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地獄のランチタイム 前

 「はい、魚。3卓奥の二人」

 「さ、3卓……」

 言われて、先ほどちょこっと見て必死に暗記した座席表を何とか思い浮かべようとするが。確か、3卓は、手前から3つめ、だっけ?

 大きなお皿を片手に一枚ずつ持って、自慢じゃないがあまり長くない足で小春は早足に歩く。

 「お待たせしました。スズキのポアレです」

 「え? それ私?」

 「……え?」

 「お魚料理は頼んでないけど……」

 「し、失礼しました!」

 3卓?

 考え込みそうになったらキッチンと繋がっているカウンターから柏木が手招きしているので助けを求めに戻る。

 「奥から3番目のテーブル。その二皿は奥の2人ね」

 「……ありがと」

 改めて3卓に向かって、お皿を置く。常連らしい中年のマダムたち4人連れは小春が来ると、それまで夢中で話していたようなのに、話を止めて一斉に小春の顔を見た。

 「お待たせしました。スズキのポアレです」

 「ねえ。今日は清君じゃないの?」

 「あ。今日は調理場の方に」

 「そうなのぉ? あなた、新人?」

 「いえ。臨時で今日だけお手伝いを」

 「あ。そうなの。臨時、ね。でも残念ねえ。私たちいつも清君に会いに来てるようなものなのに」

 「申し訳ありません……」

 「まあ、いいわ」

 なんで自分が謝らなきゃいけないのかと思わなくもないけれど、ここはひとつ穏便にすませるためにも謝っておく。

 「失礼します」

 と戻ると、カウンターには既に次の4皿が用意されていた。

 「肉料理。3卓の残り2人と、8卓……一番窓側のワインレッドのバラの飾ってあるテーブルの右手前と、左奥ね。戻ってくる時に一番ドア側のテーブルのオーダーもとってきて」

 今ので3度目、小春が間違えたからだろう。柏木は卓番号で指示するのをやめて直接教えてくれた。さすがはできる男! とはいえ、小春にそんなことを考えている余裕はない。

 「お待たせしました。本日のお肉料理、牛ほほ肉の赤ワイン煮込となります」

 「えぇ!?」

 非難するような声にまた何かやらかしたかと、小春はびくりとなる。

 「清君じゃないのぉ?」

 「やだ。がっかり。つーかお前誰だよ」

 8卓のお客様は女子大生だろうと思われた。近所に金持ちの娘がたくさん通っている、お金を積めば入れる女子大があるからそこの生徒かもしれない、と小春はちらりと考える。

 「あ。柏木は本日厨房に入っていまして」

 「はぁ? 聞いてないし。ってか、誰? あんた」

 誰? と聞かれても。

 「あ。臨時のアルバイトで……三崎と申します」

 名乗った方がいいのか? あまり名乗りたくないけど、と思いながら一応名前を名乗ってみる。

 「名前とか、聞いてないし」

 (うわっ。理不尽)

 「っていうか、清君にちょっかいかけようとしたりしたら潰すよ?」

 何を? どこを潰すのか?

 「そおそお、清君はみんなの清君なんだからねえ。清君、優しいからって勘違いしてでしゃばった真似したら承知しないかんね」

 「あ。はあ……それじゃあ、失礼します」

 とりあえず忙しいので早々に辞退したら背後で「うわ。カンジ悪ぅ」「ああいうのがよくサービス業やってられるよね」との非難に、内心で感じ悪いのはどちらだと言い返しておく。

 だがそろそろ「清君じゃないの?」「柏木君じゃないんですか?」「いつもの子じゃないのねえ」等々の女性客からのご意見には慣れようとしていた。ランチタイムが始まってからずっと、この目の回るような忙しさの中で、頻繁に同じ事を問われるからだ。この店の、柏木目当てのリピーターの多さったら! 翔人が柏木を毛嫌いしているのも頷けるというものだ。

 翔人が柏木を嫌っているのは別に柏木が見たくれも家柄も頭も良くてモテモテだから僻んでいる、というわけではない。そう、翔人から聞いたことがある。「ただ、俺が気に食わないのは、店の客のうるさい女どもが柏木柏木柏木とヤツ目当てに訪れて、店の品格を落としてるからだ。だったらホストクラブにでも行ってくれっつーんだ。こちとら真剣に料理作ってんのに、柏木のついでみたいに食い散らかしやがって」それで柏木を毛嫌いするのはちょっとお門違いの気もするけれど、と小春は常々思っていたのだけど、今日の彼女たちの言動を見て、なんとなく、料理に誇りを持って出している翔人が怒る気持ちも分かってしまった。もっとも、翔人も柏木の有能っぷりは評価しているようなのだけど。

 そもそも、今のこの忙しさの原因は、その翔人も倒れた事に由来する。そして何故か、このレストランの店主である紺野も風邪でダウン寸前という壊滅っぷり。花の後片付けだけして厨房を訪れた小春に、柏木が手短にした説明では、元々紺野は昨日から体調を崩していたらしい。それで、マスクに手袋という厳重な出で立ちで店の奥にひっこんでただひたすら料理作りに励んでいた。そこに、ウェイトレスとして茉莉香が、料理人補佐として翔人が接触して伝染されたわけだ。さらに、ちょっと伝染されただけならばなんとかなったが、帰りに天気予報の裏切り的大雨が降り、翔人と茉莉香はびしょ濡れになった。これが、きいたらしい。

 「店長もまだ治ったわけじゃないから、どうにか料理作るのが精一杯だし、俺でも代われるものは極力俺が代わってるから。配膳の人間がいないんだ」

 「でも私、レストランバイトなんてやったことないよ?」

 「そこはなんとか、俺がフォローしていくから」

 言われて3分で卓番号を暗記させられ、その他基本的な事を叩き込まれ、茉莉香がこのレストランで配膳する際に着ているという制服を裾と袖を大幅に折って着込み、この戦場に送り出されたのだ。その間全部で10分ほど。

 それからはもう、目が回るような忙しさだ。

幸いなのはランチメニューのメインが肉・魚・野菜の三種のみとなっており、その他の前菜・デザートは固定だからメニューは3種類覚えればよいだけだという事だったので、メニューの暗記には力を割かなくて済んだ事くらいだ。しかし、それに加えてパンかライス、食後の珈琲か紅茶の選択性なので、オーダーミスは何度かやってしまった。

 他にも、柏木ならば一度に4皿持てる皿を小春は2枚しか持てないから何度も厨房との間を往復しなければいけないし、その間にどんどん運ぶべき皿はたまっていく。その上、客が会計に立ったら会計もしなければいけないし、そうしたらすぐにテーブルを片付けて、並んで待っている新たなお客さんを入れなければいけないし……。

 先ほどのような配膳ミスもしばしばやっているし、一度なんて躓いてお客さんの洋服に料理をぶちまけそうになった。なんとか寸前で留まったけど、料理の形が崩れてしまったので作り直しになってしまった。他にも、会計時にお釣りを間違えそうになったり、デザートと一緒に出すはずの珈琲が遅くなりすぎてお客さんに文句を言われたり、一度など、下げようとした皿を落として厨房で割ってしまった。従業員はみんな靴を履いているから、とその割れ後も片付ける暇がなくその場に残してある。本当は、すぐに片付けようとしたものの、慌てていて皿で指先を切ってしまったからやめたのだけど。幸い切ったのはあまり使わない薬指。その後は配膳の際、薬指が皿に付かないように気をつけながらだったので、気づかれまでした。

 (い、飲食バイトってきっつー……)

 今まで茉莉香とのんびりと花屋をやるか、コンビニエンスストアの店員しかやった事のなかった小春には驚嘆ものだった。

 レストランのランチタイムは11時半から3時半まで。3時半でお客さんが入ってくるのは止まっても、ゆっくりとしている人はいるから、結局4時半くらいまでは歩き回っていなくてはならなかった。もっとも、さすがに3時半を過ぎると余裕が出てきたけれど。

 この時間からは新しい料理を出す必要もなくなってくるから、柏木もようやく余裕ができてきたようだった。小春が下げた皿をカウンターに戻しに行くと、小春が割った皿を屈んで拾い上げていた。

 「あ! ごめん、柏木君。私があとでやるから放っておいて?」

 カウンター越しに声をかけると、柏木は驚いたように、ちょっとびくっとなった。

 「あ。ごめん。声大きかった?」

 「……ちょっとね」

 忙しかった時の興奮の残りでなのか、それとも逆に火の使う調理を止めた厨房が静かになったせいか。

 「そこにデザートあるから、一番ドア側のお客さんに出してきてくれる? 紅茶とね」

 「はーい」

 返事をして、行って戻って来た時には皿は綺麗に掃除されていた。

 (さすが柏木君)

 既に柏木は調理台の方に行って、何か煮込んでいるようだった。

 (ディナーの用意かな? あれ? でも火を使う料理は基本、紺ちゃんしかやっちゃいけないんじゃ……?)

 翔人ならばともかく、柏木が? 疑問に思っていると、くるりと柏木が振り返った。

 「手が空いてきた? なら悪いんだけど、そこに積んである洗い物お願いできる? 食洗器にかけてるから、手でゆすぐだけで大丈夫。ゆすいだら脇の乾燥器に戻してね」

「はいはーい。お皿、ありがと」

 言ったら柏木はにこりと微笑む……ところだと思うのに、いつもの柏木なら絶対にこりを感じの良い笑顔で微笑んで「いえいえ」と言ったはずなのに。そのままくるりと顔を正面に戻してしまった。

 (……あれ?)

 もしかしてこれは、何か気に障る事が?

 (私の失敗の多さに、流石に寛大な柏木君も堪忍袋の尾が切れた、とか!?)

 そう言えば、前半のミスはにこにこ微笑んで「しょうがないよ」とか「初心者だもんね」とか言って処理してくれてたのに、段々そういうフォローの言葉がなくなっていたような気が。忙しい為かと思っていたけれど案外、それだけじゃなかったかも……?

 (えー。でも、初心者の一般人に柏木君と同じレベルを求められても……)

 数々のミスはすごく申し訳ないとは思うけれど。もしかしたら柏木ならばできるのかもしれないけれど、普通の人は入って10分で卓番号を完璧に暗記して、完璧なオーダーをして、テキパキ働くだなんて、無理だと思う。

 それでも少し落ち込んで、しょんぼりしながら言われたとおり皿洗いをしつつ、カウンターから見てお客さんが帰りそうになったら会計に走る、という事を繰り返していたら、ようやく全員お客さんがいなくなった。

 「ありがとうございましたー」

 最後くらいは、と丁寧にお辞儀をして最後のカップルを見送って、ドアが閉まると小春は大きく息を吐いた。

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