(珍しく)マジメな提案 前
翌日には茉莉香の具合は大分良くなっているようだった。それでも、マスクをして時々咳き込む姿は痛々しい。
「茉莉香さーん。今日はお休みにしませんか?」
朝、鍵を返しに学校に行く前にちょっとお店に寄った小春は店先で茉莉香のそんな姿を見て思わず言ってしまう。
「俺もびっくりしましたよ。今日も店開けてるから」
と横から言ったのは柏木で、こちらも車のキーを朝返しに来たのでついでに寄ったらしい。偶然会った、というか二人とも開店準備時間に来たのだから会うのも道理のだけど。
「あれ?」
茉莉香はふと気づいたように小春の左手に目を留める。
「小春も、左手に絆創膏してる」
「あ。昨日切っちゃって」
「清君と全く一緒の場所。しかも、左手の薬指って。なんだかエンゲージリングみたいだね。実は隠れて付き合ってるのぉ? 二人とも」
ロマンチックな事を言って、茉莉香はくすくすと笑う。茉莉香の前なので、柏木は何も言わないでニコニコしているが、小春は柏木からのある種のプレッシャーを感じた。
「ま、まさかー。柏木君と私じゃ釣り合わないですよー」
「ええー? 小春、可愛いよ?」
「いえいえ勿体ないお言葉で」
「でも、普通のもあるのに、わざわざお揃いの可愛い絆創膏つけてるし、怪しいぞぉ」
(あ。バレた)
柏木からの目に見えぬプレッシャーが増大した気がした。
(やべえ。裏柏木君怒ってるんだろうなー)
騙し討ちするつもりは無かった、と言ったら嘘になる。むしろ騙す気まんまんだった。急に偉そうになった柏木に、この可愛い絆創膏をつけさせたらいやな顔するだろうなあ、という純粋な嫌がらせ心だ。
「こ、これしかすぐ見つからなくて。……とにかく、茉莉香さん、無理しないでください」
無理やり話を元に戻すと、茉莉香は笑顔を作った。
「大丈夫。今日乗り切れば明日は定休日だから。お隣もね、そう言って……」
言いかけた茉莉香の口が途中で止まったのは突然大きな音を立てて隣の店のドアが開いて、大きな図体が駆け寄ってきたからだ。
「うおぉぉぉ! こはるんだ! おはよう」
「うわあ。紺ちゃん朝から暑苦しいねえ。……それ、私服?」
聞いたのは紺野の洋服が余りにアレだったからだ。まだ冬なのに半そでの赤いアロハシャツにハーフパンツ。
「紺ちゃん出身ハワイだったっけ?」
「いやあ。朝からこはるんと会えるなんて、今日は良い一日になるだろうなあ。こはるん、元気になる魔法かけてよ」
会話が噛み合わない。というか、昨日まで風邪でひいひい言っていた人間がアロハ半そでって。
「あのね、紺ちゃん。何度も言ってるけど、私はるなたんじゃないんだよ?」
「うわ。真顔きたこれ。切ねえ」
「そして私は学校に遅れるから行きます。茉莉香さん、また帰りに寄りますねー」
茉莉香に向かって言うと、茉莉香はちょっと困ったように笑って手を振って「行ってらっしゃい」と言ってくれた。それで、その背後にいてただならぬプレッシャーを放っている柏木の存在はとりあえず忘れて、小春はその場を後にする。自転車に乗って。だがそれに伴走してくる巨体一人。
「待ってこはるん。待って」
紺野の体力には本当に感心する。
「紺ちゃんがそんなんでよく奥さんに愛想つかされないな、って私心配で心配で」
「いや奥さんの事は愛してますよ。もちろん。ただこはるんには萌えてるだけで」
「うわっ」
「おお本気のヒキ顔」
スピードを上げたのに、引き離せない。
「やめてそういう目で私を見るのは」
「はっはっはー」
「笑って誤魔化すな! そしてお店の信用落とすから紺ちゃんはあまり店の周囲を私服でうろうろしないといいと思う」
「そう! 店。その話をこはるんにしようと思って」
「は?」
「こはるん、服のサイズは?」
「……紺ちゃんがセクハラ罪で警察に引き渡されたいなら言うけど」
「いやいやいやいや。これはマジ事務質問だから」
「何の?」
「あからさまに警戒してる顔!! とりあえず、止まって」
言われて渋々止まる。さすがに紺野はぜえぜえと肩で息をしていた。
「紺ちゃんももう年かな」
「この年でこれだけ走れたらバリバリだよ」
はあ、と大きく息を整えて、紺野は言う。
「こはるん、茉莉香の代わりにうちで兼用バイトしない?」
「へ? なんで?」
意外な申し出に、小春は目を丸くする。紺野は頭をぽりぽりと掻いて、続けた。
「いや。茉莉香も一応店主だし、前々からピンチ要員で来てもらうのは悪いなあと思ってたんだよ。しかも、昨日も体調崩してたろ? あれ、やっぱ普段働きすぎで体が弱ってるってのもあるんじゃないかと思って。平日ランチ時だけはパートの人に入ってもらってるんだけど、どうしても休日は無理って言われてさー。子持ちだから普段だってディナーは入れないし」
「でも、私Pinocchioのバイトなんだけど」
「だから、こっちの忙しい時によく茉莉香が自分の店抜けてこっちきてくれてるだろ? そういう感じで手伝いに来てくれれば。茉莉香だって、できるなら自分の店に専念した方がいいと思うし」
「私、使えないよ?」
「ん? 昨日かなりよくやってくれてたよ? 清だって、結構飲み込み早いって驚いてたもん。まああいつきっと本人には言ってあげてないと思うけど」
「言われてないデース」
「まあ、そんなわけで。手伝って貰えるなら制服用意しなきゃって思って」
「何故諾否の返事貰う前に既に制服の心配!?」
「こはるんならきっと、ラブリー系の制服でも似合うと思うから、迷っちゃうなー。エプロンドレスとかどう? ヘッドドレスとかもつけてえ」
「そういうお話でしたらこの件はお断りさせて頂きたく……」
「まあそれはおいといて。やってくれないかな?」
「……でもさすがに、私の一存じゃ決められないよ。茉莉香さんにも聞かなきゃ」
「それは勿論、俺が話しておくよ。茉莉香にも多分異議はないはずだしね」
ちょっとだけ真面目にそう言って、それから紺野はやはりいつものような気の抜けた顔で笑った。
「ところでこはるん、学校遅れない?」
「あ!」
「いってらっしゃーい。制服はSSサイズ用意しとくね」
(……バレてるし!)
紺野の心眼に脅威を覚えながらも、小春はとりあえず自転車のペダルを思い切り踏んだ。