146 S級治癒士ルシエール
漸くメラトニを視界に捉えた俺は、徐々にテンションが上がっていった。
普通ならこんなに上がらないが、フォレノワールの体調不良があり、俺は現在馬車の中にいるのだ。
ライオネルは護衛として先頭を務め、ケフィンとケティが御者席にいるのだが、一言も喋らない。
エスティアは外を見ないように、ずっと下を見ていて俺が喋りかけても反応を示すだけで、会話のキャッチボールが出来ないのだった。
この不思議な空気に終止符が打てると喜んだ俺は悪くないだろう。
門が近づいてきたところで、ライオネルが対応していたのだが、徐々に外が騒がしくなってきた。
「どうした?」
「ルシエル様の名を騙る偽者が先程通ったみたいです」
「…………」
俺は無言で馬車を降りて、門兵に声を掛ける。
「こんにちは。今から治癒士ギルドと冒険者ギルドへ行くから、一緒に来るといい。そうだ! 俺もたまには歩くこう」
エスティアは心配していたが、馬車を降りたら顔色が良くなったので、このまま歩いていくことにした。
馬車をしまい、馬を隠者の厩舎に入れると、一応治癒士ギルドのS級カードを提示して治癒士ギルドへと歩くことにした。
「ルシエル様、また治療してくれよ」
「治癒士達に指導してやってくれ」
「帰ってくるなら連絡してくれよ。今度は服をプレゼントするぜ」
「ルシエル君、お酒飲めるようになった?」
「新しい飲食店がオープンしたぜ」
俺の姿を見つけるとメラトニの街の皆が声を掛けてくれる。
こうやって歓迎されるのは、嬉しいものだな。
最近までは腫れ物に扱われる感じだから素直に嬉しく思える。
先程から門兵は顔の色が青から白くなっているのだが、気にしないで歩く。
ケフィンが仕方なく門兵に俺の偽者の情報を聞いているのだが、俺はそれよりも、街並みを見て歩くことが出来ることで、嬉しさがこみ上げていた。
魔法建築やドワーフが増築したものまで、あらゆる方法を使用して、徐々に大きくなっていったと思われるこの街を見るのはとても楽しかった。
しかし俺だけの気が晴れても仕方がないので、まず始めに治癒士ギルドへと向かうことにした。
出来れば押しの強いクルルさんみたいな人に、この空気感を吹っ飛ばして欲しかったのだ。
「ルシエル様、あれです。先程ルシエル様の名でイエニスの街へ入ったのは」
見れば見事な装飾が施された馬車だった。
「豪華な馬車だな。まぁ同名ってこともあるだろうし、とりあえず治癒士ギルドの中に入りますか」
「「「はっ」」」
俺が皆に微笑むとライオネル達もイタズラな笑みを浮かべていた。
いつも通りの雰囲気に戻りつつあることを感じる。
どうやら道を塞いだ馬車の持ち主は、いい仕事をしたらしい。
これなら名を騙ったのも大目に見てもいいか?
「馬車の中に人がいると思うか?」
「御者を含めて三人はいますね」
「どうする?」
俺は三人に任せることに決めた。
「ルシエル様の名を騙ってどうするのか、何をしようというのか……見てみましょう」
「ルシエル様とライオネル様と見ているニャ」
ケティとケフィンが馬車へと突撃していった。
「こんなところに馬車を置くなんて何を考えているニャ」
「おい怪我をしたら如何するんだ!!」
完全に因縁を吹っかけるB級映画のやられ役をこなす二人を見て、俺は噴出しそうになったが堪える。
馬車の中から一人の女性と御者席に乗っていた男性が口を開いた。
「獣風情が!! この馬車に乗っているのは、S級治癒士のルシエル様であらせられるぞ。獣が騒ぐなら、罰が必要か?」
御者席から降りてきた男が剣を抜こうとしているが、ただのチンピラにしか見えない。
「はぁ~だから野蛮な獣は嫌なのよね。きっとルシエル様は心が広いから許してくれるわ。自分の愚かさを恥じて帰りなさい」
何だろう? 凄くイライラする。
これが人族主義なのだろうか?
「ライオネル、こういうことって何処でもあるのか?」
「あるでしょう。昔ですが、同じようなことをしていた者達を斬った覚えがあります」
自分の従者というところも含めなくても、あれだけ見下されたら頭にくるよな。
まぁ今回仕掛けたのはケティ達だから、介入はしない。
「そうだよな。何で俺に成りすましたのか、尋問が必要だよな。それも俺の第二の故郷という大事な場所で、だ」
俺が近づこうとして止められた。
「ここに証人もいますから、もう少し見ていましょう」
どうやら身体は正直に行動しようとしていたらしい。
ライオネルが冷静で助かった。
「あの二人に爆弾を落としたことへの罪滅ぼしか?」
「はい。何故かあの時焦っていたようです」
闇の波動の影響が出たのかも知れない。
今度、闇の精霊が出てきたら、そのことを聞いてみることに決めた。
「……分かったよ。念の為ライオネルは治癒士ギルドに入ったかも知れない者を警戒しておいてくれ」
「承知しました」
会話を切って前方を見ていると徐々にヒートアップしていくのが良くわかったが、二人はとても楽しそうに見えた。
「いいコンビだな」
「はい」
俺達が高みの見物をしている横で、門兵は震えていた。
それから間もなく抜刀した男がケフィン斬った。
そしてケティを前に女が勝ち誇る。
「だから言ったのに……獣が人間様に楯突くからからこうなるのよ。ねぇ」
「…………」
「何をボーっとしているのよ。この猫も貴方の剣の錆びに?!」
女が目をケティに目を向けると既に姿が掻き消えていた。
「逃げたのね……この死体邪魔よ」
男は女にもたれかかるように身体を預ける。
「ちょっと調子に乗らないでよ」
横にズラした男はそのまま地面に激突した。
「えっ?」
次の瞬間、後ろからケティの手刀が首の付け根に入り、女は気絶した。
「対したことないニャ」
「S級治癒士様の護衛って雑魚なのか?」
「中のお前、馬車をどけるニャ」
二人の挑発に耐え切れなくなったのか、一人の男が降りてきた。
「お前達、中々強いではないか。新しく入ったこの街の冒険者か? 自分達の力をアピールするってことは、我の従者になりたいといったところか?」
出てきたのはヒョロッとした背の高い男だった。
「鍛えてなかったら、確かに似ていたかもしれないけど……何故あんなに自信満々なんだ?」
「……背丈と髪の色は似ていますが、顔も違いますし、良くメラトニで名を騙ろうとしましたね」
俺とライオネルはさすがにその神経に驚いた。
あれで何でばれないと思ったのか、不思議でならなかった。
「詐欺ならもっとしっかりと情報収集するだろ……」
俺は頭が痛くなってきたが、流石に騒がしくなってきたのか、周りに人が集まり始めた。
「それで何故こんなところに馬車を止めているニャ」
「我がSランク治癒士だからだ。当然我の名前を知っているだろう?」
「いや、知らない」
「これだから獣臭い獣人は困る。我こそはS級治癒士であるルシエールであるぞ」
そう自慢気に名乗りを上げた。
「……微妙に違うとか、色々捻ってくるな。それでもS級治癒士であるはずがないけどな」
「捕らえさせますか?」
「いや、俺もあそこに行く。ライオネルは治癒士ギルドから出てくるものを逃さないようにしてくれ」
「はっ」
「門兵殿も一緒に行きましょう」
「は、はい」
俺達が近寄っていくと、ケティとケフィンの興が乗ったのか、臣下の礼を俺に取った。
「何だ? 貴様がこの獣人達を躾ている男か? 我を誰だと思っているS級治癒士だぞ。貴様の獣が我の従者をこのようにしてくれた。本来なら即刻首を刎ねるが、我は心が広いから白金貨十枚で手を打ってやってもよいぞ」
「そうですか。であれば、誓約を行いましょう」
「誓約だと?」
「神に誓う言葉ですが?」
「もちろん知っておるわ。何を誓うのかと聞いておるのだ」
「S級治癒士であることを証明してください。そうすれば対価として白金貨十枚をお支払いしましょう。但し、それが正式なものでなく嘘であったなら、貴方は今まで騙してきた罪を一生掛けて償ってもらいます」
「ふん。いいだろう。しかし白金貨十枚をお前が持っているとは……「ジャラ」」
「この通り持っていますよ。さぁ誓約しなさい」
「いいだろう。もし我がS級治癒士でなければ、罪を償おう」
声高らかに宣誓した。
「はい。じゃあ、あとは任せましたよ?」
「はっ。この度は申し訳ありませんでした」
「貴様、何の真似だ」
「ルシエール殿、初めまして聖シュルール協和国 教会本部所属S級治癒士ルシエルと申します。この世界でS級治癒士は私だけしかいないんですよ」
周りからは俺に対する歓声とルシエールを名乗った彼への野次で騒がしくなっていった。
「な、本物!!」
「はい。後でお仲間も一緒に取調べを受けることになると思う。だからご安心捕まってくれ」
こうして男はガクッと頭を垂れ、応援で駆けつけた兵達に仲間ごと取り押さえられて、詰め所へと移送されていくのだった。
「まさかルシエル様の偽者が現れるなんて思わなかったニャ」
「名を騙られるとは、ルシエル様はもう有名ですね」
「いいことで有名ならいいけど、騙られるのは嬉しくないぞ」
雰囲気も改善して笑顔が戻った。
これで名を騙ったのはチャラにして、詐欺の罪は償ってもらえばいいな。
これならライオネルとブロド師匠の模擬戦に集中出来そうだ。
そこでエスティアが珍しく話しかけてきた。
「ルシエル様はこの街でも人気ですね」
「そうかな? そうだといいな。なんせこの街は俺の第二の故郷みたいなものだから」
「……羨ましいです」
笑顔なのに何処か寂しそうなエスティアに、何処か拠点が出来ればいいな。
そう思いながら、治癒士ギルドの中に移動すると、グルグル巻きになった一人の男とそれを踏みつけるクルルさんがいた。
あまりの衝撃に顔が引き攣った気がしながら挨拶を何とかひねり出した。
「こんにちはクルルさん。忙しそうなら出直しますが?」
「えっ?! ルシエル君じゃない。もしかしてこの人は」
「それはルシエールって男の仲間ですね。先程捕縛しましたよ」
「良かった。ちょっとこれを処理してくるから待っていてね。ほほほ」
クルルさんは男を持ち上げて治癒士ギルドから出て行った。
「あの女性は何者ですか?」
「ここのギルドマスターのはずだけど……何者なんだろうな?」
ライオネルの問いに俺は疑問を返すことしか出来ず、いつもの空気にするという当初の目的は果たしたものの、何故かすっきりしないまま、俺達は治癒士ギルドの休憩室で待機することになった。
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