セイロン(2)【Ceylon(2)】
いらっしゃいませ。 ようこそ茶・夢へ。
こちらは紅茶の専門店になります。
本日は普段使いのセイロンはいかがでしょうか?
学校帰りにお気に入りの店に寄っていつもの席でぺたーっとテーブルに突っ伏す。 最近急激に寒くなってきたせいか、全身がだるくってなんだかもう、なにもかもがどうでもいい気分だった。
「あらあら、お疲れ? 今日はなににします?」
上から軽やかなきれいな声。 気だるく起き上がって見上げる。 いつも美人のウェイトレスさんは今日もやっぱり最高に美人だ。
「ん~・・・目が覚めるのでなにかお勧め、ありませんか~?」
オーダーに迷ったらまず尋く。 これはこの店での鉄則だと私は思ってる。 マスターはもちろん、ウェイトレスさんも紅茶にすごく詳しくって、勧められる紅茶がはずれたことってないから。 今みたいに抽象的で気分にまかせた無理を言っても必ずそれにぴったりのお茶、出してくれる。
「・・・だそうよ」
私の言いようがおかしかったのかくすくすっと笑ったウェイトレスさんが水とおしぼりを置きながらカウンターの向こうのマスターに話を振る。 穏やかなマスターは嫌な顔もせず、カップの準備をしながら笑ってくれた。
「どんな感じに目が覚めるのがよろしいでしょうね?」
「それはもう、しゃっきりすっきりとー。 カフェインの多いお茶なら目、覚めるかなぁ」
半投げ槍に応えると今度はウェイトレスさんにめっとにらまれてしまった。 心配されているらしい。
「だめよ。 紅茶で具合が悪くなっちゃったら悲しいじゃない? どこか弱ってる時はカフェイン、きついもの。 胃が痛くなっちゃうわよ?」
「そうですけど、ほんと眠いっていうか、だるいっていうか・・・」
これじゃ講義にも集中できなくてあぶないんですよ~、と愚痴ってみると、しかたないわね、という感じに笑われてしまった。 マスターも苦笑している。
「うーん、困りましたね。 そのご様子じゃあまり強い葉はお勧めできませんし・・・」
あれこれと紅茶を探してくれるマスターになんとなくほんわかしてくる。 わけのわからない注文なのにただ通り一遍に『濃くて強い紅茶』とかじゃなく、いろいろ考えて探してくれるのがほんと、うれしい。
「寒くなったせいか、朝はもうたいへんなんですよ、起きるの」
マスターがいろいろと紅茶を吟味してくれてる間、時間のあるらしいウェイトレスさんとおしゃべりする。 このところ、大学祭の準備やテストでやたらと忙しかったこと、やらなくちゃならないことだらけでいつも切羽詰まってること。 疲れが寝ても回復しなくって朝がきついこと。 ぎりぎりまで寝てるせいで朝はちゃんと食べてないこと。
「あ、でもね、なんにも食べないわけじゃないんですよー。 それだと昼まで持たないから」
育ち盛りですもんね、と笑うとウェイトレスさん、困ったわね、ときれいに苦笑した。 そしてカウンターの奥を振り返って。
「ね、それなら?」
「ええ、あれがよさそうですね」
マスターとウェイトレスさんのそんな会話。
それでわかりあってるなんてほんとすごいなー、いいな、こういう二人って、とちょっとうらやましく思う。
この店にはあからさまにウェイトレスさん、くどきに来てる男の人とかもいるけれど、どう見たってマスターとウェイトレスさんは恋人同士。 それもとっても大人でシックな感じの、ちゃんと回りのことも気遣える素敵な関係で、あこがれてしまう。 最近の若いカップルなんて少しは見習ったらどうよ、よね。
そんなことをつらつら考えているうちに入れられた紅茶を取りにカウンターへ向かったウェイトレスさんを見て少しわくわく。 マスター、今日はどんな紅茶を選んでくれたのかしら、と期待を込めて待つ。 優雅にセットされる象牙色のシンプルなカップに揃いのポットでウェイトレスさんが最初の一杯を注いでくれる、期待が最高潮になる一瞬はいつも幸せだ。
あ・・・いつもよりずっと濃い色のお茶。 うわぁ、香りが強いのね。 うん、でもきつい感じはしない。 なんていうか・・・
「はい、お待たせしました。 ミルク入れても合うわよ」
「わーい、いっただっきまーす♪」
まずはなんにも入れずに一口。 ふわぁ、と香りが広がってはっきりとした紅茶の味が喉を滑り落ちていく。
・・・うん、紅茶だわ。 普段なんとなくイメージしてる紅茶の味がものすごく強い、でもまろやかな紅茶。 香りもようするに紅茶で・・・でも、なんだかかわいい感じ・・・?
「いかがですか?」
カウンターの向こうからマスターが穏やかに聞く。 それにちょっと首を傾げてカップをためつすがめつ。
「紅茶らしくってぇ・・・すっきりする、っていうのかしら・・・」
濃い目の紅茶みたいな味と香り、でも濃く入れたわけじゃない。 きっと元々がこういう紅茶なんだろうと思う。 そのさりげない主張が妙にかわいらしいような不思議な感覚。 ずーん、と体の奥底でのたうっていた疲労がしょうがないな、って感じでいっしょに押し流されていくみたい。 難しいことはわからないけど・・・
「これ、好きかもー♪ ね、マスター、これなんていう紅茶なんですか?」
『私は紅茶』っていう主張がやたらとかわいいそれを楽しみながら聞く。 そんなに高くない紅茶だといいな、と思って。
「キャンディ、です。セイロン系の紅茶で普段使いのお茶ですよ」
「へぇ・・・名前がかわいい・・・」
普段に使われるお茶ってことは高級品じゃないってことよね、と考える。 それでもこんなに個性的なんて、紅茶ってば奥が深い。
「素直ですが、コクがあるでしょう? 疲れの取れない朝の眠気覚ましにはいいお茶なんですよ」
にこにこと優しい笑顔で説明してくれるマスター。 ウェイトレスさんがカウンターにもたれていつものように付け足してくれる。
「どうしようもなく忙しくって疲れが残ることもあるでしょうけど、そんな時でも意識的に余裕を持つと気分が変わるわ。 紅茶一杯でもいいの。 別のことに目を向けてみたら新しい発見があるかもしれないわよ?」
そんなものかなー、と紅茶片手に思う。 確かにこの紅茶のおかげでやる気が出てきたけど。 そして茶目っ気たっぷりなウインクがウェイトレスさんから飛んでくる。
「あなたに気づいてもらえなくて、ため息ついてる人がいたりすることにも、ね」
「やぁだ、もう~。 そんな人、いませんよ~」
きゃらきゃらっと笑って受け流しながら、それでも心のどこかで思う。 そういえばこのところまともに人と話をしてないなって。 事務連絡じゃなくておしゃべりとかしたら、もっと楽しくなるかしら。 よし、この紅茶、買ってってみんなにも入れてあげよう。
「マスター、お茶、少しわけてくださーい。 キャンディがいいなっ」
「はいはい、包んでおきますよ」
マスターの返事を聞きながらポットからもう一杯。 肩肘張らなくていい普通の紅茶はミルクを入れてもやっぱり『私は紅茶』。 それを入れておしゃべりする時のみんなの楽しそうな笑顔が浮かんできて、よっし、がんばるぞー、と気合を入れてみたり、した。
セイロン・キャンディ。
数あるセイロン紅茶の中でもおそらく一番の歴史を誇るキャンディ地区で栽培されている紅茶です。 意外と知られていないんですが。
知られていない理由はおそらく、そのあまりの癖のなさが原因なのかなー、とも思うのですが、素直な紅茶らしさがけっこう好きなんです。 そしてどんな癖の強い個性的な紅茶にもマイルドに合わせられるその素直さがブレンド紅茶には最高らしい、とはつい最近知ったこと、です。
【セイロン・キャンディ】
セイロンの中では低地で栽培される茶葉。そのため、はっきりした色合いとコクのあるしっかりした風味でミルクにもよく合う。 その素直な「紅茶らしい」風味はブレンドのベースとしても優秀な、庶民派の紅茶である。