〔怖-fu〕⑤ 魂の波動
霊落寸前だった男が生前住んでいた六階建てのマンションの外。彼の部屋に面した空中に、五人の死物が集っていた。
「日吉ちゃん、遅刻よ!」
窘めるアサコの声は弾んでいた。安堵感もあるのだろうが、このピンチ、ここぞとばかりに駆けつける日吉ヒヨコのヒーロー性に感心していたのかもしれない。
赤いマントさながらに白いスカジャンを翻した彼女は、「申し訳ありませんでした、地区長」と深々と頭を下げた。そしてすぐに背筋を正し、胸を張り、両腕を背に隠した。
「いや、ビンタなんてしないわよ」
「いいえ、罰は受けます」
「……始末書は回避できないわよ」
早々に目論見を破られたヒヨコは、そっぽ向いて舌打ちした。嘆息を漏らす上司の肩越しに少年の姿を見つけた。学生服を着た、冴えない子供だ。死後二日程度、どうやら腹に一物あり。彼女は一瞥してそれを直観すると、彼と目が合う前に視線をハナに戻した。
少女はまだ足下で顔面を押さえて悶絶躃地の有様だった。
「目の前の魂を見ろ。すっかり怯えてるじゃねぇか」
涙目になりながら、押さえる手の隙間から男の姿を捉えた。視線がかち合うと彼は全身を強張らせ、腰を抜かした格好で後ずさっていた。
「で、でも、この魂、霊落しようとしてたから……」
「霊になりたくてなるヤツなんているか。コイツだって、事前に話していれば少しは考えることもできたはずだ」
「違うのよ、日吉ちゃん。私がもっと……」
痛いところを突かれ、アサコは肩をすぼめてしまった。粘り強く彼を説得できず、霊落しようという彼を見限ろうとした。ハナが来なければ、彼を救えなかった。
「それこそ的外れですよ。この馬鹿、ひと月も天顕疆界にいながら魂をろくに救えてねぇんですよ」
「こ、今回はアレでしたけど、さっきやってリミット前の魂を送迎するところで……」
「コイツが、そうか?」
飛び火した。ヤンキー風の女の鋭い視線が、今度は堂々とミチヒデを穿った。
生前と同じだとヤンキーは思った。老若男女問わず、一睨みで縮み上がって目を泳がせるのだ。“メンチを切る”、“ガンを垂れる”、そうした行為は自分の歩く道から邪魔者を排除することに使ってきたが、死界では主導権を握ることに活用できる。彼女は登場から一分足らずで、この空間を支配していた。
「おい、そこのブタ」
ぐひゅっ。巨漢は腰を抜かしながらも飛び跳ねた。左右に顔を振り、目を白黒させながら自分を指差した。
「テメー以外に誰がいんだよ」
「お、お言葉ですがその表現は間違いですっ! ブタはああ見えて脂肪が少なく、人間で言えばアナタのような細くて貧にゅ――」
死界にも空気というものが存在するのなら、それが有するだろう温度や雰囲気のようなものが一変した。凍てつき、鋭く研ぎ澄まされた。しかし一方で何かが爆ぜたような熱量もあり、それがヤンキーから全方位に輻射されているのだとミチヒデは気付いた。
その変異は、男が霊落寸前に放っていたものと似ていた。だからだろう、皆、とりわけ死んで間もないミチヒデと巨漢はその空気に当てられ、絶句してしまった。
「未練は断ったか?」
「ひへ?」
「そこのガラクタのことを忘れる決心はついたかって聞いてんだよ、クソが」
「おこと、お言葉ですがその表現は――」
男は振り返り、窓越しに自分の部屋を覗いた。部屋の中はやけに物が散らかっている。本棚からは本やらフィギュアやらが飛び出し、コップは木っ端微塵に割れ、扇風機は首根っこが捥げてしまっている。彼が霊落へのプロセスを開始したことにより、顕界にまでその影響が齎されたのだ。俗に言う、霊障、ポルターガイストである。
それに怯え、また亡き息子の怨念と覚え、額を床に擦りつけ続ける実母の痛ましい姿があった。しかし息子は目もくれず、彼女の傍らに転がるフィギュアの半身を見つけて絶叫した。我を失くし、這いずって窓をすり抜け部屋に戻った。どうやら捥げた扇風機の頭がフィギュアの上に落下してしまったようだった。
またもやフィギュアに手を伸ばすが空を掴む。男はおいおいと涙を流し、「誰が、誰がこんなことをををっ!?」と場違いな問いを周囲に叫んだ。
「お前がそうしたんだよ」
「お、俺が!? そんなはずない、俺はリィーノを愛してるんやぞ!」
ミチヒデやハナが白目を剥く中、ヒヨコは色眼鏡を外して説明した。母親と思しき女性を指差して、その息子に伝えた。
「私ら死物と彼女らの世界は隔絶されている。二つの世界を繋げられるのは死物から霊になることだけだ。霊になろうとしたお前の強いエネルギーが彼女らの世界まで届いて暴れたんだよ。愛よりも憎しみのほうが勝っていたみたいだがな」
かつての仕事場で起こった、人生のターニングポイントについて言い当てられた。何が分かると、男は憤慨した。「アイツらが悪いんや!」と叫ぶ男に、ミチヒデは他人事ではない妙な親近感を覚えざるを得なかった。
「アイツらみたいな杓子定規なクズがおるから、俺達はいつやって生きていけへんねん! 何で好きなもんを好きて言うたらアカン!? 何でアイツらの好きは肯定されて、何で俺達の好きは否定される!!」
「キモいからだよ」
バッサリだった。ヒヨコの目の色は変わっていない。最初から、汚物を見るような目のままだ。
「お前らみたいな連中はどれも一緒だ。相手に理想を叫ぶわりに、自分達が最もその趣味を悪く恥ずべき物だと思ってるんだ。その趣味に誇りがあるなら堂々としていりゃあいいんだよ、誰に何と言われようとな」
「理想叫んどんのはお前ら女のほうやろ! 学歴コンプうぜぇんだよ、クソ×××が!!」
「論点がズレてんぞ。つぅか、テメーが一番コンプ持ちだろうが、臭ぇんだよ」
「ちょ、ちょっと日吉ちゃん、言い過ぎよ」
アサコは辟易しながらも二人の仲裁に入ろうとする。ヒヨコは見向きもせずに、「お前のその感情は逆恨みってやつだ」と続けた。
「もっと図太く生きていればよかったんだよ。オタクなんてもんが世間から賞賛されない類のもんだと解ってたはずだろ。だったら他人の意見なんて聞かず、好きを好きなまま貫いていればよかったんだ。中途半端なんだよ、格好をつけたいのか、そんなものに見向きもせずに好きなことをやりたいのか、どっちだったんだ」
問いかけられた男の目には怒りが滾っていた。それは明確な殺意で、ミチヒデもその危険な熱量に息を呑んでいた。それでもヒヨコは臆せず、その口を動かした。
「本当にそれが好きだったら、それを守るために戦えばよかったんだ。つまらん偏見に怯えて暗く狭い場所に逃げ込むから、偏見の目がより強く厳しくなるんだ。貼られたレッテルを剥がさなかったのはお前ら自身なんだよ」
「くっ、くっそおおおおおお!!」
男がヒヨコに拳を振るう。男は星を指されたと自覚していた。思い出すのは会社での一幕だ。
昼休憩、自分のデスクに放置してしまっていたパスワード解除済みのスマートフォン。それを勝手に覗く同僚の男。きっと彼の弱気な、少し風変わりな態度から、ある趣味嗜好を持つ人物なのだという偏見を持っていたに違いない。同僚の思惑どおり、彼はアニメオタクだった。スマートフォンにはアニメのヒロインの画像が何枚も入っていた。同僚はそれを面白がって、女性社員にも見せた。彼女が彼を煙たがっているのを知っていたからだ。
スマートフォンを忘れたことに気付いた彼が帰ってくると、彼のスマートフォンは課内をたらい回しにされていた。同僚が大きな声で彼の趣味嗜好を暴露した。女が軽蔑を口にすると、他の男達は彼女らの目を気にして同調する道を選んだ。ちょっとした漫画の話題で盛り上がったことのある上司も部下も、挙って敵に回った。
世界は単純な形をしている。子供も大人も関係ない。意にそぐわない者は排除され、淘汰されるのだ。個性など、協調性の敵でしかない。
彼は何も言えなかった。きっとそれがいけなかったのだと今では思う。いや、あの後、家に帰ってから思っていた。恨みと自己保身が堂々巡りする頭の片隅で、何か言い返せたのではないのかと。社会人なんだ、相応の対処だってできたはずだと。しかし現実的ではない、無力は何をやっても無力でしかないと打開の道を何もやらずして閉ざしてしまった。
何か、できたのだろうか。あそこで何かしていれば、人生は変わっていたのだろうか。
そんなもの、今更どうにもできない。死んでしまっては、もう。
確かに逆恨みだった。ヤンキーと言うべきか、スケバンと言うべきか、およそカタギには見えない女の説教に業腹だったが、明瞭な後悔を抱いてはじめて分かる。
俺は、自分を変えられた。その可能性の芽を自分で摘んだのだと。その芽は、逃げてから死ぬまでずっと、心に後悔という姿で育まれていたのに。
皆が男の心の声を聞いていた。しかし拳に殺意を感じ取るや、ハナがヒヨコの前に躍り出た。ハリセンを構え、彼を迎え撃とうとしたのだ。
しかし、ヒヨコがそれを断った。自分に向けられた拳を、後輩に処理させるわけにはいかないとばかりに彼女の肩を掴んで後ろに引いた。スカーフを解き、ブラウスの第一ボタンを外した。迫り来る拳が鼻先に触れるその瞬間、男の魂に衝撃が走った。正確には彼だけではない、ミチヒデをも巻き込んだ。
まるで左の首筋に雷が落ちたようだった。それは喉まで届き、首が弾け飛びそうなほどの熱と痛みを伴って全身を麻痺させた。
男の身体は激痛から逃れようと右へ傾いた。自然、拳は空を切った。男達の絶叫が天顕疆界を震わせた。両手で左首筋を押さえ、身悶えた。生前に宿命付けられた生理的反応が正しく表現されたように、口角に血の混じった泡が溜まっていた。
何だ、今のは。細長い円柱状の何かの輪郭を目蓋の裏に浮かべながら男達は喘いだ。
「どうだ、“私の過去”の味は」
彼らの網膜には一瞬を切り取った光景が焼きついていた。残像で歪む鋭利な物をこちらに向かって振り上げる、狂気に満ちた中年男の形相だ。
ミチヒデは身体の震えを止められなかった。まるで当時の誰かと心身がシンクロしたかのように、恐怖で竦んでどうにもできなかった
「魂は記憶を蓄積する。魂は記憶を放射する。放射されたそれを、私らは〈魂の波動〉と呼んでる。肉体も大気らしいものもないにも拘らず、お前らにこうして声が届いているのはその波動によるものだ。波動は、記憶だけじゃなく感情・思念さえも伝播する」
ミチヒデは気付いた。痺れて動かない首の代わりに、怯える瞳だけを少女に向けた。
「さっきまで空間を満たしていたデブの声や映像がそれだ。死んだばかりの奴はその波をコントロールできねぇから全身から垂れ流しちまう。だからそれに触れれば――一目見れば、そいつが霊落するタイプかどうかを判別できる。ガキ、お前みてぇにな」
「オレの本音が判ったのって……」
出会い頭の一発。ミチヒデの頭の中は偽者に対する殺意で満たされていたが、あの不意打ちが感情の高ぶりを途絶えさせた。
ハナは彼の傍で両膝をついた。
「正直言うと、見つける前から警戒しとった。アンタ、霊落しようとしとったから。随分遠くまで届いとったで、心の声」
絶句するミチヒデをよそに、巨漢が上体を起こして問う。
「俺にどうしろって言うんだ。いつの間にかこんなことになって、リィーノも失って、俺はこのまま成仏しなくちゃならないのか……!?」
「魂は不滅だ。ただし死後から一〇〇〇年後、天界の法に則り、私もお前も必ず覚めることのない眠りにつく。何をどうするべきか、それまでに考えればいい」
一〇〇〇年。その意想外の未来を提示され、巨漢から邪な感情の一切が溶けて消えていった。
彼の様子に安堵したアサコは、決意した面持ちで彼の部屋に足を踏み入れた。母親の隣に腰を下ろし、「ハナちゃん、手伝ってくれる?」すぐに彼女のやろうとしていることに気付いたらしいハナは躊躇った。
「私は彼を見捨てようとした。これは懺悔です」
「……分かりました。私が証人になります」
ありがとう。そう告げると、アサコは目を閉じた。
ハナは腰のポーチから五〇〇ミリリットルサイズのペットボトルを取り出した。中には水が入っているようだが、まるで生き物のように独自に動いていた。彼女はキャップを外し、アサコと母親の間に容器内の水を全て零した。すると水は宇宙でそうするように空中で球を作り、しかしながらアメーバのように形を変えた。グネグネとうねるそれはアサコの額に接触した。途端、丸い鏡のようになり、波紋を描いた。
「な、何やコレ……? オカンに何すんねん」
「ようやく母親を気にかけるようになったか。お前も親不孝な奴だ」
「お前も?」
「……顕界と次元をつなげる」
「お、おい、それってヤバイやつなんじゃ……」
「天界には年に二度、一般の死物が天顕疆界へ下りることを許される日がある。命日とお盆だ。キリスト教圏なんかではクリスマスが適用されてる。そうやって祭日が選ばれるのは、顕界の生物が死界に意識を向けるからだ。生物と死物、互いの〈魂の波動〉が、顕界と天顕疆界を繋げやすくするんだ」
ヒヨコは彼の母を指差した。
「お前の母はずっとこちらに意識を向けている。墓のような電波塔代わりの標がないから意識がとっちらかってるが、この波動の強さなら〈水鏡の行〉も成功する」
ミチヒデは水鏡から波動を感じた。巨漢が霊落したときと同様の、強い磁場とエネルギーだ。意識を凝らすようにジッと目を瞑るアサコの後ろに、ハリセンを構えるハナが介錯人のように立った。
「繋がるぞ」というヒヨコのセリフに続いて、水鏡に大きな穴が空いた。穴の先には巨漢の母親の耳元が映っていた。
「人形を燃やして。お焚き上げを――」
アサコは彼女の耳に囁いた。三度ほど早口で続けた。しかしハナは言葉が終わるのを待たず、坐禅にて集中を乱した者に警策を打ち込むように、彼女の後頭部にハリセンを軽く振り下ろした。彼女の全身が浅黒くなり、霊落の予兆が見られたからだ。
アサコが我に返るや、身体の色は戻り、水鏡は割れ、溶けて消えてしまった。巨漢の母は頭を上げ、周囲を見渡した。この世ならざる者の声に怯えた素振りを見せつつも、捥げた扇風機の頭の下敷きになっている美少女フィギュアに目を向けた。躊躇いがちに手を伸ばすと、「コウジ……」と息子の名を呼んだ。フィギュアの取れた四肢を集め、ハンカチで丁寧に包んでいるところを見るに、アサコの言葉を聞き入れてくれたようだった。
「リ、リィーノを燃やすのか……!?」
「心配するな。顕界で跡形もなく燃やされたものは死界に上ってくる。お前が素直に天界に上ると言うなら、私らが責任を持って人形を届けてやる」
「よ、よろしくお願いするでござる!」
起立し、深々と頭を下げるコウジだったが、当然、「ござるぅ?」とヒヨコのみならず一同が怪訝な顔をした。
「え、だって、正直になれって、好きなものを貫けって言ったから」
「……それは好きな喋り方なのか」
「拙者はリィーノを守る侍でござるから!」
「うぜぇ、もっかい死ねよ、クソデブが」
「せ、殺生な!」
アサコは嘆息を漏らした。命、もとい魂をかけて危険を冒した価値があったのか疑問に思えてしまった。しかしこれでまた一つ、彷徨える魂を天に導けるのだと思えばそれほど高い出費にも思えなかった。
「ほんではアサコさん、あとで総務に三〇〇万よろしゅう」
「ハナちゃん、ありがとう」
「さ、三〇〇万ってどういうことでござるか……!?」
コウジはたじろいだ。アサコは頬をかいてはぐらかそうとした。「教えてください、地区長殿ぉっ」と馴れ馴れしく彼女に近付こうとするので、ハナとヒヨコが彼を拘束した。
「天界には〈守護イベント〉いうもんを年間通して開催しとるんや。一般死物がガイドと一緒に天顕疆界に下りて、生きとる親族や大切な人に〈魂の残滓〉を与える加護行為や。残滓があれば霊へのバリアの役割を持つ。さっきアサコさんは声だけを届けたけど、本来は生物に触れることで魂の一部を与えるためにあるんや」
「それにそんな大金が必要ということでござるか!?」
「一般死物の参加は任意、ガイドは命懸けでアンタらを守らなアカン、当然の奉納や!」
コウジは呆気に取られた。そんな彼とアサコは正対し、お辞儀した。
「私からの気持ちです。アナタを見捨てようとした私からのせめてもの償いです。申し訳ありませんでした」
「あ、いえ……」
「でも、良かった。アナタが霊にならなくて」
アサコの美しい笑顔に、コウジは胸の高鳴りを覚えた。それはリィーノを一目見て感じたあのトキメキに似ていた。
「リィーノ。すまん、リィーノ。拙者、浮気しそう」
「はい?」
「恐れながらアサコ殿、これから天界とやらをじっくり案内して頂けないでござるか。ついでにビデオショップがあるのなら、アナタに似合いのアニメをご紹介いたすでござる」
口調は変わらずだが声色をダンディにし、何やら一重目蓋を奥二重にし、自然眉間にシワを寄せ、何故か口元をアヒル口にして彼女に色目を使った。
「アサコさん、彼氏いるぞ」
「なん……だと……!?」
一瞬にして砕け散る淡い恋を脇に置き、ヒヨコは本題に入った。双眸を少年に向け、手が届く距離まで近付いた。
「テメーは何を望んでる」
ミチヒデは答えなかった。拳を握り、足下に視線を落とすばかりだ。
痺れを切らしたヒヨコは、「ハナ、コイツは何だ」と問うた。すると後輩少女はさながら軍人のごとく背筋を伸ばし、敬礼しながら答えた。
「は! 彼はふりゅきミチヒデさん、享にぇん一七しゃいっ、死後りぇき一日、クーラー病で亡くなったようでありましゅ!」
「噛みすぎだ馬鹿」
「もうしゅわけごじゃりまへん!」
「つか、クーラー病で死ぬ奴なんているのか」
「どういうことだ?」と問いただしたのは少年だ。見開かれた瞳は動揺を隠せずに揺らめいていた。
「あ? クーラー病っつうのはな、ただの自律神経の――」
「そうじゃない! オレがクーラー病で死んだってどういう意味だって訊いてんだ!!」
死ぬ前の長時間、確かに教室は冷房が効いていた。廊下に出ると汗が滲むほどの熱気が身体に絡みついた。渡り廊下に通じるドアを押し開けると、燦々と降り注ぐ日の光に圧倒された。
でも、そうじゃない。あの日、あの時、自分はそんなことで体調を悪くしてこんな場所にいるんじゃない。
「おいハナ、コイツ何キレてんだ? 殴っていい、ねぇ、殴っていい?」
「あきまへん、先輩! っていうかミチヒデ君、新聞ではそういう話になっとったで?」
「……違う、オレは病死なんかじゃない。オレは、オレに殺されたんだ!」
渡り廊下には古城ミチヒデの偽者がいた。見間違いでも何でもない。純然たる事実だ。
『いただきます』と言ったあの化物の声はまだ鼓膜にこびりついている。両手でもって身体を掴まれたときの化物の形相が網膜に焼きついている。魂に記憶されている。
話せとヒヨコが迫る。
ミチヒデは訥々と語り始めた。昨日体験したありのままを、込み上げる殺意の赴くままに。