[Arrange] Decision Making
Boys be ambitious !(いろいろ違う・・・)
とんでもない寒波来襲で冷え込んだある冬の日。 ぱたり、とお客様の途切れた静かな店内で彼女は留守番をしていた。 マスターは二十分ほど前に足りなくなりそうなアレンジ・ティーの材料の買い出しとお茶菓子の仕入れにでかけた。 『ちゃい・む』のお茶菓子は近所のプチ・レストランシェフの特製で他では味わえないお菓子だ。 シェフの気分によって何が出てくるかわからないため、ちょっとした名物にもなっている。
「今日はなにかしらね♪」
一番楽しみにしてるのは私だったりして、と彼女は小さく笑う。
しゅんしゅんと沸いてきたケトルの火を止めていつものカウンター席に座り、窓から外を見る。 薄い雲の広がった真珠色の空はこの季節独特の冷たい色で、今にも雪が降ってきそうに見える。 軽く肩をすくめて立ち上がり、カウンターを回ってキッチンへ。 そのとき、しゃらら・・・ん、とドアが軽やかな音をたてた。
「いらっしゃいませ」
ドアを開けたところで立ち尽くす少年ににこやかに声をかける。 まだ高校生くらいだろうか。 どことなく線が細く見えるけれど、何かスポーツでもやっていそうな背の高い少年だ。 なぜかドアのところに立ったまま、動こうとしない。
「お好きな席へどうぞ。 今、お水とおしぼり、お持ちしますね」
もう一度、声をかけるとはっとしたような表情を見せて少年がぺこっと頭を下げる。
「こ、こんにちはっ! あの・・・お店、開いてるでしょうか?」
小さく笑う。 彼女の声は少年に届いていなかったらしい。
「ええ、開いていますよ。 こちらのお席へどうぞ」
にっこり、とドアから少し離れた適度に暖かくて明るい席を示す。 なにか考えることがあってぼんやりしているらしい少年にはちゃんと指定したほうがよさそうだ、と判断したのだ。
「あ・・・は、はいっ!」
ぎくしゃくと硬い動きで示された席へ移動する少年に苦笑。 こういう店に慣れていないのが見え見えだ。 少年のぎこちない動きに合わせてゆっくりとキッチンに入り、水とおしぼり、メニューを用意する。 コートとかばんを椅子において、反対側の席に少年がつくのを見計らい、トレイを持って移動。
「はい、こちらがメニューです。 決まったら呼んでくださいね」
開いたメニューを差し出して微笑む。 一瞬見惚れるように惚けた少年が慌てたように口をひらいた。
「あ、あのっ! こ、ここのおすすめってどれでしょうっ?」
どこか必死、な様子にまたもや笑みがこぼれる。 それに少年が照れたように視線を落として頭を掻いた。
「すみません、こういう店、初めてでよくわからなくって・・・」
素直な反応に彼女はちょっと首を傾げた。 紅茶は飲む人の好みでずいぶんと反応が割れる。 だから『ちゃい・む』ではマスターおすすめ、などというどこにでもあるようなあおり文句をどれかの銘柄につけることはない。 紅茶を飲むひとときを楽しんでもらうための場所だからだ。 初めて専門店に入るのならなおさら、紅茶のおいしさを知ってもらいたい。
「そうね・・・どれもおいしいけど・・・好みによってずいぶん変わってしまうから」
つぶやいたら少年が困ったように笑って続ける。
「あ、すみません。 そうですよね。 え~と・・・あの・・・考え過ぎで疲れてて・・・で、寒いからあったかくなるような紅茶、って・・・」
これまた抽象的な注文。 彼女は無言で少年が言葉を継ぐのを待つ。 何に疲れているのかしら、と思いつつ。
「・・・こんなんじゃ、注文にもなりませんよね」
「ん~・・・牛乳とかナッツ類ってだいじょうぶ? あと、甘いもの」
頭、抱えてしまった少年に尋ねる。 なんとか好みを絞ってみよう、と言葉を選んで問い掛けると少年がこっくりとうなづく。
「はい、牛乳、大好きですし、ナッツも好きです。甘すぎなければ甘いのも」
その答えににっこり、と微笑んで彼女はいたづらっぽく提案する。
「あのね、私にまかせてもらう、っていうのはどうかしら? きっとお好みの紅茶、選べると思うの」
「えっ、いいんですか? お願いします!」
見ていて思ったこと。 どうやらこの少年、なにか悩み事があるらしい。 しかもそれをなんとか自力で解決しようとしていて、思考の渦にはまりこんでいるようだ。 それなら。
少年の返事にキッチンに戻って準備をしながら彼女はカウンター越しに話し掛ける。
「違ってたらごめんなさいね。 もしかして・・受験生?」
「はい、そうです。 わかります?」
「なんとなく、ね。 じゃ、考えすぎって進路のことかしら?」
当たり、などとつぶやいて問いを続ける。 推測が正しいならやっぱりこのお茶よね、と思いながら小なべを火にかけて。 少年があいまいに笑ってうなづく。
「先生や親に薦められる進路がなんだか納得いかなくって。 きっとそっちのほうが正しいんでしょうけどね。 って、初対面の人に何話してるのかな、ぼくは・・・」
情けなさそうに笑う少年に彼女はころころっと明るく笑う。 昨今珍しい、いい子だわ、と気分が暖かくなる。
「言っちゃったほうが楽になれるものよ。 ひとりで悩んでるとろくなことにはならないもの」
弱火にかけたなべを軽く揺する。 香ばしい香りが充分に立ち上ったところでミルクを注ぐ。
「ふふ・・・そう言えば、同じようなこと、悩んでた人がいるわ」
なべの中でゆっくりと対流が起こるのを見ながら言葉を続ける。 少年が目をぱちくりさせてこっちを見ているのを感じるが、敢えて視線は向けない。
「ある分野でね、とっても優秀な人で。 周りもみんな、その人はその分野のプロになるんだと思ってたのね」
小さな泡が立ち始めたところで紅茶の葉をなべに入れて。
「だけどその人のやりたいことは別のことで。 周り中から言われても納得いかなかったみたいで」
なべから立ち上る香気がやわらかな香ばしさに変わっていく。 あと、少し。
「たくさんたくさん考えて、その人はやりたいことを選んだの。 みんなが言うことのほうが正しいのかもしれない。 でも後悔はしたくない、ってね」
なべを火からおろし、温めておいたポットに移してカップといっしょにトレイにのせる。 そしてカウンターを回って少年のところへ。
「親御さんや先生のほうが正しいことってままあるけれど・・・でもね、あなた自身が後悔しないこと。 それが一番大切よ?」
にこっと笑いかけてカップにお茶を注ぐ。 淡い色に染まったミルクティー。 けれどその香りはただのミルクティーではありえない香ばしさを秘めている。
「お待たせしました。 飲んでみて♪」
「は・・・はい、いただきます」
少年がゆっくりとカップに口をつける。 その表情がびっくりしたようなそれに変わっていく。
「・・・おいしい。 これ・・・?」
問い掛けとほぼ同時にしゃらら・・・ん、とドアチャイム。 穏やかそうな青年が大きな荷物を抱えて入ってくる。
「ただいま戻りました。 あ、いらっしゃいませ」
「おかえりなさい、マスター」
青年をとっておきの笑顔で出迎え、少年に彼がこの店のマスターであることをそっと教える。 軽く一礼してキッチンへ入る青年を見送ってさらに小さな声で一言。
「あの人が、悩んでた人」
「・・・えっ・・・?」
ウィンク付きで言い逃げてキッチンへ戻る。 なぜかマスターが小さく笑っている。
「ああ、ナッツティーですね。 お悩みだったんですか?」
荷物を片付けながら暖かい笑顔を少年に向けてマスターが問うのに彼女はあら、ばれちゃった、と小さく舌を出す。
「このお茶、私が決断を迷っている時にしか入れてくれないんですよ、彼女は。 最後に入れてもらったのは・・・この店を始める決断をした時でしたね」
軽く揶揄するような視線が自分に向けられるのを素知らぬ顔で受け流す。 ちゃんと気づかれているのがうれしくもあり、くやしくもある。
「不思議に甘いけれど、気分が落ち着くでしょう? 悩んでいる時は知らず知らずのうちに思考が固まってしまいますからこんな変わったお茶で気分転換もいいものだと思いますよ」
「ええ、すごくおいしいです。 あったまるし」
少年とのやり取りを軽く聞き流してマグカップに紅茶を入れ、マスターに手渡す。 ありがとう、と礼が返ってきて、礼を返して。 片づけた荷物から出てきたシンプルなビスケットを入れたお皿を受け取る。 今日のお菓子はこれらしい。
「どうぞゆっくりしていらしてください。 ご自分で決めたことならがんばれますからね」
少年に向けられた安心感を与えるマスターの笑顔がマグカップの中身に苦笑に変わる。
「いつものブレンドですか? 今日もナッツティーは入れてもらえないようだ」
「だって、あなた、悩んでないもの♪ ねぇ?」
お皿をサービス、と言ってテーブルに置き、いたづらっ子のようにウィンクして同意を求めると少年が晴れやかに笑う。 だいじょうぶそうね、とすばやくマスターと視線を交わして彼女も笑った。
『ちゃい・む』を満たすふわふわと暖かな香り。
どんな紅茶にも負けない甘い、香ばしい香りが外の寒さを融かしていった。
悩みすぎると頭って堂々巡りしませんか?
そんな時は普段しないささやかな挑戦をしてみるのもひとつ。
意外と合うんですよ、ココナッツとミルクティーって(笑)
【ナッツティー】
数あるアレンジ・ティーの中でスタンダードなミルク・ティーのアレンジ。 砕いたナッツを乾煎りして香りを出し、そこにロイヤルミルク・ティーの要領で紅茶を煮出す。 ともすればきつくなりがちなナッツ独特の芳香や風味がミルクで柔らかくなる。 紅茶は香りのきつくないセイロン系を。 ナッツはなんでも良いがココナッツが一番、合うように思う。