140 見られる立場
俺はからかわれる教会本部が嫌になり、冒険者ギルドへと退避して来たのであった。そして食堂で溜息を吐いていた。
「はぁ~」
「辛気臭いなぁ。どうした? 聖変様がそんなに溜息を吐くなんて?」
冒険者ギルドのマスターであるグランツさんに今回の件を話すことにした。
「グランツギルドマスターは突然キスされたことありますか?」
ガッシャンと後ろで食器が割れる音がして振り返ると、冒険者ギルドの副ギルド長であるミルティーさんだった。
俺の視線を受けると頬を染めながら、割れた食器を一瞬のうちに回収して厨房へ消えていった。
「何か勘違いさせたか? それともミルティーさんって結婚しているのか?」
「……まぁミルティーのことは放っておいてくれ」
どうやらここでも色々あるらしい。
「……それで何を悩んでいるんだ?」
「最近のことなんですが、女性にお礼でキスをしていただきまして……特に意識はしていないのですが、周囲が勝手に盛り上がってしまいまして」
グランツさんはそっと暖かいお茶を出してくれた。
俺はそれを口に含むと今回の件を話し始めた。
「ほう。鈍感ルシエル殿がねぇ……まぁ相手の身元がしっかりしているなら、いいんじゃないのか? 今まで何も無いのがおかしいくらいだったんだから」
グランツさんは俺の肩を叩きながら、笑ってそう言った。
「鈍感って……今もあまり意識していないんですけど、そういうものですかね……?」
そもそも鈍感なつもりは一切なかったぞ? それよりもどうやって生きていくかを真剣に考えていて、他のことを考える余裕がなかっただけだ。
そう考えると誰か俺の事を好きだと思ってくれていたのか?
それこそありえないな。
好かれるようなことはしていない……筈だし。
「そのキスの相手は嫌いなのか?」
すっかり会話をしているのを忘れてしまった。
ルミナさん……美人だし、凛としていて、笑顔がとても魅力的だ。
だが、恋愛感情があるかどうかと問われれば、ないように思える。
「いえ、好きではありますよ。ただ女性として好きというよりも、尊敬出来る人としての認識が強いんですよね。それにお礼のキスで舞い上がるのもどうかと思って……」
そうこれがきっと本心だと思う。
「恋愛感情で悩むとは青いな。好きか嫌いか判断出来ないなら、とりあえず今まで通りでいいだろう? 何をそんなに悩むんだ?」
「……まぁ色々あるんですよ」
直ぐにメラトニへ向かえば逃げたと思われ、ルミナさんと話そうとすれば周囲が騒ぐ。
お礼のキスで騒ぐなんて思春期の子供か! と叫びたくもなったが、流石に殆どの騎士団員の前で、お礼キスを受けたのは不味かったといえる。
現時点でルミナさんに惹かれているとかと言われればNOなのだ。
胸の高鳴りは感じたが、直ぐに収まってしまったしな。
今後のことを考えても龍や精霊に関係がある女性と巡り会うことがあるとかだけではなく、恋愛感情を抱ける相手と巡り会えるのかが心配でもある。
あれだけ器量、性格が良いルミナさんでも前世のような恋心を抱くことがないのだ。
「この混沌とした気持ちに整理がつくのを待つのも手だろうか? この気持ちをグランツさんに言っても分かってもらえるか、大いに悩む」
「おいルシエル、全部声に出てるぞ」
「えっ? 声に出ていましたか?」
「ああ。気持ちに整理がってとこの件から、俺に対しての失礼な言い回しも含めて全部な」
「……すみません」
別に後ろめたいことをしているわけでも無いのに、何故悩まないといけないのか?
TPOを弁えるべきだったと少し後悔して……でも、お礼のキスを避けたとしたら、ルミナさんを深く傷つけていただろう。
まぁ気がついたときにはされていたから、避けることは出来なかったんだけど……。
「まぁいいけどな。それよりも今日は何をしに来たんだ?」
「今日は気分転換と教皇様から許可をもらっていますので、気まぐれの日を久しぶりに開催しますよ」
「だと思ったぜ。まさか恋愛相談を受けるとは思わなかったから、吃驚したぞ。あ、そうだ。終わったら新作のレシピをやるよ」
「ありがとう御座います」
まだ作っていない料理は多くあるが、基本的に料理は好きだから嬉しかったりする。
「患者を受け入れるから、先に地下へ行っていてくれ」
「はい」
俺は冒険者ギルドの訓練場へと向かうことにした。
久しぶりの聖変の気まぐれ日が開催されて、怪我人だけでなく、腰痛や間接痛を訴えていた患者が続々と集まってくるのだった。
俺は一人一人、時には一気に治療していった。
そして気がついた時にはライオネル達が俺を護衛している事に気がついた。
「……いつから来ていたんだ?」
「ルシエル様がギルドマスターと恋愛話をしていた時からですね」
ライオネルは微笑みながら答える。
「教えてくれよ。質が悪いぞ」
「いつまでも拗ねないで欲しいニャ。そういう態度だから皆、ルシエル様をキス程度でからかうニャ」
「どういうことだ?」
ケティの言い方だと、ルミナさんはもうからかわれていないことになる。
「教会の治癒士筆頭と聖騎士がキスしたら話題になりますが、ルミナ殿はもうからかわれていません」
「……何故だ?」
ケフィンは首を横に振ってそう告げた。
「「唯のお礼だが?」っと、高圧的に接することで、下手なことを言って機嫌を損ねるのは不味いと印象付けたのでしょう」
ルミナさんが男前なのか、俺が女々しいのか、どちらなのだろうか?
「……それなら俺は何故からかわれている?」
「たぶん年下で、怖い雰囲気を纏っているわけではないからニャ」
それって唯単に舐められているってことか?
「それはいじめだと思うんだが?」
「親しみがあり、好感度が高いとも言えます」
「ケフィンって、結構ポジティブだったんだな」
「事実を述べたまでのことです」
はぁ~。
これ以上はさすがに考える時間が欲しい。
分かったことは、俺は常に人から見られているという意識が薄かったてことだな。
キスをされた側が弄られるのだって、そう見えたからだろうし。
親しみっていうのはこういうことではないと思うし、少しは威厳が必要なのかも知れないな。
……これは心身を徹底的に鍛えるしかない……。
「話を変わるが明後日にはメラトニへ向かうぞ」
「「「はっ」」」
三人は理由を聞くことはなく、俺の指示に従ってくれるようだった。
昼食を冒険者ギルドの食堂で取った後、夕暮れまでの間はライオネル達に自由時間を与えることしした。
すると冒険者達と代わる代わる模擬戦をしながら、人材発掘と指導をしてあげながら、俺の護衛をきっちりとこなすことになっていた。
「三人とも滅茶苦茶和んでないか?」
「私達は昔から規律した軍の中で生活をしていたニャ。昔は冒険者を見下していたこともあったけど、この生活も楽しいと思えるようになったニャ」
「そうか。そろそろ行きたいところがあるから、帰るぞ」
「呼んでくるニャ」
ケティは飛ぶようにライオネルとケフィンの元へと向かった。
「この生活が悪くない……か。確かに聖シュルール協和国は凄く住みやすいけど……ライオネル達が従者の立場でいることが本当に正しいんだろうか?」
俺はいつも通りそのことを自問自答しながら、魔道具屋へ向かうことにした。
「おいルシエル、忘れ物だ」
冒険者ギルドを出ようとしたら、グランツさんから新しいレシピ集を渡された。
「悩んだときは料理をしていると気が紛れるぞ」
ニカッと笑うグランツさんからは、普段強面の顔からは想像が出来ない優しさが溢れていた。
「……ルシエル様って、オジ様からモテますよね」
「うわっ!! エスティア?! いつからいたんだ?」
「食堂で食器が割れたぐらいからずっと、遠くから観察していましたよ?」
な、それは完全なるストーカー発言だろ。
「エスティアは我々と一緒に冒険者ギルドに来ましたよ」
ライオネル達と一緒に来たって今まで全く気がつかなかったが、何処にいたんだ?
「……何処にいた? 姿は見えなかったんだけど?」
「気配を消して潜んでいました。ただルシエル様を狙う暗殺者は来なかったので、暇でした」
「……そうか。助かった」
「いえ」
「グランツさん、また数ヶ月後に寄らせてもらいますね」
「ああ」
一気に気疲れを起こした俺はリリィの魔道具屋で、何か癒しの商品があることを願いながら、冒険者ギルドを後にした。
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