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ドッペル!  作者: 吹岡龍
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〔怖-fu〕④ 情報屋アリザリン

 我輩は家と本のハイブリッドである。本屋ではない。

 もしかするとこんな冒頭で適当なストーリーをつけてみれば、ひょっとして国内の著名な文学賞を受賞して、ともすれば世界からも賞賛を受け、図らずもその後何十年もペーパーテストやクイズ番組の問題として使われ続けるのではないのだろうか。

 題名は何にしようか。やはり冒頭と同じにするべきか……、いや、長いな。もっと簡潔に、〈アカネの案〉なんてどうだろうか。適当に本好きのカワイイ女の子出しとけば結構売れそうな気がする。表紙も重要だろう、この前隠し撮りしたピヨちゃんのラブリーな寝顔でも載せたら大丈夫かな。タイトルと著者の名前が被るけど……全部ピヨちゃんが書いたことにすればいっか。うん、そうしよう。

 そんな下らないことを考えながら、昼前時(ちゅうぜんじ)アカネは家路に着いた。彼女の住まいは天界でも辺境に当たる、〈贔屓(ひき)の海〉の近くにある。海と言っても、顕界にて蒸発した水の一部が死界へ渡り、天顕疆界を経て集結してできた湖のような巨大な水溜りである。

 天界の水はまるで自意識を持っているように思うままに落ち、流れ、気化の真似事のような現象を繰り返す。この海も同じく、その目まぐるしく変わる様相を予測することはできず、またそれも魂であるから計り知れないエネルギーを持っているので、死人は好き好んでここを訪れない。海に飲み込まれると、〈至天門〉を介さずに天顕疆界へ、もしくは運が悪ければ獄界へ落とされてしまうとも言われており、天界送迎センターをはじめ、多くの識者が海への接近を禁じている。そのため一般的に天界と呼ばれる区画は贔屓の海が見える距離までは広がらず、一定距離を高いビル群によって封じられている。よって天界から海までのしばらくは何もない白い虚空が続いている。

 海への立ち入り禁止制度が確立されたのは今から云千年以上も前とされている。しかしそれ以前から一部の死人が海を管理しており、現在はアカネがその責を担っている。

 湖畔(こはん)に巨大な塔がある。高さを測ることは叶わず、この禁止区域に迷い込んだ者はそれを“叡智(えいち)(たかどの)”と呼ぶ。それはその楼が幾重にも積まれた大小様々な書籍で造られているからだ。

 しかしそれは今となっては楼の主の意にそぐわない渾名(あだな)だ。主はこの楼を“事務所”と呼んでいる。〈情報屋アリザリン〉の事務所だ。


「お帰りなさいませ、御頭首(オーナー)

「ん、ランゾウっち。お茶入れて、いつものやつ」


 楼の主、もとい事務所のオーナーはその身長ほどの高さの、巨大な一冊の本でできた戸を押し開いた。その本は西洋の天界から取り寄せたらしい。

 天界は多数存在している。顕界で現存する国、滅亡した国、今日までに生まれたあらゆる国家を基礎とする死人達のユートピアがある。アカネは時折各国の天界を渡り歩き、方々の書籍を読み漁っては持ち帰り、楼の建築材のように積み上げるのだ。

 楼の内部は案外広く、最下層に円形の広間が一つだけある。アカネは帰るなり広間の中央に据えられた安楽椅子に腰かけた。彼女の命を受け、着物にちょんまげを結った如何にもな髭面の武士が小姓(こしょう)のように(うやうや)しく(こうべ)を垂れ、広間の端にあるシステムキッチンへ向かった。

 この武士の名は井出ランゾウ。駿河国(するがのくに)――今の静岡県――の出身で、死後アカネに拾われた。以来およそ四五〇年にわたって彼女に付き従っている。享年は二九歳であるが、月代(さかやき)と指より太い雄々しい眉、口周りからモミアゲまで繋がる暑苦しい髭、果ては着物の胸元からは濃い胸毛が頭を出しているせいか今の六〇代後半の(いか)めしさがある。

 そんな彼がキッチンで湯を沸かし、湯飲みに緑茶を注いだ。さらに砂糖を茶から頭を出すまでたっぷり投入した。決して嫌がらせなどではない。彼女がご所望の“いつもの”に応じるため、仕方なく入れているに過ぎない。それをプレートに載せて運び、「お待たせいたしました」安楽椅子の傍の小さな丸テーブルに置いた。


「コレコレっ。喫茶店のにっがいブラックコーヒーもいいけど、やっぱりこのスウィート・グリーンが一番だね♪」


 アカネは意気揚々と湯飲みを手に取る。

「左様でございますか」と如才ない笑みを浮かべるランゾウだったが、主の神経には些かも同調できなかった。日本茶はやはり苦いに限るし、甘さの調節は落雁(らくがん)饅頭(まんじゅう)でするべきだと思った。主は自分よりも大和(やまと)、もとい日本国の様々な歴史を熟知しているはずなのに、何故このように面妖(めんよう)な物ばかり好むのか、全く理解できなかった。


「ランゾウっちも飲む?」


 不意の問いに返事ができなかった。ランゾウは不覚にも心の声を垂れ流してしまったかと焦りを覚えたが、彼女が小首を傾げているのを見るあたり、どうやら偶然のようだった。しかしだからと言って彼女の申し出を断れるわけがないのが、死後から続くランゾウの立場だった。

 主君に仕えること。それは生来の性分であり、武士としてそれ以上の誉れはないとさえ思って生きていた。時は戦国、群雄割拠(ぐんゆうかっきょ)、男子たる者皆が皆天下統一を目指して一旗上げようと躍起になっていたが、自分は主君を守ることこそに生き甲斐を覚えていた。だから(いくさ)の最中死に、天界で主君を待ち呆けていたときにアカネに声をかけられた。一度は忠誠のために彼女の申し出を断った。しかし長い歳月が経ち、かつての主君が天界に現れると、全ての兵にお役御免を言い渡された。

 (かご)の中で飼い慣らされた鳥は飛び方すら知らぬものか。唐突に与えられた自由の使い道に途方に暮れていると、再びアカネに声をかけられた。

 彼女は自由を満喫していた。〈死せずして、生を知るに及ばず〉という格言を充分に理解しながらも、その魂に膨大な知識を詰め込み、時折死界で起こる問題を次々に解決していた。

 彼女と同じ世界を見られたら。

 ランゾウは一から飛び方を学ぶため、アカネに仕える道を選んだ。死して尚、自らの目に一点の曇りなく、選んだ道に疑いの余地などない。そう信じていたが、快諾を受けたその一秒後、過ちに気付いた。


“それじゃあ誓いの証に、このお酒で(さかずき)を交わそう♪”


 彼女は両手で抱えるほどの大きな皿を差し出した。そこには塩の山に日本酒がなみなみと注がれていた。

 彼女は超弩級(ちょうどきゅう)の偏食家だった。まずは私からと平気な顔してグビグビと飲み干す彼女に大物の感を覚えずにはいられなかった。肉体を失った死物に味覚も何もあったものではないが、塩は辛い物、酒は酔う物、そのように魂が記憶しているので、それらを容易く騙せるものではないのだ。

 生前、宴席では山ほどの大酒を飲み干さんとする“富士のうわばみ”などと持て(もてはや)されたランゾウだったが、皿一つに盛られた塩の山から湧き出るそれだけは最後まで飲み干すことはできなかった。

 目の前に、あの時から変わらぬ笑顔の彼女がいる。その手には湯飲みがあって、今度は砂糖の山が試練のように(そび)えている。


「……頂戴いたします」


 言うが、手は伸びない。あの時のトラウマがランゾウを悩ませていた。


「遠慮しなくていいよ、ホレ。一口飲んでみ、ホレホレ」


 もはやイドハラ。飲食攻撃イート・アンド・ドリンク・ハラスメントである。


「で、では、一口だけ……」


 武士たる者、忠肝義胆(ちゅうかんぎたん)を尽くせ。そう自分に言い聞かせた父上や兄君、また諸先輩もきっとここまでの忠義は立てないだろう。腹を切れと言われてももはや死んでいるのだから、彼らなら喜んで切腹して新たな生活を始めるだろう。しかしそうしないのは、今もって自分が飛び方を知らないからだ。


「美味しいでしょ、癖になっちゃうでしょ? それ、全部飲んでいいからね」


 髭に砂糖の粒をつけ、湯飲みを見つめたまま固まってしまった忠臣をよそに、「イロちゃーん、おかえりー」と主君は手を叩いてもう一人の忠臣に呼びかけた。


「は、ただいまッス」


 はじめからそこに居たように、アカネのすぐ傍に女が一人(ひざまづ)いていた。イロと呼ばれるその女は黒装束を身に(まと)い、顔を覆う頭巾(ずきん)からのぞく肌は墨で黒々と塗りたくられていた。

 彼女は“(しのび)”である。いわゆる忍者、女の字を崩した“くの一”である。ランゾウでさえ詳しくは知らないが、アカネとは筋金入りの腐れ縁とのことだ。

 主君から差し出された手に、犬の“お手”のように自分の手を重ねた。瞳を交わらせ、「ご下命を」と芯のある声で告げた。

 アカネは微笑を浮かべると、彼女から手を離した。テーブルに置いていた封書を彼女に渡した。日本古来の、懸紙(かけがみ)と呼ばれる白い和紙で包まれた手紙だ。


「んっとねー、またひとっ走りしてきてほしいんだよね」

「かしこまったッス。して、何処(いずこ)へ」

「獄界にこの書状を届けてほしいんだよね」

「他に御用は」

(くだん)の続きを」

「かしこまったッス」

「ランゾウっちにもお使い頼みたいんだけど」


 二人は湯飲みを片手に静止画のごとく固まっている武士に目を向けた。イロはおもむろに立ち上がると、武士の魂たる刀を腰から奪い、湯飲みと刀を素早く入れ替えた。すると武士は我を取り戻し、「は、申し訳ありません、少し意識を失くしておりました」


「もしかして疲れてる? だったらコレ食べてみなよ、疲れが吹っ飛ぶよ」


 板チョコと板チョコでチョコクリームをサンドして、仕上げにご丁寧にもチョコパウダーをまぶしたコレを人は何と呼ぶのだろうか。

 手渡されたそれを見つめているとまた、いや今度はより遠くに意識が飛んでいきそうだった。籠の鳥も、ようやく羽ばたけそうだった。

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