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三崎小春の長い一日 前

 どうやら店長である紺野こんのは柏木の本性を知っていたらしい。

 「翔人がいなくなったから、本性だしたか清」とのコメント。「始めは隠し通そうとも思ったんだけど、忙しすぎるし無理だった」にこりともしないで柏木は言った。普段にこにこしているイメージだったけれど、どうやらそれも営業スマイルだったらしい。ご苦労な事だ。素に戻ったら、店長に対してさえタメ口をきくような男が。

 「あ。でも大丈夫。ちゃんと脅しておいたから」

 「何、ハルたん脅されたの?」

 紺野は風邪菌を漏らさない為の厳重なマスクの下から大袈裟に心配そうな視線を小春に向ける。

 「脅されましたー。本性を他の人に喋ったら私の本性もぶちまけるとか。いやまあ、私はぶちまけられて困る本性とかないからいいんだけど、柏木君可哀想だから秘密にしといてあげよ……」

 くらいまで話したところで、柏木の肘が小春の頭のつむじあたりに乗っかった。脳天に圧力を感じる。

 「ホントお前はぺらぺらぺらぺら生意気な。思ってたのと全然違うじゃねえか」

 一瞬、ほんの一瞬だけ、その言葉にずきりと胸が痛んだ気がしたけれど、そんなの本当に一瞬だし、日々世界中で起きている悲しい事件に比べれば塵にも値しないので無視しておく。とりあえず、頭を振って、結構痛く圧迫してくる柏木の肘を振り払う。

 紺野が大きな口を開けてうはははと笑った。

 「ハルたん強ぇな。あの清相手に」

 「だって、本性ばらされるとか言われるより、あの柏木君ファンの女性たち操って総攻撃かけるぞ、とか言われた方がよっぽど恐いっていうね」

 「じゃあ、そうするわ」

 柏木が言うので小春は自分が敵に塩を送った事に気づいた。

 「やめて。柏木君はマジ人を操るの上手そう」

 「だからお前が俺の事について他言しなけりゃいいんだって」

 「いやそうだけど。万が一お酒飲んで気持ち良くなったりしちゃって、ぽろっと……」

 「お前今日から禁酒な」

 「えー」

 「とにかくディナーの特訓すんぞ。お前、要領はそんな悪くないんだから、とにかく暗記だ。卓番号とメニュー! 特に卓番号はな、昼間みたいに丁寧に説明してやんねーからな」

 性格が悪くなった柏木にそれは元々期待してなかった。小春は慌てて卓番号とメニューを柏木が書いてくれたカンペを見直した。

 (ちくしょお、字も綺麗ときたか……)


 結果的に言えば、ディナータイムの方が小春にとっては楽だった。ディナーはランチと違ってゆったりとしているから急かされることがない。一人一人のお客さんの状態に気を配って、複雑なコース料理を把握しているのは一人では大変だったけれど、昼間の目の回るような忙しさに比べればマシだった。料理の詳しい説明を求められた時だけ困ったけれど、そこはもう「申し訳ありません。わたくし、臨時職員でして……詳しい者を呼んできますね」と柏木を呼びに行く事に決めた。小春が呼びに行くと、柏木は忙しいのにとすごく渋い顔をする。そのくせ、いったんフロアに出ればにこやかに爽やかに客に向かって料理やワインの説明をする。その姿はいつも通り完璧な青年で、先ほどの様子が逆に信じられないくらいだ。けれどまた厨房に戻ると、小春に向かって怒鳴るし、足蹴にするし、結構酷い。

 「5卓魚料理待たせてる。急げ!」

 「珈琲の補充!」

 「そんな名前のワインねーよ! 謝ってもう一度聞き直して来い」

 「アイスが溶けんだろうが! もっと急いで運べ」

 「はあ!? 重くて持てないとか、アホか!」

 重くて持てないのは、スープの皿で、柏木はこれも一度に4枚運べと言う。ディナーとランチの間の時間帯に皿を一度に4枚運ぶ持ち方は教わって、しかも特訓を受けていたけれど、スープは重量があるから、いくら持ち方のコツを覚えたところでできないものはできない。

 「どんだけ非力なんだよ」

 「ちょっと女と男を同じく考えないでよ」

 「茉莉香さんはいつも運んでるぞ」

 「うっ」

 「しゃーねーな。スープは2枚ずつで行け。終わったら6卓片付けて、クロス変えて、シルバーセットしとけ」

 「く、クロスってどこにあったっけ?」

 「休憩室前の棚」

 「シルバーの順番は内側から肉、魚、前菜でおっけ?」

 「前菜のナイフの隣にスープスプーン。メインプレートの上には、上からコーヒースプーン、フルーツナイフフォーク。パン皿の場所は覚えてるな」

 「フォークの左脇」

 「よし。行って来い」

 まるで軍隊のようだ。イエッサーと答えたくなるが、答えたら真面目にやれとはっ倒されるだろう。

 知らなかったけれど、どうやらやはりこの店は人気店らしい。ひっきりなしにお客さんが来る。今日は予約でいっぱいだから、予約じゃないお客さんは断れと言われたし。それで、結構たくさんお客さんを断ってしまった。断る際、お店の名刺を渡して「また是非いらしてください」とにこりとする。これは営業スマイルであるけれど同時に本心。

 常連も多いらしいけれど、昼間の客とは種類が違うようだった。感じの良い老夫婦に「あら? 今日は新人さん? 若いのに偉いわねえ」と微笑まれてすいませんよく幼く見られますけどそんなに幼くないんですと心の中で謝ったり、「あら新しい子なの? 頑張ってね」とカウンター席お一人様の年齢不詳のカッコいい女性ににっこりと言われたり、「いつもの人たちじゃなくて新鮮だな。よろしくね」と中年のご夫婦の旦那さんに言われたり。悪い感じはしない。

 「柏木君、なんかお金貰った。チップだって。千円」

 「返して来い」

 「何度返そうとしても断られるんだけど」

 「じゃあ、貰っとけ。あとでそれで俺になんか奢れ」

 「なんで」

 言いながら、小春がそれをエプロンのポケットに入れてフロアに戻ろうとすると背後から声。

 「お礼はちゃんと言ったか?」

 「言ったよ!」

 「よし」

 母か!!

 とにかく、そうやって必死に働いていたら、いつの間にかすぐに閉店時間になっていた。時計は23時を指している。これから後片付けをすれば深夜0時を回るだろう。朝が遅いとはいえいつもこんな時間までやってるとは、と感心してしまった。特に茉莉香。ちゃんと寝ているのだろうか。たとえ、忙しい時間帯だけ手伝っているといっても、10時頃までは確実にやっているだろうし、花屋は買い付けがあるから朝だって遅くない日が多い。

 最後のお客さんがゆっくりお茶をしていたのを、会計をして送り出し、Closedの札をドアにかけると、どっと疲れがでた。

 (ああ。でもまだ花屋の片付けが残ってる……)

 眩暈がする思いだ。

 「メシできてんぞ」

 厨房に戻ると柏木がそう声をかけてきた。

 「やった! お腹減ったー」

 「ちなみに茉莉香さんはこの時間に食べると太ると言って、いつも食わない」

 「き、今日はたくさんカロリー消費したからいいんだよ。茉莉香さんだって、食べれるなら食べて薬飲んだほうがいいと思うんだけど……」

 「聞いてくるか」

 「あれ? 紺ちゃんは?」

 「最後の気力で明日の仕込みしてるから、今」

 「ああ……じゃあ、私いくよ。私なかなか風邪ひかないし……まあ、このメンバーの中で働いてて伝染らなかった柏木君よりはひくかもだけど」

 「俺昨日雨濡れなかったもん」

 夕食はポトフと余りものの魚介のソテーだった。それを盛りながら、柏木は言う。

 「マジで? 夜ざあざあ降りだったじゃん。天気予報ぜんぜんそんな事言ってなかったのに」

 「うちの兄、天気予告屋なんだ。あたるあたる。家出るとき傘持ってけっつーから持ったらビンゴ」

 「すごいね……」

 「ほれ。餌だ」

 かたん、と小春の前にポトフの入った器が置かれる。可愛らしいスープボウルだ。

 「やめてよその言い方」

 「そりゃあすいませんねえ」

 「思ってないでしょ。……とりあえず、茉莉香さんに食べれるか聞いてくる。後片付けについてもいくつか確認しとかなきゃいけないし」

 素早く立ち上がって、小春は休憩室まで行く。そういえば茉莉香とは朝翔人に引き渡して以来会っていない。

 病人だから気を使って、そっと音を立てないようにドアを開ける。そういえば、同じ部屋で翔人もダウンしているはずだし。

 ドアを開けて、中に入ろうとして小春は固まった。

 (え。なにこれ。)

 部屋の真ん中に布団が敷かれていて、そこに茉莉香が寝かされている。もう一つ手前に座布団が4つくらい連ねられていて、そこが翔人のベッド代わりになっていたのだろう。だろうが! 翔人はそこで大人しく横になってはいなかった。上半身を起こして、こちらには背を向けて、どうやら茉莉香の顔をしげしげと熱心に覗きこんでいるようだった。その距離が、かなり近い。近い、と言うか。段々翔人の顔が現在進行形で茉莉香の顔に覆いかぶさって行って。

 (え、これってもしかして……)

 茉莉香は明らかに寝ている様子なのに。

 小春はどうしていいか分からず硬直する。止めた方がいいものか。いやでもこれはかなり気まずいような……。

 迷っている間に、翔人の顔は完全に茉莉香のそれと重なって。

 (ぎゃー、キスしちゃったよ!!)

 小春は踵を返して厨房に舞い戻った。とても暢気に「夕飯食べますぅ?」なんて聞ける状況じゃない。

 (っていうか、翔人さんの馬鹿ぁ! ムッツリスケベ! 病人相手になにやってんのー!)

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