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お花屋アルバイター 後

 「ただいまー」

 柏木から預かったお金の処理だけして、また水替えの作業に戻って黙々と働いていると、声がした。そちらを振り返ると、店先から店主がにこにこと覗き込んでいる。店主はまだ若い女性だ。日の照っている屋外にいるから、だけではなくその笑顔は眩しく輝いて見える。小春はつられるように笑顔になった。

 「おかえりなさい!」

 「お客さん来たぁ?」

 「5人だけ。3人は花束です」

 「偉い偉い。作ったのね? 満足してくれた?」

 「そう、言ってくれましたけど……」

 「よしよし、上達してるわね」

 言いながら店の中に入ってきて、店の奥に荷物を下ろそうとしてテーブルの上の花束に気がついたようだった。

 「あら? あれは?」

 「ああ。あれは、私の知り合いが来て、くれるって」

 「貰いもの? 小春が作ったのかと思ったわ」

 「作りました。そしてお金は頂きました」

 「そうなの? まあ、それならいいけど」

 「あ、茉莉香まりかさんいりません?」

 「え? 私が貰っていいの?」

 「私が作ったへっぽこで良ければ」

 「ウチの花をへっぽこ扱いするなー」

 店主の茉莉香は可愛らしく小春を軽く睨んで、それから花束に手を伸ばしてしげしげと見る。

 「うん。いいじゃない。可愛い。じゃあ後でお隣にプレゼントして来よ。飾ってもらおうね。帰りがけにおいてきてくれる?」

 「げ」

 「げ?」

 「だってこんちゃん変なんですもん」

 「ああ。まあ、これもお付合いお付合い。小春はまだいいよ? 隣の二人なんてあの下で働いてるんだよ?」

 「大変ですよね」

 「結構うまくやってるようだけどね」

 ふふ、と茉莉香は笑って、さてと立ち上がる。

 「私も水替しようかな」

 「もうすぐ終わりますよ?」

 「そうなの? 小春はまったく有能ねえ。じゃあ植木の方の手入れしよう。早く終わったらまた花束教えてあげるね」

 「ホントですか!? やった」

 小春は茉莉香が大好きだ。美人だけど気取ったところがなくて、笑うと顔がちょっと幼くなって、可愛らしい感じになる。若干28歳にして、既に夢をかなえて自分のお店を持っているというのもすごい。毎日活き活きと働いている姿は見ていて気持ちが良いし、アルバイトの小春にも惜しみなく技術を仕込んでくれる。

 (これで独身彼氏なし、ってんだから、世の中の男の人の見る目がないったら)

 世間はきっと何か大きく間違っている、と小春は思う。

 

 「紺ちゃーん」

 茉莉香に言われたとおり、小さな花束を持ってバイト帰りに隣の店の裏口から顔を覗かせる。覗かせてすぐに人にぶつかりそうになった。慌てて足を止めるけれど、ちょっとよろけた。その腕をその目の前の誰かが掴んで支えてくれる。

 「あ、ありがとう」

 顔を上げて相手を確認しながら言うと、感じ良くにこっと微笑んだ柏木は「厨房は危ないから、気をつけてね」と言った。

 「はい。すいません」

 「別に怒ってるわけじゃないよ? で、どうしたの? 店長に用事?」

 「大した用事じゃないんだけど。お店に花束、いらないかなあ? って。茉莉香さんが持ってけって……」

 言いながら花束を差し出すと、柏木は「あれ? その花束って……」と言いかけて、それから気を取り直したように言い直した。

 「三崎さんが作ったの? 店長喜ぶんじゃないかな。ちょっと今忙しそうだから渡しとくよ」

 「あ。ありがと……」

 言って渡そうとしたら、柏木の背後から不機嫌そうな低い声が聞こえた。

 「花束なら迷惑だぞ」

 小春も柏木もそちらを振り返る。シンクに向かって野菜の皮を剥いているのは店長の紺野こんのの下で働いている料理人の林田翔人はやしだしょうとだった。年は24とか茉莉香が言っていたので小春は辛うじて知っている。若いのに今から頑固職人みたいな風格よね、と茉莉香は笑っていた。翔人はこちらを一瞥もしないで、冷たい声で続ける。

 「今日店の花は全部入れ替えてもらったばかりだからな。今回は赤を中心にしてるから、そんな浮ついた色の花束は調和を乱す」

 こっちを見ていないのにいつ浮ついた花束の色を確認したのかという疑問は残るが、言われてしまえば仕方がない。

 「あ。そうですか。失礼しました」

 小春は怒られてすごすごと花束をひっこめようとした。その手の中から、柏木がさっと花束を取り上げる。

 「いらないんだったら俺が貰っていい?」

 「え? い、いいけど」

 「やった。家に飾るね」

 「柏木、無駄話してる暇あったら皿拭け」

 「はい。ただいま」

 柏木はしゃきっと翔人に答えて、笑顔で小春にばいばい、と手を振ってドアを閉めた。

 (……さすが、もてる男は女の扱い方、心得てるわ)

 閉まったドアの前で一瞬腕組みして、小春はしみじみと思う。行き場のなくなった小春の手の中の花束を拾い上げてくれた心遣い。なるほど、そりゃあ茉莉香でさえべた誉めする。確かに、彼の気遣いの細やかさは尋常じゃない。

 (柏木君を敬遠してるのは、私か翔人さんくらいだなあ)

 考えつつ腕組みしながら歩き出そうとしたら、パッとドアがまた開いた。

 「おい、コムスメ」

 「あ。翔人さん」

 ドアの付近にはもう柏木は居ない。その代わり翔人が偉そうに仁王立ちしていた。相変わらずの表情の読めない仏頂面だけど、柏木がいないせいか、若干、よく見ていないと気づかないくらいのほんのささやかなレベルで表情が先ほどよりは和らいでいる。でも、それが分かるのはほんの一握りの人間だ。多くの人は翔人の不遜で無愛想な雰囲気を嫌がって、もしくは恐れて、そんなにじっくりと翔人と関わろうとしないから。でも、小春は翔人の事は割と嫌いじゃない。不器用なだけで、悪い人ではないのだ。

 「今日の失敗作だ。もってけ」

 「うっほほーい。やった!!」

 「やめろその言い方」

 今日の失敗作、は店長か翔人が失敗した料理だ。失敗、といっても小春が自宅のキッチンにて魚を大焦げにしてキッチン中白い煙で覆われた、というようなレベルでの失敗ではない。ちょっと形が崩れてしまったりとか、ほんのちょびっと焦げ目がつきすぎてしまったり、とか。そういう程度の失敗でも、店長と翔人は「失敗」といって店に出さない。そして、就業後に自分たちで食べるか、こうして隣の店の自分たちにお裾分けしてくれる。銀紙に巻いた無造作なものだけど、その味はホンモノだ。

 「茉莉香さんにも届けた方がいんですか?」

 「花咲さんには帰り俺が渡しとくからいいよ」

 「了解! じゃあ、お疲れ様でっす」

 「ああ。変質者に気をつけろよ」

 「はいはーい」

 翔人は妹が3人いる、と以前言っていた。そのせいか、実は意外に若い女の子には慣れている、らしい。慣れているせいか、小春の見た目が幼いからなのか、どうも子ども扱いされるきらいがある。小春が抗議すると「それは三崎が実際頼りないからだ」と言われるけれど。

 貰った「失敗作」をほくほくと鞄に詰め、本当に帰ろうとしたところでちくり、と鼻の頭に冷たさを感じた。空を見上げると、もう日が暮れているその空が雲で覆われている。

 (げ。雨……)

 今日降るって言ってなかったのに!!

 内心で気象予報士への恨みつらみを呟きながら、小春は慌てて自転車に飛び乗って、酷く降り出す前にと足を急がせたのだった。

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