158 修行の最終目標
グランドルの迷宮がある周辺には、必ず小さいながらも町が存在しているらしく、日が沈んでから少し馬車を走らせると、遠くに灯りが見えてきて野宿しないでも済むことになった。
迷宮の側に町があることは、今回のように迷宮から魔物が溢れだすこともあり危険なのだが、冒険者ギルド本部が運営しているので、迅速に解決するらしい。
目的としては安定した魔石を確保することが出来るので、ネルダールへ魔石を輸出することが出来る唯一の国なのだとか。
「師匠、どうして町が見えてきたのに、迷宮へ来たのですか?」
「今のオマエには張り詰めた……研ぎ澄まされた空気感がない。それを養うためだ」
「……そんな空気感があった時ありましたか?」
「ああ。聖都の冒険者ギルドで戦った時な。あのまま成長していれば良かったんだが、残念だが今は危機感というか、緊張感が足りない」
……聖都で戦った時って確か……試練の迷宮を踏破したときだったっけ。
迷宮にずっと潜って殺されそうになりながら、何とか脱出した時か……。
思い出すだけでも、本当に良く生き残れたと思うけど……。
「あのときは生き残ることに必死でしたからね……」
「それが今のオマエに足りないものだ。戦鬼がいるから戦闘は切り抜けられるところは多いし、安心感があるのだろう。でもその安心感がルシエルの成長速度を鈍らせていると俺は思っている。才能のない分、俺や戦鬼よりも死線上にいる時間が長かったのだから、その感覚を取り戻すことは可能だろう。其処からが本当の修行だ」
まぁ二人も死線上にいたことはあるだろうけど、俺のように半年以上も腕や足を切り落とされたりした経験はないだろうし、師匠の言っていることは正しいかもしれない。
でも気になるのは、そこからが本番ってことだ。
「まぁあの時は自分でも発狂してもおかしくなかったと思いますけど……」
物体Xを飲んでいて精神耐性が上がっていなかったら、天使の枕を持っていなかったら、色々考えることはあったけど、諦めなかったのが一番大きかった。
だけど二人と戦っていれば、その感覚は直ぐに戻ると思うのだが?
「ルシエル、オマエのその研ぎ澄まされた感覚でしか手に入らない、己の臆病さを逆に自分の武器に作りかえるために、今回の修行をするのだ。だからこそ少し追い込む必要があるのだが……」
「……一体何をさせようとしているんですか?」
師匠の凍てつくような目に全身の毛穴が開き、冷や汗が出る。
ブロド師匠の修行は覚悟していたが、追い込むと言っている以上、中途半端な内容ではないことに身体が竦みそうになる。
思い返してみれば、筋肉痛や打撲ではヒールを一切使わせてくれなかったり、訓練なのに真剣で斬ってきたり、立てなくなると本当に立てないのか、殺気を放ってくるし、碌な思い出が無い。
「簡単に言えば気と魔力だけを感じて、これからは生活が出来るようになってもらう」
「はっ?」
「普通ならこんな危険なことはさせられないが、回復魔法が使えるルシエルなら、きっと体得出来るはずだ。気配を読み取り、後の先を取る武の真髄を」
そんな漫画的な話をされても……。
しかも師匠が、きっとなんていう希望的な感情が含まれている時点で、確率で言えば五割もないことが分かる。
「……そんなこと出来た人物がいたんですか?」
「レインスター卿を含めて、何人もいたらしい。まぁレインスター卿は精霊の声を聞いたとされているから、少し違うかも知れないけどな」
そんないい笑顔で言われても……それって裏を返すとレインスター卿が出来なかったって言っているのと同じか、必要なかったかの二択だろ?
それを俺に習得させようとしているが、本当にそれは俺に必要なんだろうか?
凡人の俺に……背後から殺気を感じて振り向くと、そこには楽しそうにしているライオネル達の姿があった。
「お見事です。今後は徐々に出来ることを増やしていきましょう」
「殺気以外は全滅だったから、時間は掛かるかも知れないニャ」
「我々も全力でサポートしますので、どうか一緒に強くなりましょう」
「ルシエル様なら、きっと何でも出来るようになります」
「私とリディアもルシエル様をお手伝いさせていただきます」
「各属性精霊達の魔力を感じ取れるように、微力ですがお手伝いさせていただきます」
従者の皆の方が、何故かやる気が満ち溢れてしまっていた。
しかも何故か俺の訓練と聞いて嬉しそうにしているのは気になるが、きっと俺にこの特殊な訓練をさせることをこいつ等は後悔することになるだろうな。
師匠が俺に割く時間を皆に回したことになるのだから。
しかも全く甘えが許されないという地獄の世界なのだから。
「従者の期待に応えられるように頑張るのだぞ」
「ぎゃああああ」
修行内容が決まった瞬間、いきなり師匠に眼球を潰された。
俺は急いでエクストラヒールを使おうとしたら、師匠から殺気を感じて距離をとる。
「いい反応だな。ヒールで痛みはとっていいが、見えるように治したら、今度は眼球をくり抜くからな」
その恐怖の言葉が、ただの脅しではないことが俺には分かっていた。
師匠はやると言ったら、やってしまう男なのだ。
だが昔と違い、俺イエスだけではなく、ノーも言えるようになったことを証明することにした。
「師匠、ライオネルとの模擬戦はいつやるのですか? 二人以上に俺は楽しみにしていたんですよ。俺を訓練する前にやることがあるんじゃないですか?」
「もちろんだ。だが、全盛期の俺と戦鬼に戻るためには錆を落とさなければいけない。ルシエルが大地の息吹と大気の奔流を感じることで、気配と魔力を把握出来るようになれば、俺の全てを模倣し、自分のものへと昇華出来る筈だ。そうすれば相手が例え龍であろうが、魔族であろうが勝てない道理はない。弟子が其処に至る為なら、俺の全盛期を今から作り上げてみせるさ」
「旋風よ。ルシエル様はオマエだけの弟子ではないぞ。まぁその気概だけは認めるところだ。だが、模倣するだけでは足りな過ぎる。動きを感じ取れるなら、それに反応出来る反射神経と捌く技術力に身体能力まで必要になってくる」
「……そんなものはレベルが上がれば如何にでも出来るだろう。それに気配と魔力が把握出来る様になれば、俺達を模倣するのなら、自分との差だって感じられる筈だ」
二人の模倣が修行の最終地って……無理過ぎるだろ。
「ルシエル、気持ちを入れ替えろ。全てが成れば、穏やかな生活が待っているぞ」
それだけ言うと、師匠の遠ざかっていく足音が耳に聞こえた。
あの師匠は滅茶苦茶だと思いながらも、この理不尽でも俺の為になる訓練に懐かしさを感じていた。
この視覚を失った状態で、蟻の迷宮で過ごす過酷さを想像すると涙が出そうになったけど、期待が嬉しいだけに頑張ることにした。
「師匠は食べないみたいだけど、夕食にしようか」
「俺も食べるに決まっているだろ」
俺の声が聞こえたのか、師匠が引き返してくる足音が聞こえてきた。
食事は魔法袋を触れば、中に入っている物が頭に浮び、そのリストから取り出すので、皆の食事に関しても問題はなかった。
しかし俺は手にスプーンやフォークを渡されて、誘導をされなければ食事をすることが出来ず、屈辱のアーンをしてもらった……師匠に。
「ルシエル、今のオマエは赤子と同様だ。悔しければ、全てを感じられるようになるんだな」
これが叱咤激励だということは分かっていたが、さすがにこのままで良いはずも無く、いつ出来るかわからないことに時間を割いていられなかったので、精神安定剤ともいえる俺の心の支えを念じた。
スキル熟練度鑑定だ。
視覚を失って、どの熟練度が上がるのかをチェックし、より熟練度上昇を高くなるように効率の良い習得方法を模索する努力を開始する決意をした。
久しぶりのこの感覚に、徐々に不安よりも楽しむ感覚になっていき、師匠を驚かせることに全力を注ぐことを決意した。
お読みいただきありがとう御座います。