風邪っぴき 後
(さすがに、自分じゃお姫様抱っこは無理だって分かってたか)
変なところに感心しながら、小春はとりあえず言いつけられた花束を作り、その後慌てて開店の準備に取り掛かる。大急ぎでカーテンを開けて、ドアを開けて。棚をいつもの位置に設置して、花を並べていたら背後から声をかけられた。
「ごめんください」
「はい!」
慌てて振り返ると、初老の女性が立っていた。着物姿の、背筋の伸びた女性で、鋭い目つきで小春を見つめている。
「あら。まだ開いていないの?」
「あ。すいません。今日はちょっと時間かかってしまって」
「……それにあなた、いつもの人じゃないわね」
「店長は、ちょっと体調不良で……」
「あらまあ。いつものを頂きたいのだけど」
「いつもの、ですか?」
「そんなこともきちんと伝えていないのかしら。サービス業として失格ね。あの人」
女性は眉を潜めて不快そうに言う。
「お教室に使うお花を用意して欲しいのだけど」
(そういえば、常連さんに華道の先生がいるって聞いたことある!)
多分その人だろう、とは推測が付いたが、華道の花と言われて小春は困惑してしまった。花束の作り方や鉢植えの手入れの仕方などは茉莉香に既に教わっているけれど、華道用の花についてはまだ習っていなかった。おまけに目の前の女性はそれは厳しそうな人だ。
「も、申し訳ありません。店主が休みなので……できれば、どのお花を使うか教えていただければ嬉しいんですが」
「まあ、そんなことも分かっていないの? いくらアルバイトとはいえ、呆れた店員ね。あなた、仮にでもこの仕事でお金を貰っているのなら、もっと責任感を持って仕事をした方が良くってよ」
声高に非難したものの、女性は数種類の花を指示してきたので、言われたとおりの花を包む。
だけど、お待たせしました、と言って差し出したのに、その花は受取られなかった。
「あの……?」
「花の処理がなってないわね」
「え。あの、すいません」
「こんな子に包ませるなんて、ほんと、なんて店かしら。もう、今後も考えさせて頂かなくてはね」
小春は心臓に冷たいナイフでも当てられたような気分になった。やっぱり、未熟な自分では無理だったんだ。調子に乗って茉莉香さんの代わりに店頭に立つなんて。どうしよう、茉莉香さんの店の大の常連さんが一人減ってしまう。いや、もしかしたら一人どころじゃないかもしれない。これから何人も、自分が対応したせいで……。
とりあえず、謝らないと!
「も……」
「申し訳ありません」
小春の言葉を遮って、どこか頭上から声がした。はっきりとした、それでいて柔らかで人を信頼させるような落ち着きを持った声だ。
「この者はまだ入りたてでして。すぐにお包みしなおしますね」
小春が振り返ると、そこには花屋のエプロンをつけた柏木が立っていて、まるで自分が店のスタッフであるかのように、しかも小春よりも上の立場であるかのようにそう言った。
「あら。あなたが責任者?」
「本日だけ、急遽代打として呼ばれました。本社の職員です」
嘘も良いトコだ。確かに、フランチャイズチェーン展開している花屋は多いけど、この店は正真正銘、茉莉香の個人経営の店なのに。でもそんな事知っている人なんて余程興味がないといないので、女性もすぐに信じてしまう。
「そうなの。じゃあ安心ね。やり直して頂戴」
「はい。ただ今」
柏木はにこやかに言って、小春の手の中から花を取り上げて奥の作業机で、うまく女性から見えないような角度で包装紙をちょっと開いて、またすぐに戻した。特に何もしていない。
「お待たせ致しました。こちらで宜しいでしょうか」
女性は柏木が差し出したものを受取ってちらりとそれを見ると、つんと澄まして「結構よ」と言った。
(えー…。何それぇ)
ブーイングは心の中にしまっておく。
お金を受取って、にこやかに「ありがとうございましたー」と見送る柏木の横で微妙な顔をしながら一応客が見えなくなるまでお辞儀。
「……柏木君、何もしてなかったよね」
「うん」
いつも通り、爽やかに後光が差しそうな穏やかな笑みで。
「あの人、有名なクレーマーの人。よく茉莉香さんが酔っ払ってこぼしてるよ。すごいうるさい人がいるって。なんかにケチつけなきゃ気が済まないみたい」
「茉莉香さんと飲んだりしてるんだ。いいなー」
「店の料理用のワインね。ウチの店で就業後に勝手に引っ掛けるんだよあの人。結構良いワイン使ってるからね。美味しいんだって」
「意外な一面!」
「あ。言いつけたのバレたら怒られるかな? ナイショね? 三崎さん」
口の前に人差し指を当てて悪戯っぽく微笑んで小首をかしげる姿もきまっている。
「ナイショ、はいいけど。助けてくれたのもありがとうだけど、アレ、良かったの?
後で開いて戻ってきて怒られたりしない?」
「大丈夫でしょう。あんま視力良くないみたいなんだ。自分で言ってるくらいだし、時々お店で見てる俺も俺だって気づかずに店員だって納得しちゃうんだから……たぶん、別に三崎さんの処理で間違ってなかったんだと思うよ。俺は詳しくないから分かんないけど。茉莉香さんも毎日3回くらい包み直しさせられるんだって」
爽やかに言ってるけど、こんな無邪気に、特に罪悪感なくさらっと人を騙せちゃうのは善人と言うのだろうか? いや助けてもらった自分が言う筋合いはないとは思うけれど。
「ところで、届ける花取りに来たんだけど。わかる?」
「あ。それなら茉莉香さんが言ってたから分けてある。一緒にそこに置いてある花束も持ってってくれる? 先生用の花束なんだって」
「了解」
とりあえず今は柏木の事はおいておいて、仕事の事だ。小春は慌てて仕事に頭を切り替える。
(にしても、茉莉香さんいつもこの時間は私に裏の作業やらせると思ったら、あの人と遭遇しないようにしてくれてたんだ……)
それはきっと、小春が不快な思いをしないように、という彼女の心遣い。
(さすが。できた人だなぁ)
さりげない茉莉香の心遣いに頭が下がる思いだった。
混んでくる前に店の開店の用意ついでに、画用紙に「本日は午前11時までの営業となります」と描いて手持ちの色鉛筆でデコレーションしておいた。何を隠そう小春は美大生だから、こういうのには結構自信がある。画用紙に描いたものでも、ちょっとしたポスターのように見えるくらいに仕上がったところでぼちぼちお客さんが来始めたので、それを店の戸に貼り付けて、本来の仕事である接客に戻った。
さすがに発表会がある日はいつもよりも客の入りが良い。本来ならば今日は茉莉香と二人で店頭に立つ予定だった事からも予想はできていたけれど。ひっきりなしに訪れる客の相手をしていたら、いつの間にか時間が経っていた。ぱたりと人が来なくなったな、と思ったのが発表会の始まる10時頃。その後もぽちぽちと来るお客さんの相手をしていて、気づいたらすぐに11時になっていた。
(ふう。なんとか捌ききった!)
ある種の達成感を感じながら、このまま11時で閉めるのも勿体ない気になるなあ、などと思いながらもぼちぼち片付けの用意を始めた時だった。裏口ががちゃりと開いたかと思ったら、柏木が勢い良く店の中に飛び込んできた。配達はとっくに終わっているにもかかわらず。それに、いつもはこちらに来る時は花屋のエプロンを上に着けてくるのに、今は隣のレストランの制服のままだ。シンプルな白いシャツに黒いロングの腰巻エプロン、黒いパンツというシンプルな格好だけど、さすがモデル並にスタイルの良い柏木は見事に格好良くそれを着こなしている。
「三崎さん、今って手ぇ空いてる?」
いつもの柏木なら入ってきてまず挨拶だから、こんなに唐突に切り出されたので面食らってしまう。柏木は何か酷く焦っているようだった。
「今お店しめようと思ってたとこ。これから後片付けなんだけど……」
「良かった! 片付けは後回しにして、ウチ、手伝ってくれない?」
「手伝う? お店を?」
「うん。人手が足りなくて困ってるんだ。もうすぐランチが始まるのに」
「私にできるなら……。急いでお花の処理だけやっちゃってからでいい?」
「うん。できるだけ早くお願い。終わったら厨房の方に顔出してくれる?」
「わかった」