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[Arrange] Dearest You...

Wish your happy on White Day...

「お待たせしました、はい、ええと・・・」


 小さな店でも満席となるとけっこう忙しい。 それも一人で切り回しているとなるとなおさらだ。

 本来ならば定休日の今日、マスターである彼はテンテコマイなどという言葉がぴったりくるような状態に陥っていた。

 いつもはお客をさばいてくれる有能なウェイトレスがいるので彼はキッチンのほうに専念できるのだが、今日はそのパートナーがいない。

 定休日だから、というような理由ではない。 怒らせてしまったのである。

 数えるのも馬鹿らしくなるくらいのため息を苦労してひっこめ、昨日の夜、閉店間際の会話を思い出す。


『・・・臨時営業?』

『す・・すみません、つい何人かのお客様に店を開ける、と言ってしまって・・・』


 そして彼女にはきちんと休みを取ってほしくてつい、口を滑らせてしまった。


『あの・・・店は私一人でなんとかなりますから、ちゃんとお休みして・・・』

『・・・! バカっ!』


 思わず片手を頬にやってしまう。 あんな風にひっぱたかれたのは久々だ。 彼女が手を上げるなど、滅多にない。 呆然としてしまって飛び出した彼女を追うこともできなかった。


「マースタ~ッ! オーダー、いい?」

「あっはいはいっ! ただいまっ!」


 お客の声に慌てて意識を引き戻す。 臨時営業なのでいつもよりはかなり早い閉店時間まで残り一時間半。 それで閉店して、と思っていたのだが、この分だとさばききれずに時間超過してしまいそうだ。

 新たなオーダーを取ってキッチンに戻り、温めておいたポットに茶葉を入れて湯を注ぐ。 ほっと一息ついたところでカウンター越しに見渡す席の半分が楽しそうなカップルで埋まっている。 さすがにホワイトデーですねぇ、あ、最近はカップルなどとは言わないんでしたっけ、と少しボケながら湯につけてあるカップを引き上げて拭き、カウンターのトレイにセットして。


 今なら、わかる。

 彼女は休みがふいになったことに怒っていたのではない、と。

 彼が彼女の気持ちも確かめずに自己完結していたことを怒っていたのだ。

 それを理解していなかった自分にさらに怒りが倍増していたのだろう、と溜息をつく。 こんな朴念仁によく彼女はつきあってくれている、と思う。 とにかく今日は出来得る限り早くに終わらせて、謝って埋め合わせをしなければ、と新たな来客に機械的に挨拶しつつ考える。


 彼女を手放す気など、さらさらないから。

 自分の夢を語れる、いっしょに追いかけてくれる唯一の人なのだから。

 諦めることだけはしない、と遠い昔に誓った。


 初心を思い出してよし、と気合を入れ、ほどよく蒸れたポットをトレイに置く。 そして客席側へ回ろうとした時。


「お待たせ♪ 今日はデートね」

「もう! そんなんじゃ・・・」

「あ、わかります~? 一日くらい休んだって実験はだいじょーぶだからってくどいて、やっとOKもらったんですよ~」

「こ、こらっ!」


 ほんの一瞬を衝かれて攫われたトレイ。

 ぱぁっと華やいだ会話がテンポよく行き交う。 攫われたトレイを持つ、白と緑の上品なタイト・ドレスをまとった見慣れた姿を茫然と目で追う。


「そちらこそドレスアップじゃないですか。 珍しくいないと思ったらパーティーでも?」

「ふふ、似合う? 今日やっと出来たの。 閉店したらマスターとデートなのよ♪」

「えっ、そうなんですかっ? じゃ、長居しないでおかないとっ!」


 様になったウインクを投げる美女に客の間から悲鳴やらなんやらが上がる。 野太い声のそんな~、とか甲高いきゃ~、やっぱりぃ、とか聞き取れるのはその程度。 完全に固まって、いつにも増して美しい彼女をひたすらに見つめる。


「あら、見惚れるほどきれい? でもまずはオーダーお願いね」


 カウンターまで戻ってきた美女にはっと我に返り慌ててカウンター内定位置に戻る。 キッチンの出入り口にはいつの間にか、大きな包みと近所のプティ・レストランのロゴが入った小さな箱。 ということはあのドレス、『趣味だ』と豪語しながらプロ並みの服を作る友人のレストラン・オーナーシェフ製作と見える。


「あ、箱のほう、冷蔵庫に入れておいてね~」


 お気楽にそう言っていつものように客席を回っててきぱきと空いたカップの回収やお客との会話などをこなす彼女にちらちらと目をやりながらこちらもいつものようにオーダーをこなしていく。 滞りがちだった作業がスムーズに流れ始める。 彼女が客席を全面的に受け持ってくれている、というだけでこうも違うものか、と思いながら彼は黙々と紅茶を準備し、洗い物を片付けた。

 すべてのオーダー品を提供し、閉店まで三十分というところで表のオープンの札をひっくり返し。 彼女の爆弾発言が効いたのか、最後まで残っていた常連客たちも時間前に席を立つ。


「ごちそうさまでしたっ」

「ホワイトデーの仕上げに茶・夢の紅茶でひと時って夢だったのっ」

「あら、ありがと。 イベントデー以外もよろしくね」

「もちろんですよ~。 それじゃよいデートを~」


 ひとしきりの会話を最後にドアが閉まる。 落ちる沈黙。 手早く最後のカップを片付けて、彼はテーブルを拭いている彼女の傍へと歩み寄った。 気づいているだろうに、彼女は振り向きもしない。 小さく溜息をついて、その背にばさり、と自分の上着を着せ掛ける。


「きゃっ! な、なに?」


 驚いたように振り向く彼女をそのまま抱き寄せて腕の中に納め、憮然とその手を握る。 あれだけ動き回っていたのにまだ冷たい、細い手。


「・・・いったい、何時間外にいたんです? こんなに冷え切るまでコートも着ずに・・・」


 置かれていた荷物に彼女のコートはなかった。 そして真新しいドレス。 これが出来たのが今日なのは間違いないだろう。 とすると、彼女はこれを受け取りに行って着替え、ここに直行しているはずなのだ。 おそらくはずっと店に入るきっかけがつかめず、外にいたのだろう。

 3月とはいえ、春はまだ遠い。 そんな無茶をさせてしまった自分に腹が立ち、より強く彼女を抱きしめる。 一切の抵抗を封じてしまうために。


「・・・申し訳ありません。 『店が終わったらデートしましょう』と言うべきでした」


 流れる髪をそっと梳いて囁くと、腕の中の彼女が小さく震えた。


「・・・もう。 ずるいわ。 私のほうが悪いみたいな気分じゃない」


 それでもぽんぽん、と返ってくる言葉に小さく笑って腕を放し、彼女を席に座らせる。


「悪いのは私ですよ。 ちょっと待っていてくださいね。 今、お茶を用意しますから」


 キッチンに戻り、小さなカップと小鍋を出して封を切ったばかりのワインを温める。 ポットには素直なブレンドティーを用意して。 カップに少し砂糖を落として温めたワインで溶かし、そこに濃い目に出した紅茶を注いで出来上がり、だ。


「あ・・・ワイン・ティー? 久しぶりだわ」


 彼女がうれしそうに笑う。

 芯から暖めてあげたくて選んだワインは情熱の、赤。 普段は垣間見ることもそうそうない彼女の本質に近い、色。

 紅茶がより鮮やかに香りたつ、メニューにはない彼のオリジナル。


「あのね。 シェフがフルコース、用意してくれてるのよ。 あなたを引っ張って来いって厳命なの」

「え? ではあの荷物は?」

「シェフからお返しのケーキとあなたの服♪」


 茶目っ気たっぷりの応えに思わず苦笑。 ここで逆らっても無駄だからありがたく着替えてきます、と奥へ向かう。 ドレスを作ったプティ・レストランの主は規格外れの彼に合わせてちゃんとタキシードなどを作っていたらしい。 しかも仕立ても一流だ。まったくもって器用な友人である。


「相変わらず準備のいいことで・・・」


 ぴたり、と決まったタキシードに苦笑ひとつ。 確かにドレスアップした彼女と歩くにはこれくらいでないと釣り合わないな、と店へ戻る。 片付けられた店内で待っていた彼女が満足そうに笑った。


「似合うわ。 さすがね」

「ありがとうございます」


 そしてタキシードといっしょに包まれていた真っ白な女物のコートを彼女の肩にかけ、軽く左腕を折って一礼。


「お待たせしました、マイ・スウィートハート。 今夜のエスコートを許していただけるならどうぞお手を」

「誰に習ったのよ、もう」


 少し残ったホットワインに鼓舞されての精一杯の気障な台詞を彼女が軽くいなす。

 そう、これが自分たちのスタイル。

 多少のケンカもたまにはいいものかもしれないが、やっぱり二人でこうしてともにいることのほうが大事だ、と思う。


「行きましょうか。 あまり遅くなるとシェフの雷が落ちそうだ」


 くすくすと笑いあって歩き出す春待宵の空は澄みきってきらきらと輝いていた。

 たまにはオトナな雰囲気を目指して・・・


【ワイン・ティー】

 ワインと紅茶で作るアレンジ・ティー。 アルコール分が飛びきってしまわない程度に温めたワインに砂糖を加えた、ほんのりと甘くて香り高いお茶である。 赤ワインを使うと黒に近いほどの深い赤になるこの紅茶は冬の寒さに凍える身体を内側から暖めてくれる、ちょっと洒落た大人の紅茶でもある。

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