表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/18

[Arrange] Mint Ice Tea

暑中お見舞い申し上げます。

 数えるのもいやになった今年何度目かの最高気温更新日となりそうな日。 開店前だというのにエアコンの効いた室内で窓の外を眺めているだけでも汗が噴出しそうな夏の陽射しに彼は思わず首を捻って考え込んでいた。


「うーん・・・賭け、でしょうか・・・?」

「なにが?」


 ついつぶやいてしまった言葉にカウンター向こうでテーブルに飾る花を活けていた彼女が間髪入れずに問い掛けてくる。 どうやら邪魔をしてしまったらしい、と小さく苦笑して応えを返す。


「今日も暑そうなので。アイスティーを準備しておいたほうがよいかな、と」


 それが、今朝の始まりだった。




「あっついねー、アイスティー、二つ・・・あっ、これ、この茶・夢オリジナルの限定ってやつっ! まだあるっ? 俺、こっちがいいっ!」

「あ・・・残念、ミントなのね。 私、ミント苦手だから・・・いつものアイスティーで」

「はいはい、ミント・アイスティーと普通のアイスティーですね?」


 お昼時の混雑を過ぎて一番暑い時間帯にぽつぽつとやってきたお客さまと賑やかに会話しつついつもは使わないグラスといつものシンプルなグラスをカウンターに並べる。 ボードに貼られた美人なウエイトレス手書きのポスターのお手柄か、限定メニューのミント・アイスティーはなかなか評判がいい。 ほっとしながらグラスのひとつに砕いた氷の上からあらかじめ冷やしてあった紅茶を注ぎ、小さなミントの葉を飾って。 もうひとつには紅茶色の氷をいれて水出しの紅茶を注ぐ。 そして空いた席を片付けて戻ってきた彼女にお願いします、と声をかけて限定紅茶のポットを確認。 あとお一人様で今日の分はなくなりそうだ。


「オリジナル・ミント・アイスティー、お待たせ」

「うっわ、涼しそう~♪ あ、グラスも冷やしてある?」

「暑いから見た目も持った感じも涼しく、でしょ?」

「こういう気配りがさすがよねっ! あーん、ほんと残念」


 楽しそうな会話ににこにこと聞き入りながら洗ったグラスを拭いて冷蔵庫へ。 今日はもう使わないだろうけれど、明日のために今から冷やしておけば時間短縮になる。 そんなことを考えていたら、ミント・アイスティーを頼んだ男子大学生がいきなりグラスを連れの女の子に押し付ける。


「ぅぁ? おい、これ! これ、一口、飲んでみろよ!」

「え? でも・・・」

「いいから騙されたと思って! 絶対飲んでみないと損する。 だめだったらそっちのアイスティー、奢るからさ!」


 ずいぶんと強硬な、と苦笑して見守る先で強引にグラスを持たされた女の子が慎重に一口を含む。 さて、ミントの苦手な方からはどんな評価がくだされるだろうか。 妙に緊張する一瞬。


「あ・・・?」


 グラスを手にしたまま女の子がぱちぱちっと瞬きする。 なんとも言えず、不思議そうな表情に嫌悪の色はない。


「うそぉ・・・すっごいおいしい・・・」


 飾り気のない、素直な言葉にうれしさが広がって。 よかった、受け入れてもらえたようだ、と笑みが浮かぶ。


「だろだろっ? ミントったってぜんぜんきつくないし、さわやかで暑さも吹っ飛ぶみたいで」

「確かにミント入ってるけど、まろやかでなんか清涼感があって気持ちいい。 これなら飲める・・・っていうか、マスター、こっちも! 私、これも追加でお願い!」


 向けられた言葉に笑ってグラスを出して。 彼女がすぃ、と手付かずのアイスティーをトレイに戻すのが目に入る。


「よかったわねー、最後のお一人様よ、今日? オーダー、直しておくわね」

「えっ? 悪いですよぅ、そんなの。 アイスティーもつけておいてくださいー、奢らせるから」

「おいこら、そりゃなんだ・・・って、いや、ほんと、いいですよ?」


 慌てて言い募る二人では彼女のことだ、一言で終わりだな、と笑いながら最後の一杯を注ぐ。 耳に届く、柔らかいけれど有無を言わさないきれいな声。


「ミント嫌いに気に入ってもらえたところで賭けはマスターの勝ち♪ おとなしく変更されておきなさいね」


 てことよね、と水を向けられて笑ってうなづく。 このアイスティーで彼女と二人、ささやかな賭けをした。 そしてその賭けはこれで彼の勝ちなのだ。 ならば、勝者の振る舞い酒ならぬ振る舞い紅茶もいいだろう。 そんなことをつらつらと考えて、出されるグラスに恐縮しまくりながらもうれしそうな二人を穏やかに見ながら思い出す、朝の続き。




「今日も暑そうなので。 アイスティーを準備しておいたほうがよいかな、と」

「あら・・・新しいメニュー?」


 途端に止まった彼女の手にうわ、逆効果でしたか、とさらに苦笑。 見上げてくるきらきらと期待に満ちた目にやっぱり隠し事はできないらしい、と半ば諦観の域で空を仰ぐ。 いや、今回はそれ以前に口を滑らせたのが運の尽き、かな、と笑って肩をすくめる。 この季節、アイスティーがオーダーに入らない日はない。 しかも、ここ『茶・夢』のアイスティーは水出し紅茶だからオーダーを受けてすぐに作れるようなものでもないのだ。 お客さまをお待たせしないように日常的に前準備をしているメニューについてわざわざ『準備しておいたほうが』などと言えば、それだけで非日常のメニューだと宣言しているようなものである。 どうやら暑さで頭が溶けているようだ。


「なになに? 今度はどんなレシピなのかしら?」


 つい先ほどまでああでもない、こうでもない、と角度で悩んでいた花をぞんざいに活けて彼女がカウンターに身を乗り出してくる。 『新しいメニュー』の前に花は二の次ということだろう。 それでもテーブルに飾られた片手に収まる小さな一輪挿しの花は涼やかさを演出する。 みごとなものなんだから最初から悩む必要なんてないでしょうに、と笑って。 その一輪挿しと同じ、真っ白なフロスティのガラスのグラスをカウンターに置く。


「まだ実験段階、なんですけどね」


 安定供給は少々不安が残るんですが、と特別に作ってあった氷を製氷皿からいくつか取り出してクラッシュドアイスにしてグラスへ。 そこに小さなティースプーン半分にも満たないほどの薄いシロップを落としてあらかじめ冷やしてあった冷茶ポットの中身を静かに注ぐ。 白いグラスが微妙な色を帯びてグラスの中、氷の欠片をたゆたわせたところへキッチン側のカウンター隅に置かれた水盤に浮かんでいた小さな緑の葉をひとつ、ぽとんと上から落として。 最後に細いストローを刺して彼女の前へグラスを置く。


「よろしければテイスティングしていただけますか?」

「もちろん喜んで」


 たった一人のためだけの笑顔に嬉しそうな微笑が返されて。 大切そうにグラスを持って口へと運ぶ彼女を見つめて少年のようにドキドキしながら判定を待つ。

 彼のオリジナル・レシピ最初の一杯はいつも彼女のもの。 その最初の一口に与えられる彼女の言葉は彼にとって最大の啓示。 ここでわずかでもクレームがつけば、そのレシピは改良されるまで日の目を見ることはない。


 香りはどうだろうか、色は、抽出具合は。 味のバランスは。

 何よりも、おいしい、と言ってもらえるだろうか。


 短いようで長い、感想を待つ時間。 緊張して見つめる先でこくり、と彼女が一口を楽しんでにっこり、と極上の微笑を浮かべるのにほっと息をつく。 どうやら合格、らしい。


「ほんのり、だけど・・・ミント、ね? 氷もミント水から作ったのかしら」


 言いながらのもう一口。 相変わらず鋭い、というかごまかしが効かない、というか。 苦笑して応える。


「ええ。 昨日植物園から届いたジャパニーズ・ミントほんの少しでミント・ウォーターを作ってそれで入れてみました。 普通のミント水よりは香りも味も仄かでしょう?」


 ミントの中でも特にその特徴が強いジャパニーズ・ミント、薄荷。 強烈なメントール成分を誇るからこそ、方法次第で他のミントにはできない仄かな香り付けが可能になる。 これもそんな薄荷の特徴があるからこそのレシピだった。 きついミントが苦手な方でもこれなら、と思ったんですが、と続ける視線の先に返されるのはふわり、と柔らかい笑顔。


「苦手の人相手だと賭けかもしれないけど。 おいしいし、主張が激しいミントが隠し味なんて、贅沢。 そうね、気に入ってもらえる、に夏の季節メニュー入りなど賭けてみる?」

「ありがとうございます。 ああ、いいですね、それも。 それで・・・どう、でしょう? お客様にお出ししても?」


 目の前で楽しそうにグラスを眺める最高のパートナーに恐る恐るお伺いを立てるとくすくすっと悪戯っぽいウインクが投げられた。


「どう、もなにも、これ出さないなんて言ったら怒るわよ?」


 ごちそうさまでした、と空になったグラスをカウンターに戻して彼女が笑う。


「グラスはこのフロスティでいいわね。 冷やしておけば持った時も涼しくっていいかも。 数はどれくらい? あんまりたくさん作ってないんでしょうから、限定数にしたほうがよさそうね」


 てきぱきと段取りを整えながら彼女が取り出したのは画用紙とクレヨン。


「名前はミント・アイスティーでいいの? 何人分くらいかしら?」


 こげ茶で『茶・夢オリジナル』と書き込まれた文字に苦笑しながら肯定と十五人分、と応えて彼もグラスの準備にかかる。 最初から人数分だけ用意しておけば数を誤ることもない。 だが、そこで彼女から声がかかった。


「じゃ、今日の分からはグラス、一人分引いておいてね?」

「えっ?」


 理解が及ばず、思わず問い返すと戻される、澄ました顔でのきれいなウインク。


「一人分、私がもういただいちゃったから♪」


 一瞬言葉に詰まってから笑いがこみ上げてくる。 ああ、そうか、そういえばそうだった、とくすくす笑いながら揃えたグラスをひとつ、戻す。


「そうでしたね。今日は十四人分、ですか」

「ちょーっと看板に偽りあり、だけど、今日だけナイショナイショ。 よし、できたっと。ここに貼っておきましょ」


 楽しそうに限定メニューの告示を書きあげて目立つ場所に貼りながら彼女が笑うのにいっしょになって笑って。


「開店にしましょう。扉を開けていただけますか?」

「はぁい」


 クレヨンを片付けてから扉の表示を変えに行く彼女の背を見送って、胸に広がる夏の青空と爽やかな木陰の風のイメージに静かに微笑む。 梅雨時に旺盛に葉を茂らせ、強い陽射しを浴びてなお、元気を振りまく涼味いっぱいのハーブには暑さも必須要素、だ。

 暑いからこそ、のレシピ。 夏でなければ味わえない涼しさはこの季節の贅沢品。 このメニューが一瞬の涼風をほんの少しでも呼び覚ませる助けになると、いい。


「さて・・・今日も一日、いい日になりますように」


 ぽつり、とつぶやいた視線の先で水盤の薄荷の葉が楽しげにきらきらと揺らめいた。

 じめ暑くなってきました。 ミントは好き嫌いが分かれるところですが・・・我が家のペパーミントはプランターを席巻しております・・・


【ミント・アイスティー】

 ハーブティーの定番、ミントティーのアイス版。 ミントはペパーミントを始めとしてさまざまな種類がある。 総じて清涼感のある風味だが、その独特の癖から好き嫌いがはっきりとわかれるものでもある。

 お茶としていただく時は乾燥させた葉を紅茶などに混ぜて入れる場合と生葉を使う方法とがある。 どちらもホットで入れるものなので、これを氷の上から注いでアイスティーにしたりもする。 少々手間はかかるが、水出しにする場合は乾燥ミントを少し多めにするとうまくいくことが多い。 生葉を使うなら茶・夢流にまずミント・ウォーターを作り、それで水出しにするのもいい。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ