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ドッペル!  作者: 吹岡龍
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〔彼-hi〕③ 日吉ヒヨコ

 死せずして、生を知るに及ばず。

 日吉(ひよし)ヒヨコという二二歳の女は、この言葉を死んでからしばらくして教わった。何万年も昔の死人が遺した言葉らしい。

 死んで神も仏もいないと悟った人々が次の心の()り所に選んだのが、この言葉だった。その言葉の真意を巡っては多くの有識者が話題に挙げ、ときには見解の相違から口論になることがしばしばあるほどで、やれ生の尊さを説いているだの、やれ死んでこそ真実が見えるという意味だのと、いつも同じ水掛け論に終始するのである。しかもこのやり取りを、それこそ何万年も、何代にも渡って継承していると聞くから、人というものは死んでさえも成長しないなとヒヨコは嘆息まじりにぼやくのだった。

 切れ長な目に、細くつり上がった眉、口元はややへの字で、すっきりとした輪郭。髪は短くボーイッシュでオールバック気味。身長は一七二センチメートルと女性にしては高く、線は細いものの筋肉質。名は体を表すとは何のことやら、ヒヨコとはまさしく名ばかりの、軍鶏(しゃも)など目じゃない怪鳥ばりに強そうな女である。

 正確に言えば、その名があったから彼女はそのようになってしまったと言っても過言ではない。中学生に上がるまでにはすっかりグレてしまい、高校には通わず地元の不良グループに参画し、ついには女だてらに関東最大の暴走族の総長にまでなっていた。身内のみならず警察をして“無頼(ぶらい)鳳凰(ほうおう)”と恐れられた彼女が亡くなったのは二〇年前のこと。殺人などの凶悪犯罪以外ならどんな無茶でもやってきた彼女は今、地獄(じごく)ではなく天国にいる。

 何故だかは彼女にも分からなかった。確かなのは、生前の彼女の行ないに、天国行きのチケットを手にできるに相応しい何らかの善行があったということだ。

 死者にはさほど意味のない“睡眠”という行為をするたびに、ヒヨコは自分が何故ここにいるのかを自問する。答えはやはり出なくて、誰かに問うても出ることはなかった。

 天国――死人曰く、〈天界(てんかい)〉と呼ばれる広大で豊かな空間の一角に、彼女が住むアパートがある。六畳一間の狭い部屋にはベッドと足の短いテーブルがある。隅には三つ折りの敷布団があり、同居人が今日も帰っていないことを教えている。

 赤地のスウェットを上下に着こんで、背中に赤、青、緑、金、銀、五色の刺繍で仰々しく鳳凰が描かれた白いスカジャンを羽織る。息絶えた頃の服装は生前から気に入っていたコーディネートだ。当時、そんな格好で通りを歩いていればご近所様から世間様まで奇異の目で見られること請け合いだったが、ここ天界では誰かを外見だけで批難するような狭隘(きょうあい)な心の持ち主はほとんどいない。たとえいたとしても、決して口を滑らせることはない。

 皆、地獄――死人曰く〈獄界(ごっかい)〉が怖いのだ。

 天界の法を破ったならまだしも、今まで陰口を叩いたくらいで天界から獄界へ連行されるような者はいた(ためし)がない。それでも本音を話さないのは、伝聞でのみ知る獄界のあまりの凄惨さに心底恐れ(おのの)き、何より〈自分達は善良だったから天界にいるのだ〉という自負心が彼らにはあるからだ。

 それに、ここには貧富の差がない。体裁がない。淀みがない。乱れがない。生きるために行なっていたあらゆる面倒な行為が不要なので、日がな一日何もしなくても誰も(とが)めることはない。それによるリスクさえ皆無、すでに死んでいるからだ。だからむしろ、ヒヨコのように朝からせこせこ働こうという者は珍しいほうだった。

 生前からの習慣か。道端で主婦が打ち水をしている。その水はやはり紛い物で、それらしいものでしかない。道に放たれたそれはすぐさま消えるが、真夏の陽気によるものではない。空は雲一つ、太陽一つなく、青い空そのものが柔い光を降らせているだけだ。

 全てが(ばく)として、(うつ)ろ。それが死後の世界――天界や獄界――すなわち〈死界(しかい)〉である。

 この二〇年、ヒヨコはこんな(むな)しい場所で暮らしている。こうしてアパートの外に出るたびに偉い人の言葉を思い出す。死んでみて初めて、心臓が脈打ち、風が頬を撫で、未来に対して不安を抱くような当たり前の実感ある日々がいかに幸せであったかを思い知らされる。

 知らなきゃよかったとさえ、思うものだ。

 だが偉人の言葉の“真意”を思い浮かべると、そんな後悔や未練さえも露と消え、途端に干乾(ひから)びてしまう。

 死ななきゃよかったと、思うものだ。

 余計なことを教えやがって。彼女の神経を逆撫でするように、愚痴の矛先が呑気に声をかけた。


「おはよー、ピヨちゃーん」


 シケた面をしてスカジャンのポケットに両手を突っ込み、背を丸めて歩く彼女は足を止めた。地べたに向けていた視線を上げると、相変わらず薄っぺらい笑顔をひけらかす女が両手を振っていた。


「アカネ……」

「ピヨピヨ、待ってたよごっ!? いったぁーい!」


 ヒヨコは何の前触れもなくアカネという少女の脳天に木刀を振り下ろした。道行く人々がそれに驚くものの警察に通報しようとしないのは、天界ではどんな悪事も起きやしないと思っているからだ。木刀だろうが真剣だろうがバールのようなものだろうが、平和ボケしたこの世界は、法を頑なに守ろうという原理主義者達を除いては、彼女のあらゆる乱暴を受け入れても充分に余るほどの度量を備えている。

 頭を押さえてしゃがみ込んでいたアカネは、落ちたハンチング帽をかぶりなおした。小柄な彼女はチェック柄のレディーススーツを着ている。まるで昔の西洋の駆け出し記者のような格好だ。


「痛くされるようなことをしたお前が悪い」

「いいじゃん、ピヨちゃん。可愛いじゃん」

「お前、次それ言ったら絶交どころじゃすまねぇからな。事務所、消し炭にしてやる」

「そんな悪役のセリフ、天界で聞けるとは思わなかったよ」


 アカネはヒヨコの後ろに目を向けた。いつも彼女が連れている同居人の姿が見えなかった。名前から言えば、ヒヨコがその同居人の後をついて回っていれば面白いのにと思ったのは内緒である。


「今、くだらねぇこと考えたろ」

「んーん、何にも」


 白々しい真顔で首を振った彼女は、「いないならむしろ好都合なんだよね」と意味ありげに微笑んだ。


「……何か掴めたのか?」

「ザッツラ~イト。ちょびーっとだけ時間あるかな」


 アカネは車道を挟んだ向かいの喫茶店を親指で指した。

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