装備は箒 後
結局柏木はタクシーに乗って近隣の病院に行く事になり、震えの収まった小春は心配する紺野と翔人に何かあったらすぐ叫ぶと何度も約束させられて店番をしつつ店の前を掃除してから、戻ってきた茉莉香と交代してレストランの方のアルバイトをこなした。柏木の分も自分ひとりでやるのだから仕事量はとても多かったが、文句は言っていられない。なにせこれは、完全に自分のせいなのだから。
心身ともに疲労困憊して、ようやくバイトが終わってぐったりとして休憩室に行ったら、柏木が暢気にお茶を飲んでいた。どうやら、病院からはとっくに戻ってきていたらしい。
「よお。お疲れ」
「そちらこそ。怪我は?」
小春が聞くと、柏木は左手を小春の目の前に掲げてみせる。白い包帯でぐるぐる巻きになっていて痛々しい。
「幸い神経とかは切れてないから大した事はないけど、二週間くらい重いもの持ったりしちゃ駄目って言われた。さっきから代わりにバイトやってくれるヤツ探してんだけど、なかなかつかまらなくてな」
大丈夫な方の右手で黒い携帯電話をひらひらとさせて、柏木はちょっとうんざりしたように言った。
「私も友達にあたってみる。本当にごめんね。色々迷惑かけて」
改めて謝ったら、柏木はきょとんとした顔をした。
「なんで小春が謝んの? お前だって被害者じゃん」
「でも、私の対応法によってはこんな事にならなくて済んだかもしれないもん」
「ああ。確かにあのふりかたはキツかったもんな」
「うぅ……」
小春はいたたまれずに身を小さくする。
「でも、やっぱりあのくらいで刃物持ち出す方が悪いんだよ」
柏木は言って、立ち上がる。
「さっさと着替えろ。帰るぞ」
「え? ……でも、もう……」
最近起こっていた一連の奇妙な事の犯人は判明したようなものだし。
紺野にも「なんだあ、あのサドル、こはにゃんのストーカーの仕業だったんだな」と言われた。
今更柏木に送ってもらう必要性はなくなったのではないだろうか?
小春の反応に、柏木は呆れたような顔をする。
「別にアイツ、警察に引き渡したとかじゃないんだから、また襲われたら困るだろ」
「……被害届け、出さないの?」
確かそういう話を紺野や翔人としていた筈だけど。
柏木は「んー」とちょっと首をかしげるようにする。
「ちょっと様子見。……とにかく、さっさと着替えろよ」
言い置いて、柏木は控え室を出て行った。小春は大きなため息をついて着替え始めた。
柏木の命令にて、柏木の荷物を持って小春は歩く。
「重い。何入ってんの?」
「襲われた対策に鉄板とか」
「マジで!?」
「嘘に決まってんだろ」
柏木は言って、それから小春を見下ろす。
「で? 小春的には彼のどこがそんな嫌だったの?」
突然の話題転換に小春はぐっと言葉につまった。それでも、柏木が返答を待っているから嫌々答える。
「……嫌だったんじゃないよ」
「友達になって、っていうのもうんって言わなかったじゃん」
すぐにでもこの話は止めにしたかったのだけど、今は柏木に負い目があるからできない。小春は苦虫を噛み潰したような顔をした。
「高本君は、私がちっちゃくて守ってあげたいって言ったから」
「守られたくないって?」
「守るとか、守らないとか、そういうのじゃなくて」
小春は明瞭ではない口調で、渋々続ける。
「私じゃ多分そういう守りたい願望は満たしてあげられないと思うから。後からなんか違ったって言われても困るし」
「後から違ったとか、言うやついねーだろ」
「いるよ!」
咄嗟に言い返してしまった。
「いたもん。私、言われたもん」
「……マジで? もしかして俺、今おまえの古傷抉った?」
柏木は小春の勢いにちょっと驚いた顔をして言う。
「結構ね」
小春は柏木をちょっと睨みつけて、それからはあ、と息を吐いた。
「ここまで話したから言っちゃうけどね。私、高校の頃告白されて付き合った人がいて。別に元から全然仲良くなかった他のクラスの人なんだけど。結構嫌いじゃないタイプだったし、私の事を好きって告白してくれたからいいかな、って思って付き合ったの。でも、一月くらい経ったら突然ふられたんだよ。小春は俺が思ってたような女じゃない。俺がいなくてもなんでも一人でやってけんだろ、って」
今でも思い出すと胃の中が気持ち悪くなって、吐き気がする。
「私は付き合う前も付き合った後も私なのに。彼は勝手に私に自分の理想押し付けて、それと違ったって分かったら、もういらないって言ったんだよ。……ああいう思いをするのは、もう嫌なんだよね。だから私、私のルックスが好みって言って告白してくる人にはごめんなさいするようにしてるの」
苦々しい顔でそう話を締めたら、柏木は少し沈黙した後、右手を小春の頭に乗せた。
「嫌な事聞いて悪かったな。今でもずっと引き摺るほどって、お前、そいつの事ホントに好きだったんだな」
好きだった!? まさか! 冗談やめてよ。あんな男!
咄嗟に言いたかった言葉はたくさんあるのに、それは友人たちに言い馴れた言葉の筈なのに。
頭に乗せられた大きな手のせいか、この男にしては意外なほど優しい口調のせいか、どれも口から出てこなかった。
「……だって、楽しい思い出とか、優しくしてくれた事とか、たくさんあったんだよ?」
出てきたのは自分でも意外な程小さな声だった。そして、素直な言葉だった。ずっとずっと、誰にも言わなかった事だった。
「別れようって言われる直前までずっと、優しかったんだよ?」
その人が自分を好きだと疑う事もしていなかった。一緒に色々なところに行って、たくさん笑って、話をして。そうしている間彼はずっと自分が思っていたのと違うと小春に違和感を感じていただなんて、全然知らなかった。
言われた時、まるで自分の全てを否定されたような気持ちになった。
「でも、やってる事は私も同じなんだよね。私は高本君はきっと人畜無害な人だから適当にあしらっても大丈夫って勝手に見た目だけで思ってたんだ。それで、せっかく勇気を出して告白してくれたのに、踏み躙って侮辱したから、あんな事になったんだと思う。だから、清にはすごく申し訳ないと思うよ」
小春が言うと、清は呆れたように「馬鹿か、お前」と言った。
「そんなくだらねー男にいつまでもこだわって、色々無駄にしやがって」
「私だってそう思うけどさー」
小春は口を尖らせる。
「まあ、高本の件で反省しているところは認めてやる。もっとも、それでも俺は高本の方が悪いとは思うけど。お前のそういう自分の欠点を冷静に判断できるところは評価に値する」
柏木は偉そうに続ける。
「それから、割と話が分かるのも、変に気取ってないのも悪くないと思うし、変なところで勇敢なのも俺は嫌いじゃない。ちょっとはらはらするけどな。それに、仕事はまじめに全力でやるし、いつも明るく気持ちよく接客しているのにも好感が持てなくもない。だから、お前はお前で全然問題ない……」
ぽかんとして柏木を見上げた小春に、柏木はちょっと顔をしかめて見せた。
「……って、なんだその顔」
言って、また頭を押しつぶされた。
ホントは優しいんだよ、という小夏の言葉が思い出される。本当だ、と思う。必要ないところでは全然優しくしてくれないけれど、むしろ意地悪だけど。本当に優しくして欲しいところでは優しくしてくれる。
そろそろ小春の家の前だった。バイト先にいる時よりも大分気分が心が軽くなった。
「ありがと、清」
家の前で、柏木の顔を見上げて言うと柏木はちょっと驚いた顔をした。
「……まさか、そんな茉莉香さんにしか向けないような顔を俺にも向けられるとは思ってなかったよ」
「はあ?」
小春が首をかしげると、柏木はちょっと肩を竦めた。
「なんでもねー」
何故か小春の頭をぐしゃぐしゃとかき混ぜるので、髪の毛が視界を覆って前が見えない。
「ちょっとぉ」
小春が文句を言うと、柏木はちょっと笑った。
「お。やっぱその方がっぽいよ」
じゃあな、と柏木は言って、小春が髪を直している間にさっさと去ってしまった。




