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キームン【Keemun】

 いらっしゃいませ。

 今日は・・・ブレンドですか? え? ブレンドで注意すること?

 やはり調和、でしょうか?

 まずは当店のブレンドを楽しんでみてくださいね。

 冬に向かう晩秋の陽射しに彩られた街路樹を窓から眺める。 手にしたカップから立ち上る湯気の向こうでいい感じに揺らめく紅葉が冷たくなってきた空気をほの暖かく感じさせる。


「秋ももう終わりですかねぃ・・・」


 ぽつっと呟いた声は我ながら情けないほどに黄昏ていて、おもわずがっくりとテーブルに首を落とす。


「なにを黄昏ちゃってるのかしら?」


 言葉は心配、声音はすっかり『おもしろいことみつけた!』なウェイトレスさんの声に突っ伏した視線だけ上げて。


「秋はタソガレル季節なんすよー。 ちょっとしたことで気分がー」

「女心と秋の空、って?」


 きゃらっと笑って返される言葉にひどいわー、アタシオトコなのにー、とか返して。 ・・・いや、ただのノリよ? おねぇじゃないよ?


「冗談はそこまでにして。 ご気分がすぐれないようですが、なにか軽くなるようなものを用意しましょうか?」


 際限なくなりそうなかけあいにマスターがカウンター向こうからめっという感じでウェイトレスさんを制して柔らかく訊ねてくれる。 うーわ、申し訳ない。


「やー、ごめん、マスター。 たいしたこっちゃねーの」


 頭上でひらひらと片手を振って、謝る。 ほんともー、ここのマスターってば客を大事にしてくれるよなー。


「おべんきょーやら家庭のじじょーやらの重いもんじゃねーし」


 うん、そーいうどろどろのものじゃなくってだな。


「単なる日常の活動軋轢?」


 ・・・我ながらなんじゃそりゃ。

 要するに。

 所属している合唱サークルでとあるパートのエースがなぜか『自分のパートが一番重要』と言い張って他のパートに自分たちに合わせることを強要したのがきっかけで、妙な覇権争いもどきが発生していること。

 それが発展して、なぜか言いだしっぺのパートの地味な子たちへの他パートによる攻撃モードになってること。 それが結果として各パート間の軋轢を増大させ、微妙な雰囲気になっていること。

 もう、ね。

 自負があるのはいいけどよ。

 ハーモニー命の合唱でなにやってるのよ、ほんと。

 そんなセルフツッコミを入れながらぽつぽつと語ってしまう。 マスターもウェイトレスさんも聞き上手なんだもん、若造は甘えちゃうってもんだよな。


「華のある声を中心にするのが当然、とかそれを支えるのが他パートの任務とか、目立たない声だからいらないとか、何様だっつーのよ、もう」


 コドモのケンカかよ、と言いたいこの状況。 つまらない意地の張り合いにしか思えないんですけどー。

 突っ伏してた身体を起こして行儀悪く肘をついた両手で暖かいカップを持って、一口。

 はー、癒される。 ほんとここのブレンドってば最高。


「おやおや。 それはたいへんですね」


 マスターのおっとりした合いの手にウェイトレスさんが何か言いかけたのを引っ込めたのが目の端に映る。 うん、ウェイトレスさんのほうが攻撃的なんだ。 だからマスター、先手を打ったな。 ウェイトレスさん、マスターがしゃべってる時は基本、待ちの姿勢だもんな。


「腐っても指揮者だからさー、注意はしてるのよ? 誰が目立つか、じゃなくってハーモニーで目立つのが先だろって。 そーするとさー、唇とんがらかして言いやがるのよ。『だったらハーモニーで消えちゃう声は不要ってことですか?』って。 論旨摩り替えるなっての。 『指揮者』に地味な声はいらないって言わせたいのが見え見え。 もぉ、殴っていい?」


 思わず毒を垂れ流す。 うー、ごめん、マスター。 でも聞いてー。


「消えちゃうんじゃなくって、ユニークに聞こえてこないだけでハーモニーに厚みを与えてるんだっつっても『でも聞こえないんじゃ存在意義ないって言ってますよね』とくるし。 きちんとベース支える声あってこそのハーモニーだろ、って言えば『それはそれぞれのソロ級が増えれば数も質もよくなるってことですよね』とか言うしー。 ほんともぉ、いやんなる」


 まぁ、ね。

 ソロを任せられるくらいの華のある声や大砲級の声量はわかりやすく目立って大事だよ? けどさ、ソロ級や大砲級じゃなくたっていっしょに歌うことで目指すハーモニーを支える縁の下な声だって大事なんだと思うんだ。

 それをちゃんと説明できない指揮者が力不足なんだろーけどさぁ。


「あーもう。 クリスマスも近いってのによー」


 うちの大学は強制こそしてないがキリスト教の理念に基づく学校だ。 だから、自由参加なクリスマス礼拝があって、その後のお楽しみなキャロリングなんていう、宗教っつーよりも土着のお遊びがあったりする。 その時に聖歌隊という名のもとに思いっきりクリスマスな歌を歌っちまえ、というのがうちのサークルの伝統で、人数の多い聖歌隊の大半を占める。 言うなれば年に一度の盛大な祭りの雰囲気を盛り上げる大事な要素なわけだ。 それがなんでこんな分裂状態なんだか。 ため息しか出ない。


「なるほど?」


 ぐったりとテーブルに沈没した耳にそんな笑いを含んだマスターの声が届く。

 なんか・・・違和感。

 視線を上げてマスターを見て。

 思わず身体ごと起き上がって向き直る。


 ますたー・・・笑顔がなんかいつもと違って攻撃的っすー・・・


 助けを求めるようにウェイトレスさんを見ても軽く肩をすくめられただけ。 まるでこうなったら止められない、とでも言われたような気分。


「では、ちょっと紅茶で遊んでみましょうか」

「・・・へ?」


 にっこり、といつもの笑顔でマスターが言うのに虚を突かれて瞬き。 何がどうなって紅茶で遊ぶ、になった?

 困惑している間にマスターが何事かウェイトレスさんに囁いてからカウンター内の棚からいくつかの紅茶缶を取り出して並べる。


 マスターの囁きに頷いたウェイトレスさんはお店のさらに奥に行ってほどなくきれいな箱をひとつ持って戻ってきた。 それをカウンター内に持ち込んで軽く洗っている気配。 その間に出した缶と同じ数プラスもうひとつ、の小さいポットをマスターが用意し、それぞれのポットの前にウェイトレスさんが洗いたてのごく小さなカップ・・・いや、湯のみ?を並べていく。


 いったいどんな遊びが始まるんだ?


「さて。 並べた紅茶は全部違う種類の個性的な紅茶です。 まずはテイスティングといきましょう」


 あ、なんとなくわかった。 いわゆる味を確認するためだから小さい湯のみなんだ。 うん、味とか風味とか香味とかを確認するなら量はいらんよな。


「では一杯目をどうぞ。 有名どころのダージリンよ」


 マスターが手際よく淹れてくれた紅茶をウェイトレスさんが優雅にサーブしてくれる。 居住まいを正してゆっくり味わう。 香味、風味とも好きなタイプだ。


「ストレートの紅茶ってのもいいなー。 これがダージリンのマスカットフレーバーってやつ?」

「そうです。 では続いてやはり紅茶の代名詞的なセイロン・・あぁ、今はスリランカ、ですか。 その中からウバをどうぞ」


 そんな風に次々と供される有名な紅茶たち。

 どれもがウンチク本に書かれている特徴をマスターの腕で最大限に引き出されて、同じ紅茶と一括りにしちゃいけないユニークさを持っている。 中でも強烈なのはやっぱりアールグレイとラプサンスーチョンだろう。 まぁ、独特だもんなー。


「いかがでしたか?」


 五種類ほどの有名紅茶をストレートで味わったところでマスターが穏やかに聞いてくる。


「んー、どれも個性的だよね。 比較的特徴がないような気がしてたセイロンやアッサムもこうして飲み比べてみると間違いようがないくらいユニークだった」


 言いながらちらっとカウンターを見やる。 そこにはまだ出されていない紅茶缶がひとつ。 けどマスターはそれに手を伸ばすことなく、にこやかにこんなことを始める。


「では、次はこれらを混ぜてみましょう」

「へ?」


 本日二度目の間抜けな返答。 混ぜるってー?


「まずはセイロン、アッサムから」


 そういって供されたブレンドは・・・


「あれ? なんかどっちもぼやけた?」

「でしょうね。 ではそこにダージリンを加えてみましょう」


 ぼやけた花の香りにフルーツっぽい香味が加わったけど、やっぱりぼんやりしすぎててピンとこない。 そこに今度は同じフルーツ風味のアールグレイ。

 これは一気にベルガモット臭が強くなってセイロンやアッサム、ダージリンが消え去った。 いや、アールグレイ一色よりベルガモットが弱まっているのに、アールグレイ、という中途半端な状態。


「次はラプサンスーチョンです」

「・・・うぇぇ・・・強すぎです、らぷさんさん・・・」


 加えたのはほんのちょっとのように見えたのにそれまでの紅茶すべてを凌駕して口の中が松煙臭一色になる。 いや、これもアールグレイ同様、ラプサンスーチョンのストレートよりは弱くて、かつ微妙にどれもがケンカしてるような中途半端さ。


「まーすたー・・・ひとつひとつがおいしくっても混ざったら全部がケンカしてるよー・・・」


 思わず言ったらマスターとウェイトレスさんが揃って笑い声をたてた。 おや、珍しい。 マスターのレアげっと。


「そうですね。 では最後にこれはいかがでしょう?」


 笑いながらマスターが目の前で最後のと同じに見える分量で混ぜた紅茶葉に手付かずだった缶からも紅茶を足す。 いや、だから混ぜたってー。


「ますます混迷しそう・・・な・・・・ぇ?」


 小さな湯のみから立ち上る芳香は先ほどまでとは違って花の香り、フルーツの香り、強烈な燻煙香が複雑に絡み合ってよく知った香りになっていた。 口も思考も止まって凝視した湯のみをおそるおそる口元へ持っていって一口。 途端に広がる鮮やかな味と香気。 あれだけばらばらで中途半端だった混ぜこぜが最高級のブレンドの味に。

 そう。

 これは、マスターのオリジナルブレンドの味だ。


 うそだろ・・・さっきまであんなにどれもが主張しすぎて中途半端だったのに・・・最後の一種類が加わっただけでここまで激変するのかよ・・・


 湯のみを下ろすことも忘れて呆然とマスターを見上げる。 そこにはいつもの穏やかな笑顔。


「ではこれで最後です。 こちらが種明かし、ですよ」


 カウンターを回ってきたマスター手ずから渡された湯のみ。 立ち上がる香気はそれまでの個性的な紅茶たちに比較しておそろしく地味で繊細。 そして、口に含んだ時の風味も味も香気にたがわず淡く繊細。 それこそ、他のどれかひとつが混ざっても消えてしまうような。


 これが、『種明かし』?


 さっきのブレンドの衝撃にまだ麻痺している思考では答えが出てこない。 これの、この淡く繊細なストレートで味わうべきとしか思えない紅茶のどこが、『種明かし』?


「最後のブレンドひとつ手前のって個性が主張しすぎてバラバラだったでしょ? そこにそれが混ざってどう思った?」


 カウンター定位置にもたれたウェイトレスさんがくすくすと柔らかく笑う。

 どう、って。

 バラバラな主張がなぜかひとつにまとまって。 どれもがお互いの特徴を生かしてなお、そこにあることを主張して。 すべてがしっくりと融合して最高のハーモニーを生み出して・・・ハーモニー・・・?


「最後の一杯はキームンという世界三大紅茶のひとつです。 他の三大紅茶と比べても繊細で柔らかな風味と香味を誇る最高峰の紅茶ですよ」


 呆けているとマスターがいつものように柔らかく説明してくれる。


「先ほど試していただいた通り、個性的な紅茶はどれも主張が激しくて、ブレンドすると互いの特徴を押さえつけようとしたり、悪い面を引き出したりしがちです。 それを調和させ、それぞれの良い面を引き出す触媒のような役目をキームンははたしてくれるんですよ」


 触媒。

 こんなにも淡い特徴しか持たない、個性的な紅茶群の中にあって埋もれてしまいそうな紅茶が。


「キームンの淡く繊細な香味、風味は強烈な個性を誇る紅茶たちと争うことがありません。 ともすれば消えてしまっているようでも、キームンがそこにあるのとないのとでは・・・こんなにもブレンドの調和に差が出るんです」


 いつもの白磁のカップで置かれる、マスターのオリジナルブレンド。 それが生み出す紅茶の調和を実現しているのは、個性豊かな紅茶たちを纏め上げる、そこに在ることすら気づかせない、紅茶。


「キームンは蘭の香り、と言われているクセのない紅茶ですが、その実力はさすが三大紅茶、ということですね」


 世界三大紅茶はダージリン、ウバ。 ここまでは有名だが、アールグレイや最初の紅茶といわれるラプサンスーチョン、誰もが知っているアッサムを抑えての最後のひとつがあまりに目立たないキームン、というのは初耳だった。 オーソドックスにアッサムだと思ってたんだが・・・このブレンドの調和を支えているのがキームンだと言うなら納得だ。


 ・・・待て?


「この調和を生み出すには・・・没個性とも思えるくらいのキームンが必須・・・必須・・・?」


 思わず、呟く。

 個性が淡すぎる、というのはハーモニーにとっては強烈な個性よりもはるかに重要な『個性』だということじゃないのか?

 それは。


「合唱だろうが合奏だろうが同じよね? 目立つ個性ばっかりだったら互いに主張しすぎて調和なんて生まれないんじゃないかしら?」


 ウェイトレスさんが肩をすくめてマスターを見やるのに、すとんと腑に落ちる。

 あぁ、そうか。

 マスターはそれをこれほどに強烈な方法で教えてくれたのか。


 合唱において華のある声質も豊かな音量も確かに大事。 けれど、その個性だけだとどれもが主張してハーモニーは生まれない。 それをうまく溶かしこんで、その個性を生かしきるのが『消えてしまう』『地味な』声たちなのだとしたら。

 無個性とも思えるようなその声は不要どころか必須の『個性』なんだ。 その声がなければ『合唱』が成り立たないのだから。


「そっか・・・消えるように聞こえるのは触媒だから。 他の個性を融合させることに特化しているから、か・・・」


 なんか、見えた気がする。

 この事実をきちんと納得させることが出来れば。

 今の崩れまくって修復不可能に思えるハーモニーがよみがえるかもしれない。


「言ってもわからない方たちのようですから、いっそ触媒さんたちなしで歌わせて録音でもしてみればいいんですよ。 比較したらどれほどひどいことになっているか、さっきの紅茶のようにすぐわかりますからね」


 どうやって説明するか、と忙しく考えていた耳にそんなマスターの言葉が届く。 思わず視線を向けて、またもや二度見。


 ますたー・・・笑顔が黒いっすぅ・・・


 いつも穏やかなマスターのどこか黒くて攻撃的な笑み(それでも上品)に思わず戦慄を感じて、実はより怖いのはマスターのほうだと悟った晩秋の夕方だった。

 紅茶にハマったのはキームンに出会った時、でした。 たいへん過去なのに今でもあの時の衝撃は鮮やかです(笑)

 その衝撃を教えてくれたいきつけの紅茶専門店マスターのオリジナルブレンドがこのキームンベースだった、らしいです。 らしい、というのは、まぁ。 さすがに教えてくれなかったから!(笑)

 そして藤沢オリジナルブレンドもこのキームンがベースです。 ほんと、不思議な紅茶ですよ。。。

 あ、ちなみに中国茶葉の専門店に行くと相当グレードが上のキームンがこそっと置いてありますよv


【祁門】

 ダージリン、ウバと並ぶ世界三大銘茶のひとつ。 花のような甘い香り(蘭の香りとも言われる)と淡いながらもどこかスモーキーな濃厚さも感じさせる風味が特徴の中国原産の紅茶。 一説では正山小種ラプサンスーチョンを基に生み出されたとも言われる。 隠れたファンが多いこの紅茶はストレートでも逸品だが、ブレンドにおいては最高のベースとなる紅茶でもある。

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