだ分かっていない……ガルバ、そうなんだろ?」
「うん。その赤黒い光や召喚術については、情報が秘匿されているから詳しくは分からないんだ。ただブランジュで、他の情報は手に入れることは出来たよ」
「他の情報ですか?」
「うん。その話をする前に、さっきブロドがルシエル君の噂を流した相手から、情報を得た話をしたよね?」
「はい」
「実はその情報に、帝国が関わってくるから、まずこんがらがらないように、先に公国ブランジュの話を聞いてもらったんだ」
「では、今度は帝国の話ですか……お願いします」
ライオネル達を見ると、頷かれたので、大丈夫だと判断して続きを聞くことにした。
「帝国に今現在も戦鬼将軍がいることは、知っているよね?」
「はい」
ネルダールでウィズダム卿が言っていた奴で間違いないだろう。
「その男の名前はクラウド。剣士でありながら、複数の魔法を操る魔法剣士で、グランドルの冒険者ギルドで登録もされている冒険者だ」
「素性も分かっているんですか?」
「う~ん、名前と少しの情報だけだね。ギルドに登録した時は剣も魔法も使えなかったらしいけど、徐々に力をつけたのか、ある時変身魔法を覚えたみたいなんだけど、それ以降、男の足取りが消えたとされていたんだ」
「そしたら今度は帝国で噂になっていたってことですか?」
「今はそうだけど、正確には順番が違う。最初はブランジュ、ルーブルク、そして現在のイリマシア帝国になっているんだ」
「そいつの目的と公国ブランジュ、そして帝国か……確かに情報が多くて、頭がこんがらがってしまいますね」
「まぁ簡単まとめると、教会本部のことを含めて、全てに公国ブランジュが関わっているように思えてくるようになっている」
「なるほど。だから聖シュルール協和国の聖都にある教会本部をどうしたいのか……聞いてきた訳ですか」
「ああ。下手をすれば一気に戦争になりかねない。今のところ安全だと思われるは、イエニスとネルダール、あとはグランドルぐらいだな。あとは全てが複雑に絡みあった状態になっている」
「……状況は理解しました。ですが、この件については暫らく考える時間が欲しいです。俺がこれに手をつけるかどうかも含めて、検討したいと思います」
「それがいいだろう。さてと、この話は一旦ここまでにしよう。ルシエル、泊まる場所はどうする?」
「どうするとは?」
「お前の部屋はそのままになっているが?」
「まだそのままだったんですね。ではあの部屋をお借りします」
「おう。分かった。じゃあ宴会に混ざりたいものは混ざって、宿屋に向かいたい者はそうしてくれ」
師匠がそう言って、この会議を打ち切ってくれた。
情報過多で何も考えたくなくなった俺は、懐かしいあの部屋で、今日だけはゆっくり眠りに就くことを決め、他の皆は予約した宿屋へと向かってもらうことにした。
皆が話しをしたいように感じたが、その余裕を今の俺は持ち合わせていなかった。
「ただ普通に……穏やかな生活の望むことが、何故こんなに難しいのだろう」
溜息のように呟いた言葉は、宴会で大騒ぎしている冒険者達の喧騒にかき消されるのであった。
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