アッサム【Assam】
いらっしゃいませ。 ようこそ茶・夢へ。
こちらは紅茶の専門店になります。
本日はアッサムがおすすめですよ。
講義がひとつつぶれたせいでいつもよりずっと早い時間に店に顔を出す。 このところお気に入りの紅茶専門店。 静かでシックな雰囲気も好きだけど、なによりもほんとにおいしい上質の紅茶を出してくれるのがうれしくて週に三回は通っている。 そんなに忙しくないと優しいマスターとびっくりするくらい綺麗なウェイトレスさんが話し相手になってくれるのも、ポイントが高い店だった。
「あら、いらっしゃい」
なじみのドアを開けると同時に優しい声で出迎えてくれたウェイトレスさんがトレイを手にすべるようにティーカップとポットを持って目の前を通り過ぎていく。
「お待ちどうさま」
途端にあがる黄色い絶叫。
「きゃい~ん! かわゆ~い!」
「やだ~、カップがすてき~!」
な・・・なに・・・?
あまりにも店に不似合いな状況と内容に呆然と立ちすくんでしまう。 店の一番大きなテーブルに陣取った女の子四人組み。 高校生くらいだろうか。 座席数二十にも満たないこじんまりした店だからあんなふうに騒がれると店中がうるさくなってしまう。
一瞬でそんなことを考え、無意識にそちらのほうへ足が動いたとき。
「今日は何になさいますか?」
絶妙のタイミングでかけられた穏やかな声に我にかえる。 視線の先でいつものテーブルに水を置きながらマスターが穏やかに微笑んでいてくれた。 いけない、いけない。短気を起こすところだったわ。
「ん~と、アッサムをお願いしようかな?」
女の子たちからは一番遠い席につきながら言うとマスターがにっこり笑ってうなづいてくれる。
アッサムは一番好きな紅茶。 きれいなルビー色も好きだけど、なによりあの香りと風味の強さが魅力だと思う。 それにこの店のアッサムは本当にいい茶葉を使っているから、その魅力があますところなく味わえる。
紅茶を待つ間、いつものように本を広げてみる。 だけど、いつもなら簡単に浸れる緩やかな時間はやってこない。 少女たちが大騒ぎしているからだ。
「みてみて、これ、きれい~。すっごいきれいな赤~☆」
「え~、やっぱおいしい~☆」
「専門店だと違うよね~? おっしゃれでさぁ!」
「そうそう、なんか優雅な気分ってかんじぃ?」
・・・・・うるさい。
どんどん気分が苛立ってくる。
あんたたちに何がわかるっていうの? 紅茶のことなんて何にも知らないくせにミーハーに騒いで。 他にもお客さんがいるっていうのに、迷惑も考えず自分たちのことしか見えてなくて。
マイナス方向に向かう思考が止められなくて、せっかくの紅茶なのに味わえない。 ポツポツとマスターが話しかけてくれなければとっくの昔にあの子たちを怒鳴っていただろう。 それくらい、気分が悪かった。
結局彼女たちが帰るまでの三十分、私は眉間にしわを寄せたまま、好きな紅茶も楽しめずに忍耐を強いられることとなった。
「ここ、良かったね~?」
「うん、ちょくちょく来ようね!」
そんな耳障りな言葉を最後に彼女たちが帰っていった後、思いっきりため息をつく。
ちょくちょく来る、ですって?
冗談じゃ、ないわ。 ここはあんたたちが騒ぐための場所じゃないわよ。 つい、心の中で毒づく。 でも、努めて平静を装ったはずだったのに、その思いは顔に出てしまったようだった。
「お疲れのようですね。どうぞ」
静かになった店内にマスターの穏やかな声が通る。 同時に私の前に白いポットが置かれた。
「えっ・・・?」
驚いて顔を上げると、マスターが笑ってこっちを見ていた。
「サービスです。今度はゆっくり楽しんでくださいね」
・・・見抜かれてたっ・・・?
顔に血が上る。 私がいらいらしてたの、マスターってば気がついてたんだ。 そんなにはっきり顔に出てたんだろうか、と恥ずかしくなる。 そうしたら、今度は席を片づけ終わったウェイトレスさんが小さく笑う。
「はい、これは私から」
そしてとても魅力的なウィンクとともにマスターを示して一言。
「この人の入れ知恵だけど、ね」
「入れ知恵・・・ひどいですねぇ、それは」
ウェイトレスさんの言いようにマスターが笑う。 茶目っ気たっぷりなのに、どこか上品なやりとり。
いいなぁ、こういうの、とうっとりして、置かれたものに目をやってびっくりする。
・・・ミルクピッチャー。
卵型の少しおおぶりのそれにはたっぷりとミルクが注がれている。
・・・なんで?
私がストレートでしか飲まないのは知っているはずなのに。
「紅茶はお好みのアッサム・フルリーフですよ」
アッサムの中でも一番好きなフルリーフ。 なんでミルクが出てきたのか、ますますわからなくなる。
「まず、ストレートで飲んでみたらどう?」
お客さんがあまりいない時の定位置、カウンター席の端にすわったウェイトレスさんがそう言って笑う。 勧められるまま、ゆっくりとカップに注いだお茶はやっぱりきれいなルビー色。 香りも味も少し強めで紅茶らしい。 今度は楽しむことのできた紅茶に満足して一杯目を飲みきる。
「ね、次のはミルク、入れてみて♪」
二杯目を注ごうとしたらウェイトレスさんがわくわくした様子でそんなことを言う。 ちょっと困惑。 私はミルクティーは飲まない。だって、せっかくの紅茶の香りも味も、飛んでしまうもの。 だけど、彼女が重ねて言う。
「サービスだから♪ 一杯だけ、ね?」
なんでだかわからないけど、確かにおごってもらった紅茶だから試してみてもいいか、と決めてマスターに教えてもらってまずミルクをカップに入れる。 ミルクは紅茶を冷まさない配慮か、独特のにおいが出ない程度に少しだけ温めてあった。 それから意を決して紅茶をカップに注ぎ、混ぜたりしないでまず一口。
「・・・え・・・?!」
口に広がるまろやかな風味。 ミルク臭さが気にならない。 アッサムの香りも味もミルクにまったく負けていなくて、しかも、ストレートで飲むよりはるかに優しい味になっている。
「いかがですか?」
マスターの声にただ呆然と視線を返す。 信じられなかった。 ミルクなんて紅茶の風味や香りをだめにしてしまうだけと思っていたのに。
「アッサムは個性的なお茶ですが、ミルクととても相性がいいんですよ。 ミルクに負けることなく、ミルクのいいところだけをうまくひきだす。 それがアッサムを始めとするミルクティー向きの紅茶なんです」
静かなマスターの微笑みにただ、こくこくとうなづく。 こんなにミルクティーがおいしいものだなんて、初めて知った。 やってみもせずに決め付けていたのが悔やまれるくらいだった。
「知らなかったでしょ。 誰でも最初はわからないものよね」
ウェイトレスさんがくすくすと気持ちのよい笑顔を向ける。
そして。
「最初は雰囲気にあこがれて、でもいいじゃない? カップがきれい、でもなんだか優雅な気分、でもいいの。いつか紅茶の本当の楽しさを知ってくれればね」
極上のウィンクつきの言葉にはっとする。 さっきの子たちのことを彼女は言っているとわかったから。
そうよ・・・そんな時期が私にも、あったわ。
紅茶にこだわるのがおしゃれに思えて背伸びしていた時期が。
ともだちときゃあきゃあ騒いで品定めした頃が。
あの子たちは、あの頃の私と同じなんだ。
紅茶の奥深い楽しさに気づいていない頃の。
気づいてしまったら機嫌が悪くなっていたのが恥ずかしくなった。 私だってミルクティーの良さも知らずにいた素人なのに、上級者みたいな顔をしていたんだ。 マスターたちから見ればあの子たちと大差ないところにいるのに。
せめて、今度いっしょになったらいらいらしたりせずに見ていよう。 そう決めたところで、マスターがくすり、と笑った。
「ま、少々にぎやかすぎではありましたけどね」
その言葉に気分まで軽くなって私はもう一口ミルクティーを味わう。 柔らかな味そのままに、優しくなれそうな気がして。
茶・夢からの2杯目はアッサム。
ミルクティの王道ですね。 ストレートもおいしいです。
[2013/12/14] 本文のスペース、改行をちょっと直しました。 ご指摘ありがとうございます。
【アッサム】
インドのアッサム地方で自生していた原種のお茶。
三大銘茶でこそないが、知名度の高い紅茶である。
紅茶の中でも葉が大きく、濃いルビー色の水色で強いコクと香りを持つ。
大きな葉そのままのフルリーフの他に葉を砕いたタイプやCTC(Crush,Tear and Curl)という濃く抽出するための製法のものもある。
英国式ミルクティーに最適な逸品である。