111 妥協ライン
安眠は出来たけど、悩みは解決していなかった。
まぁ当然のことなんだが……。
俺はそう思って目を開けた途端、何かと目が合った。
「どわぁ」
俺は目の前にあった何者かの顔を全力で押しのけた。
顔にかかっていた生暖かい風も手の平で擦る。
「痛いわ。これが愛の鞭なのかしら……それだったらテンションが上がってくるフォー」
「この背筋が冷える感覚と、そのフォーって掛け声……トレットさんですか?」
顔がアップ過ぎて、化粧したおっさんである事しか分からなかった。
しかも距離にして十センチもなかった……大丈夫だよな?
「そうよ。また眠ってくれてもいいわよ。今度こそいただくわ。さっきはもう少しだったのに……」
どうやら大丈夫だったみたいだ。
未だに心臓の鼓動がドックンドックンと早く高鳴り、まるで暴れているようだった。
俺は一度深呼吸をしてから、トレットさんに問いかけることにした。
「遠慮させていただきます。それにしてもトレットさんはどうしてこちらに?」
「面白そうなニオイがしたから……っていうのは冗談。教会本部で、ルシエル君がお仲間を引き連れて、ロックフォードに向かったって聞いたから、来たのよ」
「本当ですか? それはありがたいです。実は土龍のブレスを受けて瀕死になったんですけど、鎧とかローブのメンテナンスを心配していたんですよ」
「う~ん、自動修正機能がついているから平気だと思うけど、後で見せてもらうわ」
「宜しくお願いします」
「じゃあ服を着替えて、鎧を貸して」
「はい」
俺は変身鏡ドレッサーで着替えると、ドレッサーから武具一式をトレットさんに渡した。
「ポーラちゃんの工房でメンテナンスするから、あとで顔を出してね。久しぶりのいい武具に心が躍るわフォー」
一緒に地下の工房へ行こうとしたが、トレットさんは足早に部屋を出て行ってしまった。
「まるで台風だな……ポーラの魔道具製作の師匠がトレットさんなら、ポーラが無口なのも、あの魔道具に対する知識も分かる気がする」
俺は笑って、ベッドに再び腰を下ろして、現在の状況を整理することにした。
龍達が苦しんでいることを知っている身としては、全てを解放してあげたいと思うが、現実的ではない。
全てが迷宮の最奥にいるからだ。
それにしても移動二日の場所を土龍が揺らしていたことを考えると、土龍はそれだけでも脅威だったんだと感じる。
ブレスももちろん脅威だったけど、ずっと地震を起こし続けられたら、今回のように蟻の魔物が活発になり、尋常ではない被害が出ていた筈だ。
……それを考えると、今回はたまたま龍の解放が先になっただけで、これを迷宮だったと仮定した場合は、各ボス部屋にいる魔物達が未だに存続しているということだ。
「蟻の魔物を生み出す女王蟻みたいなものが存在するなら……ここも安全ではないんだよな……」
そんなところに奴隷の立場だったとはいえ、尽力してくれたドラン達が苦しむことが分かっていて、平気で知らん顔出来る程、面の皮が厚いわけでも、肝が据わっているわけでもないのだから、どっちつかずな自分に嫌気がさす。
今回の加護をもらったことで、土属性の適性を取得したけど、やはり魔法書がないので、この恩恵を感じることが出来るのは当分先のことになりそうだった。
魔法士ギルド……あとは空中都市に行ってみたいと明るい未来を想像するが、結局地盤を固めないことには何にも前に進まないという結論に至ってしまう。
「これ以上考えても堂々巡りにしかならない。だったら、戦闘は皆にやってもらって、俺は安全圏で回復支援をしていればいいじゃないか」
平和な日常が訪れるようにと祈りを捧げてから、俺は工房へと下りていくことにした。
俺が地下に下りると、ケフィンの姿があり、ケティの姿が見えなかった。
「ケフィン、外の様子はどうだった?」
「ルシエル様、もう大丈夫なんですか?」
「ああ」
「それは良かったです。現在は残した穴から蟻の魔物が出てきますが、一箇所のみで、あの後から穴が増えていません。その為、出てくる蟻の魔物の数は多いですが、同時に出てきているわけではないので、対処に困ることはないレベルです」
「……例えば千匹の蟻の魔物にライオネル達と囲まれたとして、勝てる自信はあるか?」
「……十分な広さと、同時に攻撃されても回復してもらえて、武器が壊れなければ何とかいけると思います」
ケフィンは言葉を選びながら答える。
まぁ察してしまったということだろう。
別に死地に行きたくなるのは、戦場で死に場所を求めている者か、余程の戦闘狂かの二択だろう。
「状況を次第だ。それにドワーフ族は屈強で頑丈な種族らしいしが、性格は頑固なものが多いと聞く。
要請がなければ、採寸が終わり次第、皆でメラトニの街へ向かう予定だ」
「俺はどちらになってもお供させていただきます」
そう言ったケフィンの眼には、覚悟が映った気がして、少し嬉しくなった。
「ドラン達にも今の話をすることにする。情報収集と……もしかするとドワーフ王国に行ってもらうかも知れない」
「適材適所ですね。大丈夫です。ヘマはしません」
ケフィンは笑いながら、ドランの工房の扉を開いてくれた。
「ちょっといいか?」
工房に入ると三人は手を止めてこちらを見た。
「おお、もう大丈夫なのか?」
「ええ。起きた時にトレットさんの顔が俺の顔近くまで迫っていて、色々と精神的にダメージがありましたが、魔力枯渇による気持ち悪さはありませんよ」
「……そうか。ルシエル様はトレットを知っておったのか」
「ええ。いつも纏っているローブはトレットさんが作ってくれたものです」
「……昔は普通の狐獣人だったんじゃが……ポーラが懐いているからそれでいいんじゃが……」
ドランは暗い顔で俯くのだった。
「……ルシエル様、あの御仁が防具を担当することになったのですが、大丈夫ですかな?」
「腕に関しては問題ない。後は対価だけど、お金だったら払うけど、人的だった場合はライオネルが自分で頼む」
俺は笑顔でそう告げた。
ライオネルは絶句した顔になったが、俺はそれをスルーしながら、先程ケフィンに話したことを伝える。
「……というわけで、採寸が終わり次第ここを離れることも考えておいてくれ」
「……ルシエル殿感謝致す。ドラン、王への手紙を書くぞ」
「はい、グランドの兄者。やっぱりルシエル様じゃな。これからも精神誠意、尽力させていただきます」
ドランはそう言って頭を下げて、グランドさんと手紙を書くことになった。
「ルシエル様、穴の中はそれ程広くはなかったのですな?」
「高さは二メートルぐらいだったな。大剣は突き刺すことしか出来ないかも知れない」
ライオネルは戦闘に行く気が満々で、シミュレートしているようだった。
手紙を書き終えた二人は、ケフィンにドワーフ王国への入り方をレクチャーするのだった。
「ケフィン、無理はするなよ。お前の仕事は生きて帰ってくることで、手紙を届けるのは、その次いでと考えていけ。それと魔力認証……あとゴーレムの間の問題と答えをいくつか聞いていった方が良いぞ」
「魔力認証は既に済ませてありますが、……そうですね。いくつかの問題を答えられないと出入りが難しくなるんでしたね」
「他意はないからな。じゃあケフィン、任せたぞ」
「はっ」
俺はドランの工房から、ポーラとリシアンの工房へと移動した。
「ポーラ、シリアン。二人には今からライトみたいに暗闇を照らすことの出来る魔道具の開発を頼みたい」
「魔石がない」
「それにライトは既に十個くらいはありましたよね?」
「……悪い、話の順番を間違えた。
もしかすると、中央広場の穴から出てくる魔物を、こちらから倒しに行くことになるかも知れない。
あと魔石は解体を済ませていない蟻の魔物から取り出す。それを渡すからそれで何とかしてくれ」
「分かった」
「分かりましたわ」
二人は頷いてくれた。
「それで? 私は何をすればいいのかしら?」
「戦闘になる可能性がありますので、メンテナンスを宜しくお願いします」
「う~ん、つまらないけど今回は仕方ないわね」
「あっちの工房に色々鉱石がありますので、それも使ってください。メンテナンス料金は後でお支払いします」
「いいわよ。じゃあ任せておいて」
「お願いします」
こうして皆に指示を出すと、俺は急に暇になってしまったので、戦闘となれば大量の食事が必要になる可能性もあると考え、料理を作り始めるのだった。
お読みいただきありがとう御座います。