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風邪っぴき 前

 「おはようございまーす」、と元気良くバイト先に訪れた休日の朝。今日は良い天気。絶好のお出かけ日和ながら、朝から晩まで一日バイトだ。まあ、良い。半分屋外のバイトだから、気持ちの良い日光の恩恵は受けられる。

 (あれ? 返事がない)

 いつもは小春が入って行くと「おはよー」と元気な返事が返ってくるのに今日は小春の声はすうっと店の中に吸い込まれてしまった。店の様子も、普段とどこか違って、なんだかよそよそしい気がした。そういえば、いつもは茉莉香さんが既に働いていて、花を並べたり棚を出したりしているのに、今日はそれが出ていない。辛うじて、やりかけの花を置く棚が何の花も乗せずにその場にぽつんと置いてあるだけ。店の内側の、上から下ろすタイプのカーテンもいつもはきちんと上げられているのに今はまだ閉まったままで、だから表通りに面した大きなガラス戸から日がきちんと入ってこなくて薄暗い。

 「茉莉香さん?」

 訝しげに呼びかけながら、店内に入る。定位置の奥の棚に鞄を置きに行って、そこでぎょっとする。奥の椅子に人が一人、息絶えたようにだらんと上半身を折り曲げて座っている。他でもない、茉莉香だ。

 「茉莉香さん!! どうしたんですか!?」

 小春が慌てて駆け寄ると、だらんと垂れていた手がぴくりと動いて、よろよろと緩慢な動きながら茉莉香が半分程顔を上げた。

 「……あれ? 小春?」

 こちらを見た目が潤んでとろんとしている。顔が真っ赤で、前髪が汗でぺたりと額にくっついていた。

 「あれ、じゃないですよ。どうしたんですか!?」

 「ん、ちょっと具合が悪かっただけ。もう大丈夫」

 とても大丈夫だという顔ではない。実際もしかしたら今小春が声をかけるまで気を失っていたのではないだろうか?

 「病院行った方がいいんじゃないですか?」

 「んーん。ただの風邪だから。昨日ちょっと雨に濡れちゃって」

 話す言葉も呂律が回っていない。本人は必死に立ち上がろうとしているようだけど、足が軽く揺れてはすぐに力を失ってしまう。

 「今日、お店お休みにします?」

 「それは駄目」

 そこだけはきっぱりと、言い放つ。

 「今日はきらめきホールでピアノ教室の発表会があるから……」

 「あ。そっか。……でも、いくらかきいれ時っても、そんな体調じゃあ」

 きらめきホールは、お店から歩いてすぐの場所にある市民ホールで、よくそこでコンサートや発表会が行われる。一番近くにある花屋、という事で、そこでイベント事がある日はこの店は大忙しだ。

 「かきいれ、だけじゃなくて。ここがあるからって安心して手ぶらで来るお客さんが、突然お休みになってたら困っちゃうでしょ。せめて、発表会のお客さんが来なくなるまではお店空けとかなきゃ。あと、先生にあげる大きな花束も、任されてるし……それは、作ってくれる??」

 「わ、私がですか!?」

 小春は思わず頓狂な声を上げる。そんな大きな花束なんて、作った事がない。あまり自信はない。

 「横で指示するから。花も形も、もう決まってるの」

 「……わかりました」

 「舞台に飾る花は、清君が届けてくれる事になってるから、それと一緒に配達して貰って。……あれ、発表会、何時からだっけ?」

 問われて小春は、作業用のテーブルの上のコルクボードにたくさん貼ってあるメモから該当のものを探す。

 「10時です」

 「じゃあ、遅れてくる人の事も考えて11時頃まで開けてればいいか」

 よ、と声をかけて、茉莉香は立ち上がる。はらはらと小春が見守る前でよろよろと足を動かして、数歩歩いたのだけど、すぐに床に崩れ落ちるようにしゃがみこんでしまった。

 「分かりました。私がやりますから、茉莉香さんは帰って寝てください!」

 小学生くらいの子供が多いピアノの発表会用の花束なら、小春にも作る事ができる。

 小春が言うと、茉莉香はしゃがみこんだまま、ゆるゆると首を振る。

 「さすがに、店主として、それは……なんかあっても、小春一人じゃ対処しきれないでしょう?」

 「じゃ、じゃあ、隣のお店の休憩室で横になっててください! なんかあったら駆け込みますから」

 言ったのだけど、返事がない。気づけば茉莉香はそこに蹲ったまま、また意識が遠のいてしまったらしい。

 小春は急いで荷物を置くと、隣の店に走る。裏口のドアを遠慮なく開けると、飛び込んだ先に居た翔人に駆け寄った。

 「翔人さん! 紺ちゃんは?」

 突風のように飛び込んできた小春に、翔人はちょっと瞠目したようだが、すぐに元の仏頂面に戻って言う。

 「店長に何の用だ?」

 「茉莉香さんが倒れたんです!」

 翔人は今度こそ、はっきりと驚いた顔をした。

 「倒れた?」

 「風邪だって言うんだけど、無理して仕事来てたから……。できれば、紺ちゃんに運んでもらって、お店の休憩室で寝せておいて欲しいんだけど」

 花屋の方はあまり余分なスペースがないのだけど、レストランの方にはスタッフが休息する休憩室がある。そこでは時々店主の紺野が寝泊りしたりするくらいなので、そこそこの装備はある。

 ちなみに、店主の紺野は体つきのがっちりした熊のような大男なので、茉莉香一人担いで運ぶくらい朝飯前だろう。目の前の翔人は背は低くないのだけど、結構スマートなので比べてしまえばちょっと頼りない。

 「わかった。店長は取り込み中だから俺が運ぶ」

 「……翔人さんが?」

 不安そうな顔をしてしまった小春の鼻を軽く摘んで「なんだその顔は」と言って、翔人は裏口からさっさと出て行ってしまう。

 「花屋は今日閉めるんだろ?」

 声が聞こえてきたから小春は慌ててその後を追いかけた。

 「ホールで発表会があるから、11時までは開けておきたいって茉莉香さんが」

 「……そうか。なんかあったら来いよ」

 「ありがとうございます」

 翔人は花屋の裏口から入って、身を屈めて地面に蹲っている茉莉香の両手を自分の両肩に回して担ぐようにして、茉莉香を運んで行ってしまった。

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