〔愁幕-shumaku〕
天を目指し歩いた。なだらかな坂道を上るように、一歩一歩着実に。
遅れて到着した御重永アサコにしばらくの仕事を任せ、日吉ヒヨコは古城ミチヒデの送迎を買って出ていた。本来ならばはじめにミチヒデを見つけた神野ハナが行なうべきだったのだが、彼女にとって最も辛い魂の波動を乱発したせいで意識が衰弱してしまったようで、今はヒヨコにおぶられている始末だった。
ヒヨコは無理をさせた私の責任だと理由をこじつけていたが、彼女を背負うその姿は我が子を想う母親のようにも見え、とても嬉しそうだった。
「ヒヨコさんって、見た目に似合わず優しいですよね」
「お前殺されてーのか」
「波動は勘弁してくださいよ」
舌打ちして、切れ長な目を天界へと続く白い世界に向けた。
私はな、ろくな女じゃないんだよ。天界までしばらくかかるからと、ミチヒデはヒヨコの昔語りに付き合った。
「私はこの見た目どおりだ。親がこんなくだらない名前をつけやがったもんだから、周りからいつも詰られてな、小学生のうちにすっかりグレちまった。可愛いからって何だよ、もっとマシなのなかったのかよ、なぁ?」
ご尤もですとミチヒデは同意すると口を噤んだ。余計な合いの手を入れるのは自殺行為だろうと耳を澄ませた。
「中学も中退、気付けば高校なんて通わず関東最大の暴走族の総長にまでなってた。重犯罪以外は、まぁ色々やったな」
自然とその絵面が想像できてしまった直後、ふと疑問が浮かんだ。
「分からないんだ、どうして私がこんなイイ場所にいるのか。きっとドッペルゲンガーの一人になった奴の中には、霊にさえならなければ私よりもよっぽど善良な奴がいたはずなんだ。それなのにどうして、私はここにいる」
それは自問自答のようだった。ミチヒデは彼女の二の句を待った。
「殺されたのも当然なんだ。自分と同じように何かに嫌気が差して非行に走った子を誘うような真似を散々やってきたもんだから、その親の逆鱗に触れて――」
ミチヒデの左首筋に電流が走った。おっといけねと彼女は漏れかけていた波動を寸前で食い止めた。
家庭や世間との不和、軋轢。そんなものをきっかけに少年少女は道を見失ってしまう。彼らにとって、ヒヨコの姿はとても輝いて見えたことだろう。そしてヒヨコも彼らを可愛がったに違いない。類は友を呼ぶ、そんな誹りも押し退けて、彼女達を見守っていたのだろう。
ある日、彼女を慕う少女の一人が暴行を受けた。腕や足は捻挫や骨折、鼻柱も折られ、後頭部を強打して意識不明の重体に陥った。
「彼女が運び込まれた病院に駆けつけて愕然としたよ。彼女に手を挙げたのは実の父親だったんだ」
固く瞑目する彼女の姿が、少女の有様を語っているようだった。
少女は父子家庭で、母が蒸発してから父の態度がおかしくなったので非行に走ったらしい。仕事帰りの彼はいつもイライラしており、同じ空間にいたくなくて夜はヒヨコと一緒にいたのだ。
事件当時は間が悪かった。昼間、父が帰ってくる前に家を出ようと支度をしていると、早引きした彼と鉢合わせてしまったのだ。変わり果てた娘の姿に怒り心頭に発した彼は彼女を薙ぎ倒し、腕を盾にする彼女を蹴りつけ、立ち上がったところを顔面に拳を放ったのだ。その勢いが強く、彼女は家の柱に頭をぶつけてしまった。
我に返った父は救急車を呼び、まもなく警察に自首した。
「あの子は真面目な子だった。外見こそは私達に合わせていたが、いつも勉強道具を抱えて来ていたんだ。彼女は色んなものに気を使っていた。父親にも、私達みたいな連中にも。本当にいい子だった。だから、私は警察署に殴り込んだ」
相手は一人だ。私一人で落とし前つけてくる。
同じように憤慨する仲間を説き伏せて、彼女は単身警察署に足を踏み入れた。あの巷を賑わす女総長“無頼の鳳凰”のお出ましだ。警察手帳を携帯するあらゆる者達が彼女に制止を呼びかけたが、屈強な男共も何のその。押し退け、倒し、少女の父の取調べが行なわれている一室を探し当てて突撃した。
右手を真っ赤に腫らした男がパイプ椅子に座り、頭を抱えていた。刑事と同時に彼女を一目見るや、その容姿からすぐに娘をかどわかした女だと直観したらしく、お前かと怒鳴り散らした。
『よくもショウコを惑わせやがって!!』
『娘をああも殴りつける奴が親の面かぶってんじゃねぇっ!!』
罵倒、押し合い圧し合い、取っ組み合い。刑事が二人をそれぞれ羽交い絞めにして引き剥がした。
瞬間、ショウコの父が刑事の腕を振り払った。刑事課の机の一つからボールペンを取って、拘束されて身動きが取れないヒヨコの左首に振り下ろした。
ノック式のそのボールペンは先端がすでに出てしまっていた。それは余計に彼女の肌に穴を空け、動脈を破る致命傷となってしまった。
現在、大怪我からすっかり回復して無事退院したショウコは、アパレルの仕事を辞め、結婚。一児の母となり、幸せな家庭を築いている。殺人の現行犯で逮捕された父は服役中だが、彼女の旦那はそれを理解し、彼女を支えている。ショウコとしては縁を切ったものとして生きているらしい。
「変わらないんですね、今も昔も」
ミチヒデの言葉にヒヨコは足を止めた。
「アナタはやっぱり優しいんだ。ちゃんと人を見ている。短気だけど、分別をつけられる人です」
「何を……」
「ショウコさんはアナタがそばにいるから勉強できたんですよ。勉強ですよ、普通騒々しい場所でしたいと思わないでしょ。アナタが真実悪い人なら、そんな真っ当なことを許さないはずですしね。アナタが優しくて、何より強いから憧れたんじゃないですか」
そいつみたいに。
ハナを顎で示す。ヒヨコは眠りこける少女を横目で見て、天を仰いだ。
アサコの恋人と同じように、ショウコもまた、彼女の命日に墓参りに訪れている。それが何を意味するのか、ヒヨコはさっぱり分からなかった。非行に走らせ、父親を犯罪者にした迷惑な女を弔う理由がどこにあるのかと。
「アナタは救ったんですよ。そいつやオレをそうしてくれたように、彼女の未来を」
深く目を閉じた彼女は、堪らずミチヒデの尻を蹴った。
ナマ言ってんじゃねぇっ。そう悪態をつく彼女の耳は真っ赤に染まっていた。
「次はお前の話を聞かせろ」
「オレの話? 退屈ですよ、きっと」
「んなもんどうでもいいんだよ、語ることに意味があるんだ」
先を行く彼女はしばらく歩くと、「この先で、聞かせてくれ」
白い世界にあってその先だけは輝き歪んでいた。これが至天門、天への入口。
ヒヨコは寝ぼけ眼のハナを下ろすと、踵を揃えて背筋を伸ばした。臍の辺りに軽く握った右手を置き、それを隠すように左手を乗せた。似合わない微笑を湛え、「古城ミチヒデ様、大変な悲しみを背にようこそおいでくださいました」と深く深く慇懃にお辞儀した。
「ヒヨコさん……?」
「ご愁傷様でございます。そして天界へ導かれたアナタ様の善良な働きを、心よりお祝い申し上げます」
もうしあげごじゃいましゅ。
ハナも続けてお辞儀するが眠たそうだった。最期くらいは噛まずに言ってみろよと思ったが、それが彼女らしさかと思うと指摘するのはバカらしかった。
この先で何を語ろうか。
ミチヒデは少し思案したが、そんなものは選ぶほどないと思った。
「ありがとう」
オレは、古城ミチヒデ。享年一七歳。
来宮ユウミと神野ハナ、二人の関西女子に救われました――。
――――全ての生ある者達に、命を育む世界の全てに、温かく優しい幸あれ――――
〔了〕
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T・F




