135 再び試練の迷宮へ
グランハルトさんの部屋まで来た俺は扉をノックした。
しかしノック音だけで聞こえなかったのか、中からの反応はない。
だが俺は中に話掛けるでもなく、ただ扉の前で待つことにした。
ただの直感ではあったが、ジッと俺が通り過ぎていくのを待っているかのような、妙な緊張感が部屋の中から伝わってくるのを感じた。
暫くしてから再び扉をノックをし、今度は中へ向かって声を掛ける。
「ルシエルです。グランハルトさん、もしくはエスティア出てきてください」
そう告げるとノックしたのが俺だと分かったからか、中から伝わっていた空気感が変わった気がした途端、部屋の扉が開いた。
扉を開いたのはエスティアで、中にいたグランハルトさんは机に前のめりに顔を伏せている。
どうやら眠っているようだ。
俺はその状況を見てエスティアへ問いかけた。
「これはどういう状況だ?」
「あの男があまりにも口調が厳しくてな。つい眠らせてしまった」
エスティア本人ではなく、いきなりエスティアに憑依している闇の精霊と話すことになるとは思っていなかったが、ここで臆することもなく何事もないような感じで闇の精霊へと問いかけた。
「朝から何故エスティアに闇の精霊のおまえが憑依しているのか、それを教えてくれ」
「あの男がネチネチと質問をしてきて、エスティアが口籠もる度に、そこを重点的に突いてくるのだ。これは聴取ではなく、容疑者を探すための取調べだ」
確かにグランハルトさんは堅苦しい上に、質問が全て尋問になってしまう節がある。変に高圧的な態度を取るし、エスティアが驚くのも無理ないかもしれない。
「それで眠らせたのか? 俺の推測だが、まだ今日の取調べが始まってから、それ程時間は経っていないのではないか?」
「ここに着いた翌日から、同じような圧迫した空間の中で取調べを受けるエスティアの気持ちになれ。何度エスティアが部屋を壊そうと思ったことか」
何故グランハルトさんが尋問めいた聴取しているのかは分からないが、エスティアが逃げ出したくなるなんて相当だろう。
女性の聴取には女性も付けた方がいいのではないか?
俺はそこまで考えたところで、それを放棄した。
どうせ この聴取自体が無駄になるからだ。
「はぁ~。まぁいいや。じゃあ、ついて来てくれ」
「何処へ行く?」
不思議そうな顔をした闇の精霊……実際にはエスティアの顔であるが、徐々に不安そう面持ちとなってこちらを見つめ始めた。
「付いてくれば分かる。言っておくが、お前の姉もその場にいる」
「……妙に話が分かるではないか。さては姉様に惚れたか? それともエスティアに惚れたのか? それとも……まさか我に惚れたとかは無しだぞ」
フォレノワールが好きであるのは認めよう。
けど、その後は何だ? ぶっ飛びすぎだろう。
闇の精霊って、何でこんなにウザイのだろう?
オブラートに包む自信が無い俺は深呼吸してから冷静に返答することにした。
「今までの行動を思い返して、俺がエスティアやおまえに惚れる要素があったか?」
「ないのか?」
「……精霊の価値観と人の価値観は違うということを認識してくれ」
精神的に疲れた俺は、眠るグランハルトさんを見て、密かに羨ましいと思いながら、書き置きのメモを残した。
「また後で聴取されるにしても、圧迫された空間での聴取にはならないから安心しろ。さっさと行くぞ」
「本当に話が分かるな。やっぱり本当は惚れたのだろう?」
ウザイ闇精霊をあしらいながら、俺達は再び教皇様の私室へと戻ってきた。
「この門の様な扉は教皇の部屋ではないのか?」
「……見たことがあるのか?」
「ああ……精霊としては刹那な時であるが、楽しみを共有出来た人族がいた……そんな懐かしい思い出がある」
エスティアに憑依している闇の精霊は穏やかに笑った。
レインスター卿との思い出が強いのだろうか?
そんなことを考えて俺は教皇様の私室の前で立ち止まり扉をノックした後、声を掛ける。
「ルシエルです。エスティアを連れて参りました」
「入れ」
中から声が聞こえて扉が開くと、侍女達が私室から出て来て、俺達は入れ替わるように入室した。
教皇様の横に馬……俺は分かっているが、事情を知らない侍女達からしたら、かなりシュールな光景だっただろう。
フォレノワールを見て侍女達が何を感じたのか、それを考えていると不安に駆られたが、気持ちを落ち着けて臣下の礼をとろうとした時だった。その瞬間、教皇様の前にエスティアが歩み寄っていったのだ。
危険だと判断した俺は教皇様の前に立ちはだかったのだが、教皇様は俺の肩に手を置いて、自らエスティアと対峙した。
「久しいな闇ちゃん」
「はぁ~、あの泣き虫フルーナが、本当に立派に教皇をしているとはな」
エスティアに憑依しているからか、普通にガルダルディア共通言語での会話だった。
「……普通に知り合いだったんですね」
「もちろんなのじゃ。全ての精霊と妾は面識がある。ただ当時、妾に力がなかったから……」
「男が昔の話を詮索すると嫌われるぞ」
「ブルル」
本当よ……そうフォレノワールも言っている気がした。
知り合いかどうか聞いただけでこの仕打ち、喋ることは迷宮のことだけに決めた。
「それで? わざわざ挨拶をするためだけに、我の所へルシエルを寄越した訳じゃないのだろ?」
「闇ちゃんと会いたかったのは嘘じゃないのじゃ。呼び出した理由はルシエルから聞いて欲しいのじゃ」
声は神秘的なのに、教皇様が長く喋ると何故か可愛いと思ってしまいながら、俺は今回の件を伝える。
「まずこの教会に迷宮があることは知っているか?」
「教会本部に迷宮だと?……あの昔使っていた施設から闇の波動を感じるが?」
闇の精霊は一旦目を閉じると、直ぐに試練の迷宮に気がついた。
「そうなのじゃ。五十年ちょっと前に出来たのじゃが、数年前にルシエルが単独で踏破してくれたおかげで、多くの同胞の弔いをすることが出来たのじゃ」
教皇様が嬉しそうに語ると、闇の精霊がこちらを見た。
「運良く迷宮がアンデッドしか出ない迷宮だったからだ」
俺がそう話すとエスティアに憑依した闇の精霊は頷きながら、何やら呟き始めた。
「……あの施設が迷宮になるのなら、悪魔系かアンデッド系の魔物が現れる。ルシエルが踏破したということはアンデッド系の迷宮だったということかな?……それで合ってる?」
精霊はどうやら頭が回るらしい。
もしくは小さい粒子の闇の精から情報を拾って分析していたりして?
妄想が膨らむのを我慢して、会話を続ける。
「さすが精霊といったところだが、俺は昨日も迷宮に潜ったのだ。その時に迷宮が再び活発化していたんだ。何か心当たりはあるか?」
「無い。そこまで迂闊な行動にして、エスティアを危険に巻き込むことは出来ない」
「闇の精霊が迷宮に入ると活発化、この場合だと活性化することは考えられるか?」
「闇属性は確かに魔王が使う魔法だけど、瘴気など振り撒く訳じゃない!!」
怒りではなく、悲しみそんな心の叫び声を押し殺した声が聞こえた。
「……知らなかったとはいえ、不快な気持ちにさせて悪かった」
「良い。昔からそう人族の間では言われてきたから、仕方がない。レインスターとフルーナの母……フルーナだけが我の味方だったからな」
先程と同じように柔らかな表情を見ていると、教皇様の両親であるレインスター卿とハイエルフの女性は闇の精霊にとって、とても優しい存在だったことが窺えた。
「闇ちゃん、最近人を操ったりしたことは?」
「我とエスティアの記憶が残らないようにしたり、眠らせたりすることはあるが、精神を弄って操るにも宿主の適性が低いからまだそれは出来ない。例え出来たとしてもエスティアが苦しむことはしない」
精霊が嘘をつくことはないが、嘘をついてもフォレノワールがそれを見抜けない筈がない。
そこまで考えると、後任の祓魔師が断然怪しくなるのだが、力を失っていたとは言っても迷宮を普通の治癒士が踏破出来るのだろうか?
そして俺は閃いてしまった。
「そうなると後任の祓魔師が怪しくなりますが、もう一つの可能性を考えました」
「何じゃ?」
「もしかすると治癒士を含めて、教会の中に帝国の潜伏者がいる可能性があります」
「……ルシエル、どういうことじゃ?」
「イエニスでは数年間奴隷商として潜伏していた男がいました。そう考えると騎士団、治癒士、職員の中に帝国の潜伏者(スパイ)が居たとしても不思議ではありません。まぁ可能性の話なので全てが杞憂に終わることもありますが……」
複数人が手引きされて迷宮に入り、レイス対策の魔道具を装備していたとしたら、この迷宮を踏破することも出来ないことではない。
そう考えられてしまうのだ。
「その件はカトリーヌに任せるのじゃ。ルシエルは迷宮を頼んでも良いか?」
「一人で行きたくありませんが、教皇様の命なら仕方がありませんね」
昔と違って装備もレベルも上がっていると実感は出来る。
此処が他の迷宮なら考えることもなく却下だけど、アンデッド迷宮は相性が良いから引き受けることにした。
ただ前回の違うことが一つ増えそうだ。
「我も一緒に行こう」
闇の精霊が挙手していた。
「レイスが使う精神魔法が効かない人で無ければ連れて行くことは出来ない。同士討ちはごめんだ」
俺は闇の精霊と一緒に行くメリットがないと判断してそう言い放った。
「我にそのような魔法は効かない。当然エスティアの身体に憑依していなくても、エスティア自身も我が宿っている影響で、他から干渉されることはない」
だったらライオネル達にもそれを使って欲しいと思ったが、迷宮自体教会内にあることは秘密にしなくてはいけなかったことを思い出した。
このことは話せないが、似たような説明はしたいと思った俺は出発を遅らせてもらうことにした。
「迷宮に潜ることを従者に伝える必要もあるので、決行は昼食後からでも宜しいですか?」
「全て任せるのじゃ」
「はっ」
「フルーナの頼みもそうだけど、あっちの建物には思い出があるから任せなさい」
「闇ちゃんも気をつけるのじゃぞ」
エスティアが教皇様を撫でるという不敬を犯しながらも、止める術を俺は持っていなかった。
エスティアは名目上、俺の部下になったことを、昼食を取りながらライオネル達に伝えた。
ただ迷宮のことは語らずに、S級治癒士としてのみそぎ修行があると伝えた。
俺が戻るまでの間に徹底的に騎士団を叩き直すことを命令すると、三人は嬉しそうに騎士団を叩き直す計画を立て始めたのを見て、嘘だと分かった上での芝居に付き合ってくれていることが分かった。
「無事に帰還して頂き、早く旋風との再戦をさせて欲しいですな」
「新しい武具の為にも頑張るニャ」
「ルシエル様に恥じないよう、こちらもこちらで全力を尽くします」
三人が心配してくれるのが凄くありがたく思いながら、俺は一言だけ発した。
「感謝する」
それ以上言葉を続けると目頭から熱いものが流れそうだったので、笑いながら迷宮入り口へと続く魔導エレベーターに乗った。
昨日の感じだと問題は四十階層のボス部屋と五十階層のボス部屋。
それと……闇の精霊も気をつけたほうが良いのだろうか?
魔導エレベーターが開くと、そこには闇の精霊ではなくエスティアが待っていた。
「準備はいいか?」
「はい。ルシエル様宜しくお願いします」
「ん? 闇の精霊は?」
「危険になるまで手は出さないらしいですが、瘴気は完全に遮断するから安心して欲しいと言っています」
困った顔で笑われると、何故こちらが悪くないのに罪悪感が生まれるのか?
「じゃあ行くか」
「はい」
こうして俺たちは試練の迷宮へと足を踏み入れることになった。
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