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地獄のランチタイム 後

 「お疲れ様」

 気づくと、背後に柏木が立っていた。

 「あ。うん、ごめんね。ミスばっかで」

 「いや、助かったよ。……すごく遅くなっちゃったけど、まかない、できたから食べて」

 言われて小春は、自分が昼食抜きで頑張っていた事に気づく。なるほど先ほど柏木はまかないを作っていたのか。

 「わーい。ありがと」

 「残念ながら病人食になっちゃうけど」

 「病人食?」

 首をかしげた小春はすぐにその意味を知る事となる。柏木が作っていたのはミルクリゾットだった。風邪で寝込んでいる茉莉香と翔人、それにまだ具合が良くない紺野の為だろう。だがそれにしても、病人食というには勿体ない美味しさだ。柔らかく煮込んである野菜もたくさん入っていて栄養満天だし。なんだか一緒に出してくれたジンジャーティーまで美味しく感じる。

 (くそぉ。また一つ柏木君の才能を見てしまった)

 あれだけパーフェクトな上に、こんなものをささっと作れてしまうくらい料理の腕も確かとは!

 厨房の作業テーブルの脇に簡易の椅子を出してきて座って食べているのは小春と柏木だけだ。翔人と茉莉香には柏木が先に盛って、紺野が渡しに行ってくれたらしいし、紺野は小春と柏木に風邪を伝染すといけないから、と廊下で一人寂しく食べると言っていた。

 (それにしても翔人さん、朝茉莉香さんを運んでくれた時は既に風邪ひいてたんだ……)

 表情に感情が出ない人とは思っていたけれど、ここまでとは!

 (恐るべき痩せ我慢の人だなあ)

 考えながらふと顔を上げると、柏木と目が合った。いつもなら、こういう時柏木はにっこりと笑いかけてくれるはずなのだけど、今は真顔のまますいっと視線を外された。

 (やっぱ、怒らせちゃったのかなあ?)

 寛大な柏木は滅多な事じゃ怒らないと勝手に思っていたけれど、柏木とて仏ではなく人だから、あの忙しい時にミスばっかりされてイラついたと言われればそれはそれで当然なのだ。

 「……三崎さん、手、切れてるね」

 「へ?」

 「指」

 「あ。うん、そうなの。さっきお皿で」

 「偶然。俺もまったく同じ場所」

 そう言って、柏木は左手を開いて小春に見せる。薬指の第一関節辺りに赤い筋が一本走っていた。

 「あ。ホントだ。まったく一緒。柏木君、ディナーでも食べ物扱うから絆創膏とかしなきゃ駄目なんじゃない? うちの店にあるから持ってくるよ」

 「……俺も、一緒に取りに行こうかな。うちの休憩室は風邪菌が蔓延してるから、あそこに救急箱取りに行きたくないもんね」

 持って来ると言っているのに、なぜ一緒に?

 思ったけれど、まあいいやと深く考えず、小春は丁度食べ終わった食器を持って、食洗器に入れる。既に食べ終わっていた柏木はそれを見て、腰を上げた。

 「ご馳走様。すごく美味しかった」

 言ったら、ようやく柏木はちょっと微笑んだ。

 「いえいえ。お粗末様」

 

 (もしかして、柏木君のこの傷、さっき私が割ったお皿片付けてくれてる時にできたんじゃない?)

 しかも、小春が声をかけたせいで、柏木はびっくりして手元を誤ったのではないだろうか。花屋の棚から絆創膏を取り出しているさ中にその事に思い至った。

 (あ。やばい。謝った方がいいのかな? むしろそれで怒ってる?)

 思った瞬間、パン、と右耳の脇で弾ける様な音がした。驚いてその方向を振り返ると、小春の手の倍くらいあるんじゃないかと思うような大きな掌。長い指が見えた。男の手とは思えないくらいすらっとして綺麗な手だけど、関節が骨ばっていて、若干女子のそれよりもごつく見えるので、やはり男の人の手だと思う。その手を辿っていくと、小春のごく至近距離にいる柏木に辿り着いた。

 「俺だけじゃなくて、お前もディナーで食べ物扱うんだよ」

 「は?」

 何を言われたのかわからなくて呆けた顔をする小春に向ける柏木の表情には、いつもの柔和な、優しげな雰囲気が欠片も浮かんでなかった。むしろその真逆の……。

 「ディナーも俺たちだけで捌けるわけねーだろ。何他人事ぶってんだよ」

 「あの、柏木君?」

 「ん?」

 「いつもの柏木君はいずこに?」

 聞いたら柏木はにっこりと微笑んだ。完璧にいつもの柏木スマイルで。

 「何言ってんの? 三崎さんだっていつも猫被ってるくせに」

 「と、申しますと?」

 「何が小さくて小動物っぽくて可愛い? アニメキャラみたいだ? 守ってあげたい? とんでもないだろ。しょっちゅうドアを足で開けてるし、イモ虫普通に摘んで投げてるし、挙句の果ては舌打ちだぜ?」

 やはりあの舌打ち、聞かれてたか。しかし、できる事なら反論したい。

 小動物っぽくて可愛い、とか、守ってあげたいとか言ってるのは周りが勝手に言ってるだけだし、アニメキャラ云々に関しては、ここの店長しか言ってない。日曜朝10時からやってる女児向けの5人くらい少女が戦う系のアニメのキャラクターの一人と小春が酷似しているとの紺野の談。しかも5人の中では一番脇キャラくさい地味めなキャラクター。でも、彼はそのキャラクターが大好きなんだそうだ。るなたん? だっけか。何を見ているんだ三十路過ぎ、妻あり子供なしの男が。しかもそのるなちゃんと混同されまくって愛でられまくるのが迷惑で小春が腰近くまであった髪をばっさり顎下くらいまで切ってきた翌日の放映で、アニメのるなたんにも失恋イベントが発生して、ばっさり顎下まで短くなってしまったという嫌な偶然。これにより、紺野は小春をるなたんの生まれ変わりと信じて疑わない。どうなんだ三十路過ぎでコレって。

 ともかく、そんなわけで反論できるならしたいが、できそうもない。というのは目の前の柏木は確かににっこりと笑ってはいる。いるけれど、その周囲に暗黒のオーラが立ち込めているような気さえしてくる程、どこか凄みがあるからだ。小春が大人しく黙っているので、柏木はそのまま言葉を続けた。

 「ディナータイムは通常メニューになるし、料理も本格的だ。そこそこのお金を取るから昼間みたいに中途半端なサービスじゃ許されない。今からディナータイムまでの2時間で叩き込んでやるから根性で覚えろ。幸い夜は昼ほど客が多くない。しかも、馬鹿女どもは大概昼にしか来ない。……だけど、その分夜に来る客は本当に料理と雰囲気を楽しみに来てる人たちだからな。真心をこめてサービスしろよ」

 「……はあ」

 柏木の迫力に呑まれたようになって、気の抜けた返事をしたら、柏木のこめかみがぴくりとなった。

 「それが返事か?」

 「はい!」

 小春は言い直して、それから慌てて顔を元に戻して棚の中から絆創膏を取り出した。

 「あった! はい。これ柏木君の分」

 差し出すと、柏木の眉間に皺が寄った。

 「なんだよこれ」

 「絆創膏」

 「何故絆創膏がこんなに可愛い必要がある」

 「私の趣味。経費で買ってきてって頼まれたから、可愛いの買っちゃった」

 「死ね」

 酷い一言を吐くものだ。

 だが、まあ気持ちは分からなくもない。絆創膏は白を基調として、一面にカラフルな花の絵が描かれているファンシーな絆創膏だったから。男の子には辛かろう。

 「でも、戻って救急箱取りに行くんだと、もれなく風邪の餌食じゃない? 今柏木君まで倒れたら最悪じゃん」

 「……お前、意外と動じてないな」

 柏木は渋い顔で言って、それでもカラフルな絆創膏を受取った。

 「なんで今このタイミングで、って言うのは気になるけど、本性見たりって感じだからね。私、柏木君は常々うさんくさいと思ってたから、やっぱり猫被ってたかあって感じ」

 「おまえ、結構度胸あるな。ぬけぬけとそんな事」

 「私のお兄ちゃんも今の柏木君みたいにちょっと乱暴な感じだから、結構慣れてんだよね。だから、あんまそういう脅しは効かないかも。……でもまあ、うん。ディナーはできる限り頑張るよ。柏木君ほど有能ではないにしても、できる限りはね」

 絆創膏を巻きながらなので、指先に意識を集中させながら言ったら、突然頭を叩かれた。軽く、だけど突然だったので絆創膏がずれてしまう。

 「ちょ……突然ナニそれ。酷くない? 絆創膏ずれちゃったよ。結構巻くの苦手なのに」

 「いや、なんかもっと怯えられて服従されるの予想してたから面白くなくて」

 「なんだそれ! もお、やだあ。ちょっとお詫びにこれ巻いてよね」

 「なんでだよ自分でやれよ」

 「折角可愛いのに綺麗に貼れないの勿体ないじゃん。1個無駄にしたし」

 見ればもう、柏木は綺麗に絆創膏を巻いてしまっている。文句を言っていたくせに。

 「甘ったれるな」

 冷たい。小春は左利きだから、左手に絆創膏を巻くのは利き手と逆で、結構面倒なのに。ぶつぶつ内心で文句を言いながらもなんとか今度こそ綺麗に巻く。

 小春のそれが終わるのを待ちわびたように、柏木はさっさと歩き出した。

 「できたか? ノロノロすんなよ。今からみっちりと仕込んでやるから、早く行くぞ」

 「えらそーだね柏木君」

 「当たり前だ。この俺様が直々に仕込んでやるってんだから、その恩に報いて夜もしっかり働けよ。バイト代貰ってんだから」

 本当にすごく偉そうだ。でも。

 「あれ? バイト代出るの?」

 「出るだろ。こんだけ働けば。タダ働きするつもりだったのかよ」

 「いや。忙しすぎて思いつきもしなかったわ。やった、臨時収入」

 「現金だな、お前……」

 ちょっと呆れたように柏木は言う。

 「お金の話だけに?」

 「寒すぎる……」

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