あの鈴の音、聞こえますか?
まずは耳を、おすませください。
どんな音が聞こえますか?
家族の話し声。クーラーの鳴る音。パタパタ階段を降りる音。家の外で、車が走る音。
なるほど、なるほど。あなたにはいろいろな音が、聞こえていたのですね。
すばらしい!
ですがその音は、私が尋ねるまで、ちゃんと聞こえていましたか?
いえ、言い換えましょう。あなたはその音を、ちゃんと聞いて、いましたか?
……そうです。
おそらくあなたは、私が尋ねるまで、その音を認識していなかったのではありませんか?
人間の耳とは便利なもので、自分の聞きたい音だけを聞く力が備わっているのですよ。
そこに「ある」と、気付いた音だけ、我々は聞くことができるのです。
カクテルパーティ効果、なんておしゃれな言い方もあるそうですよ。
あぁ、いや失礼。それは騒がしい場所での話でした。
失敬、失敬。
ともあれ、今日はそんな、「音」のお話でございます。
*
さて。
つんぼ、という言葉を聞いたことはありますか?
ない? あぁ、それはすばらしい。なにせこの言葉は古い言葉で、しかも、いやぁな言葉ですから。
知らないということは、よいことなのです。
ですが、知らないと話が進められないものでして。つんぼ、というのは、耳が聞こえない人のことを指します。
昔むかし、あるところに一人のつんぼの少女がいたそうです。
名前を「りん」と申します。
このりんという少女は、大変頭の足りないところのある娘でした。
なにせ、昔むかしのこと。子どもも大人も、文字を書くことも読むこともできない時代です。
で、あれば知恵というものを伝える方法は、声、つまり音になるわけですが、そこでこのりんはまさしく、つんぼ。
耳が聞こえない。
聞こえないから、知恵が頭に入らない。
そんなわけで、このりんというバカな少女は、みんなから大層、バカにされて暮らしておりました。
かわいそうだと、思いますか? えぇ、えぇ。かわいそうでしょう。ですが昔のこと。これはしょうがないことなのです。
実際りんは、村の仕事は全くできませんでしたからね。
口減らしに殺されなかっただけ御の字というものです。
しょうがない、しょうがない。
ともあれ、幸運なことに、こんなりんでも、たった一人、味方になってくれる者がおりました。
りんのおっ父です。血のつながりは、水より濃いもの。おっ父はこのりんを、大層かわいがっておりました。
母親は、まぁ置いておきましょう。
りんのおっ父は職人でした。特に金物を作るのを得意としておりました。
おっ父はりんをよく、職場に連れてきておりました。りんが好んだのですよ。
何せ金物を作るときは、音がよく響くでしょう?
ほら。
カァン、カァンと。体の奥がしびれるみたいに。
耳では聞けなくとも、体で聞くことができたから、りんも好きだったのでしょうなぁ。
そんなわけで、りんはいつもおっ父と一緒におりました。
*
ところで、あなたはゆでガエルの実験というものをご存じですか?
カエルを沸騰したお湯の中に入れると、熱くて飛び出してしまいますよね。
けれど、水の中に入れて、コトコトゆでると、カエルは飛び出すことなくゆでられて死んでしまう。
生き物、急激な変化には気づけても、緩やかな変化には気づきにくい。そういう実験です。
まぁ、真実は違うらしいですけどね。カエルもバカじゃない。熱くなってきたあたりで、飛び出してしまうそうで。
おっと、話がずれてしまいましたね。戻しましょう。
それでそのりんというバカな娘ですが、実のところ、バカじゃなかった。
正しくは、無知であっても愚かでなかったと言うべきでしょう。
自分の耳が聞こえないこと。そして、それで皆からバカにされることを、あの娘はよぉく理解していたのですよ。
さて、そんなりんのおっ父ですがね。鈴を、作るのが大層上手だったそうです。
そう、リンリン鳴る、あの鈴です。
今はかばんにつけるくらいですが、昔はもっといろいろな使い方をしておりました。
その一つが、合図であり、境です。村と山の境目に綱を張って鈴をつける。そうすれば、山から獣がおりてきたときに気付くことができるでしょう。
音が、鳴りますから。
鈴というものは、命を守るための大事なものだったんですなぁ。
りんのおっ父の鈴の音はよく響くと、村では評判だったそうで。
……でもねぇ。りんだけは、それを聞くことができなんだ。
鈴の音は、軽くて美しいから。
重い音しか感じられないりんには、無理な話だった。
でもりんはおっ父が大好きだったものだから、どぉしても、鈴の音を聞きたかった。
おっ父の自慢の品だったから。
それでりんは考えた。愚かではない頭で考えた。
はじめは体のあちこちに鈴をつけて踊りました。
無理な話です。
シャンシャンシャン、音は鳴る。
それでもりんには聞こえない。
村人たちは笑いました。それはもう、ゲラゲラ笑いました。
その声すら、りんには届いていなかったわけですが。
悲しい話です。
諦めればよかったのに、諦めるという知恵がないから諦められなかった。
次に、鈴の数を増やしました。けれどどれだけ増やしても、音は聞こえない。
考えました。
文字通り、無い知恵しぼって、考えて、考えて、考えて。
一つ。あの子は思いついたのです。
体につけても意味がない。
なら。
体の中に、鈴を入れてしまえばいい。
ぴったりの場所があるじゃないかと、あの子は気づきました。
音を聞くための耳に近くて、しかも鈴を入れるにぴったりの場所。
そうです。
ここ。
目です。
鈴の音を聞きたくて、聞きたくて。あの子は、おかしくなっていたのかもしれません。
寒い冬の、日がちょうど昇るくらいの時間でした。
まだ薄暗い中で、あの子は一人立っていて。
小さな手の中には、目ん玉くらいの二つの鈴があった。
金色に輝く、とびきりきれいな鈴です。
それをね。
持ち上げて。
自分の目に当てて。
こう。
ぐっとね。
力いっぱい、押し込んだんです。
私が、それに気づいたのは、滅多に聞かないりんの笑い声を聞いたときだった。
耳が聞こえないもんだから、おかしな笑い声なんですな。甲高いというか、舌っ足らずというか。
ぞわりとするような、笑い声ですよ。
あの子は踊っていました。寝起きのお日様の下で、目ん玉を金色に輝かせて、赤い涙を流しながら、にっこり笑顔を浮かべて。
リン、リン、リン。
シャン、シャン、シャン。
鳴るはずのない、鈴の音を響かせながらね。
*
さて、もう一度お尋ねします。
今、あなたの耳には、どんな音が聞こえていますか?
鈴の音は、聞こえていますか?
聞こえていたら、私はうれしい。
そこにあると気づかなければ、聞こえない鈴の音。
本当は、ずっと鳴り続けているのです。
あなたのそばで、ずぅっと、ずぅっと。
でも、あなたはそれに気づかないから。
だから、私がお話することにしました。
ゆでガエルだって、気づかなければお湯の中から飛び出してこないでしょう?
私はあなたに、気づいてほしかった。
ところで、鈴の音というものはね。外から内に入ってくるものを知らせるためだけにあるのではありません。
自分がここにいるよと、知らせるものでもあるのです。
あの子もきっと喜びます。
だってあなたはあの子と同じ。
聞こえない鈴の音を聞いた者同士。
きっと、仲良くできると思うのですよ。
もう、聞こえてますよね。
鈴の音。
ほら。
後ろを、振り返ってごらんなさい。
いるでしょう?
鈴色の目玉をした、私の娘が。
――りん
終




