159 スパルタ再び
光を感じることが出来ない暗闇の中を、左右からナディアとリディアに誘導されながら歩く。
手を引いてではなく、口頭で伝えてくるだけだが、それだけでもだいぶ助かっている。
幻想杖で前方を確認しながら歩くが、既に数回こけそうになっているので、きっと腰が引けてしまっているだろう。
そう考えると少し気が滅入る。
蟻の迷宮に入っているのは分かるが、一切戦闘がない不気味な状況に、不安になりながらも足を踏み出す。
危険察知のスキルがあるので、危なくなったら何か直感が働くことを祈りながら……。
しかし、ここで想像していないことが起きる。
「じゃあルシエル、視覚をそのままで生き残れよ」
師匠の声がそう聞こえた後に、背中を押されるといきなり危険察知スキルが反応し始めた。
俺は師匠にどこかの魔物部屋に入れられたのだと確信があった。
「師匠どういうことですか?」
「その状態で全ての敵を倒して見せろ。敵は蟻の大群だから遠慮はいらないぞ。これはオマエに足りていないからやる初歩的なことだ。頑張れよ」
俺の焦った言葉とは逆に師匠の面白がるような声が聞こえた次の瞬間、重厚な扉が締まる音が聞えたあと、皆の名前を呼ぶが反応が全く無かった。
「……マジかよ」
正直、今までのレベルと思えないぐらいきつい仕打ちに、師匠を一瞬信じられなくなりそうだった。
気配察知や魔力察知がうまく出来ない状態の人間に、ここまでの仕打ちをするなんて、本当に師匠の修行は普通ではない。
キシャキシャーと鳴く声とカサカサっと地面を這うような音が聞えるだけで、一気に心拍数が上がっていくのを感じながら、俺は今出来ることをするだけだと安全を確保するために、エリアバリアを張り、攻撃を受けてタイミングを窺うことにした。
チリチリする感覚がした方向に幻想杖を剣に変形させて振るうが、その攻撃が当たることはなく、逆にそれが仇になったのか、腹部に軽い衝撃受けた。
俺は何となく、衝撃を受けた場所を沿って拳を出すと、ベチャっと嫌な感触が伝わってきた。
「……なるほど。敵は弱いけど、数は多い。これで敵の気配と魔力を感じられるようになれってことか」
目標が定まった俺は当然の如く死にたくないので、幻想剣を魔法袋にしまって、聖龍の槍を取り出して間合いを伸ばすことにした。
チリチリっと危険な感覚を大事にしながら、そして気配と魔力と感じ取れるように集中し始めた。
音で場所を読み、感覚を研ぎ澄ませ攻撃する。
当たれば感覚との誤差を反復して身体に染み込ませていく。
慣れてきたら、今度自分の魔力を対外に向けて放出して、外の感覚を探るのだが、これが全くうまくいかなかった。
「迷宮が魔力を放出しているのを忘れてた」
大事なことを忘れていたことで頭を抱えたい気持ちになるが、逆に俺の魔力と迷宮の魔力以外の魔力を探ることが出来るようになれば、同じように気配だって掴めるようになるんじゃないか? そう考えると、俄然やる気が出てきた。
「久しぶりにポジティブ思考でいくか。さぁ蟻退治だ……痛ッ?」
俺は全神経を探り感覚を研ぎ澄ませて気合を入れた瞬間、突然液状なものが手に当たり、少し痛痒くなったので、念のためヒールをかける。
「もしかして酸でも飛ばしたのか? もっと集中しないと師匠に笑われてしまう……それだけはムカつくから嫌だ」
肩幅に足を広げ、腰を低くして槍を構え、一定の呼吸で精神を落ち着けていく。
攻撃を受けてから攻撃するしかない状況は、とても歯痒いものがあり、早々に心が折れそうになってしまう。
それでも熟練度鑑定で熟練度が少しだけ上昇していたことで、やっていることは間違っていないと確信出来た。
この世界で俺と縁があった人達は気配や魔力に対して敏感だった気がする。
そしてそれは転生した俺に備わっていないものなのだと薄々感じていたことでもあった。
きっと小さい頃からの経験が積み重なったのだろう。
何事もゴールデンエイジが技術的には一番伸びる時期なのだから。
まぁそれでも俺は夢の為に死ぬわけにはいかない。
「小さい頃から修練を積み重ねてきた者達は確かに強いだろうけど、それを上回る努力なら今までもしてきた筈だ。蟻達よ、俺を成長する糧となり、俺を支える礎となれ」
ポジティブ思考で気合を入れ直すが、待っていたのは攻撃ではなく、師匠の口撃だった。
「じゃあ次はもう少し難易度を上げるぞ。こんなところで、一人でブツブツ喋り出すな。こっちが恥ずかしいわ」
「へっ? 師匠? いつから?」
「最初からいるよ。無茶なことをさせている認識はあるからな。ただ……最弱の蟻の魔物を十匹を前にして、気合を入れ過ぎだと思うが……まぁいい。次の狩場へと移動するぞ」
急激に強烈な羞恥心に襲われた俺は、貝のようになりたくなったが、師匠が許してくれる筈がなく、移動を開始した。
師匠だけでなく、皆の笑いが込み上げるのを我慢する空気を感じて居たたまれなくなりながら、応援されていることが分かり、俺は心で泣いて、笑顔で頑張ることにした。
寝る間もなく、次々に狩場に連れて行かれ、全てを倒すまでは二人が俺の監視つき、それ以外は休憩か模擬戦をしているとナディアが教えてくれた。
「こう何度もハイヒールをかけることになるとは思わなかったが、師匠は無茶してないか?」
「ルシエル様の師匠で在られる旋風様とライオネル様が如何に強いか、皆さん肌で感じられています」
聞けばナディアも師匠やライオネルから教えを請うているらしいが、随分と楽しいみたいで、声が弾んでいる。
「……あの二人は模擬戦をしないのか?」
「はい。一度戦ってしまうと、引き分けは無いそうですから、私達全員とお二人のどちらかの模擬戦になっています」
さすが好敵手だと、引くに引けないのだろうな。
それにしてもケティやケフィン、エスティアだって強いはずなのに、それに完勝しているとか、そんなに強かったのか。
レベル四百オーバーの凄さは常人では把握出来ないのかもしれなれないと、溜息を吐いてナディアに笑われた。
少しだけ懐かしい気持ちになりながら、あの二人の性格から一つだけナディアにお願いをした。
「あの二人は強いけど、それでも怪我をしたら来るように伝えておいて欲しい」
「畏まりました」
少し笑われた気がしたけど、補助してもらっている時間が長く、エスティア、ナディア、リディア達と話すことで、少し距離が縮まった気がしていた。
俺の休憩時間は狩場への移動時間と回復魔法をかける時、それと食事をしている時だけらしく、寝るのはいつでも構わないと言われている。
徐々に蟻が強くなり、数も増えていく中で、集中力を維持することの難しさを知りながら、気配と魔力を感じ取ることに全神経を注ぐ。
その行動を繰り返して、七回目の食事を終えた後に、俺は魔力察知のスキルを習得出来た。
しかし、人生が甘くないと感じたのはここからだった。
大体何処にいるか分かるレベルから、逆に何処にいるのか分からないレベルに陥ってしまったのだった。
「……もしかして迷宮の魔力と魔物の魔力が判断出来ない同等なものなのか?」
迷宮の浅い部分はまだ魔物よりも魔力が弱い分分けることができたのだが、魔力と殆ど変わらない階層に下りてきたことによって起こった現象だった。
何とかこの状況を乗り切ろうとしたら、蟻の迷宮をいつの間に踏破したらしく、師匠からストップの声が掛かった。
「ここではあまり修行にならないから次に行くか。ルシエルは隠者の鍵で馬達と魔法袋から馬車を取り出してくれ。それと食料も出しておいてくれ。それが終わったら少しだけ寝ていてもいいぞ」
俺は師匠の指示に従いって、馬車と食料、それと何故か天使の枕を取り出した瞬間、ゾクリと危険察知が発動したところで、腹部に強烈な痛みを感じた。
「ガハァ!? 一体?」
次にまたゾクリとした感覚がして、首に衝撃を受けた俺の意識は分断されてしまった。
ガタゴト揺れているところで、俺の意識は戻ったが、頭痛が酷く首筋が痛かったので、ミドルヒールで回復すると治まった。
「此処は?」
「ルシエル、起きたか。悪いと思ったが、迷宮を攻略中に全く眠らなかったから、一度気絶させてその枕で寝かせた」
「……おかげさまで、良く眠れましたが、寝起きは最悪でしたよ」
師匠の豪快過ぎる寝かしつけにあいながら、もう一度何処か聞こうとする前に教えてくれた。
「もう直ぐ餓狼の迷宮に到着するから、今度はそこで訓練をするぞ」
餓狼の迷宮って、狼の魔物が出るところじゃないかっと、声を上げたかったが、拒否権が無いのは分かっているので、俺は黙って頷くだけだった。
馬達を隠者の厩舎を入れるために開くと、目が見えないはずなのにフォレノワールの存在だけは、はっきりと確認出来た。
そして近寄ってくると、また頭を甘噛みして厩舎へと戻っていった。
「フォレノワール……存在感ありすぎだろ」
俺はおかしくなり笑ってしまったが、急に笑ったからか、少しだけ変な視線を感じるのだった。
目的地の餓狼の迷宮に着いて直ぐに食事をして、一旦休憩してから訓練が始まった。
しっかりと装備をしていても、エリアバリアを張って衝撃を吸収しても、不意に飛びつかれるとバランスが崩される。
しかも連携をしてくるので質が悪い。
目が見えない俺は、小さな足音や、呼吸音で動きを聞き分け、気配を感じて俺は突撃してくる狼を何とか斬ることになるが、うまく当てずにいるとその血の臭いに寄せられ、どんどん狼が増えていく気がした。
それでも諦めずに、必死に自分の間合いだけは何があっても死守する。
そう断固たる決意をと固めたら、餓狼の迷宮に来てから二食目の時には、スキル気配察知を習得出来た。
「もはや天才?」
俺がそう呟くと、後ろから盛大な溜息を吐かれた。
また師匠に恥ずかしいところを見られたと思いながらも、スキル習得で少しテンションが上がっていた俺は、師匠に訓練の成果を告げることにした。
「魔力と気配のスキルを習得出来たみたいで、察知の恩恵か、少しずつだけど間合いの感覚が分かってきましたよ、師匠」
「そうか。かなり順調だな。それに意志が強い……だからこそ俺の弟子だよな」
「……師匠どうしたんですか?」
突如嫌な予感がした。
「強い殺気を感じたら、俺か戦鬼だと思って攻撃はするな。肘を掴まれたら移動の誘導だ。右肩を触れば昼休憩の合図。左肩を触れば回復魔法を使ってくれの合図、両肩を叩いたら馬車の出し入れの合図、誰かに抱きしめられたら、己にエクストラヒールを使え。覚えたか?」
「えっ? それぐらいなら覚えられますけ……?! グァアアアア」
パァーンと両耳に鋭い痛みを感じると、そこから一切の音が消え、真っ暗闇で、何も聞こえない深海にいる気がしてきて、ただ心臓の鼓動だけが強まるのだった。
俺は迷わずにヒールを使うが、鼓膜を再生させることはなかった。
再生していたら、師匠が鬼になるのが目に見えていたからだ。
少しだけ師匠の中にも葛藤があるのだと思いながら、視覚に続いて聴覚も失った俺は魔力と気配だけを頼りに訓練をすることになり、心臓の鼓動だけがいつもより躍動している気がした。
こうして俺の訓練はさらに過酷さを増していくのだった。
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