1話.悪魔に好かれているから悪役令嬢だって? 上手いこと言いますね
お洒落なカフェの中は、香ばしいコーヒーと焼きたてスコーンの香りが漂っている。
パルマの前にもコーヒーとスコーンが置いてあるものの、彼女の表情はどこか暗かった。
「パルマ。お前を今日呼び出したのは他でもない、大事な話があるからだ」
真剣な表情を浮かべているのは、彼女を呼び出した張本人のエドワードだ。
彼は自分の前に並べられてる食べ物に一切の興味を見せないまま、まるで世界の真理を突きつける預言者のような顔でこう言った。
「お前はやはり、悪役令嬢に違いない。そんな奴は俺に相応しくない。婚約破棄だ」
これを聞かされたパルマは何度か瞬きを繰り返し、眉間を揉んだ。
またその話かと突っ込むべきなのか、後半の婚約破棄に対して反応すればいいのか、分からなかったのだ。
「……ふぅ」
ただでさえ、苦手なコーヒーを勝手に注文され、どうしたものかと悩んでいたというのに。
パルマは三つ目の角砂糖を入れ終えてから、今度はミルクに手を伸ばした。
「おい、返事をしたらどうだ」
「ええっと、なんでしたっけ。確か、悪役令嬢というのは、悪魔に好かれる女性のことを指すんでしたか。いつも思っていたんですが、上手いこと言いますよね」
「そうではない! 婚約破棄についての方だ!」
他のお客様もいるのだから、そんな大声を出さないでほしい。こちらは目の前にいるのだから、普通に話してもらえば聞き取れるというのに。
ただでさえ、ちらちらとこちらを覗っている人もいて、居心地が悪いんですから。
「婚約破棄とは、これまた何故でしょうか。……あ、ルル。そのスコーンは焼きたてだから気を付けて」
「あっつい! おててが焼けた!」
ふうふうと自分の両手を冷ましているのは、黒い翼と尻尾を生やし、ピンクの髪をツインテールにしている悪魔のルルだ。
静止が間に合わなかったと、パルマは慌てておしぼりをルルの手に当てる。
全長20cmほどしかない身体で人間用に作られたスコーンに手を伸ばすのは、彼女がお菓子好きだからに他ならない。
これを見たエドワードは、露骨に顔を歪めた。
「見ろ、その邪悪な象徴を。何を叫んでいるかは知らんが、悪魔は『悪』であり、倒すべき存在だ。前世の知識がある俺には分かる。そんな禍々しい存在に好かれるお前は、心まで真っ黒に染まった『悪役令嬢』と呼ぶにふさわしい」
また始まったと、パルマは心を無にした。
エドワードはパルマと婚約を結んだその日から、俺には前世の記憶があると豪語し、奇妙な言葉を口にしていた。曰く、この世界は物語のようなもので、自分はその中心人物なのだとか。
「エドワード様。ルルが悪魔なのは事実ですが、彼女は邪悪な存在などではありません。この説明は、散々してきたはずです」
「お前こそ、いつ覚えるんだ? そのように無邪気な姿を見せる事こそ、油断を誘うための演技だと」
この話になると、いつも平行線だ。
エドワードは頑なに天使は善なる存在で、悪魔は悪の存在だと言って聞かない。
パルマがどれだけ『天使も悪魔もただの種族名であり、他世界からの観光客でしかない』と伝えても、彼は決してこの考えを理解しようとはしなかった。
「そもそも、悪魔と言葉を交わせること自体、悪魔の使いという証明に他ならない」
「ですから……はあ、もうそういうことでいいです」
「あれ、今日はもうエドワードの説得を諦めるの?」
――何度言っても聞かないんだもの。
危うく出かかった言葉をパルマは飲み込み、黙ってパルマの手のひらの状態を確認する。
火傷するまでには至らなかったようで、赤みも引いていた。
「ルル、痛くない?」
「もう大丈夫! パルマ、ありがと!」
そう言って、ルルは両手を擦り合わせ、再びスコーンと格闘し始めた。
どこならかじりつけそうか、ルルは羽を動かしてあちこち角度を試している。
もう冷えてきているから大丈夫だと判断したパルマは、改めてエドワードの方を見た。
今までは婚約者として、いつかこの人と結婚するのだからと自分に言い聞かせてきたが、相手がそのつもりなら、こちらも遠慮はしない。
凛とした顔を向けると、何故かエドワードは怯んでいた。
「な、なんだ。何か文句があるのか」
「いいえ、婚約破棄に異存はありません。ですが、解消ではなく破棄を望むのであれば、どちらに非があるのかは明らかにしたく存じます」
「お、俺に非があると言うのか? 悪魔と会話しているお前の方が、どう考えても悪だというのに?」
エドワードの頭の中では、悪魔と会話できるということが、婚約を破棄するに値する行為ということになっているらしい。
しかし、パルマは一切怯まなかった。
「私としては、このような理由で婚約破棄を突きつけてくる、貴方の方が余程『悪』に感じます」
彼がどれだけ悪魔は悪だと叫ぼうとも。
パルマの住む世界において、天使や悪魔と言葉を交わすことまで出来ることは、非常に羨ましがられる能力だ。
普通なら、そんな相手となら結婚したいと相手が頭を下げるほどのことなのに。
「傷物令嬢として、一生独身で過ごすことになるんだぞ? 今さら泣いて縋っても遅いからな?」
パルマの強気な態度に、エドワードは急に不安になったように語尾を怪しくし始めた。
だが、パルマは一切媚びなかった。
「はい。ルルと一緒なら、実家の手伝いをしてのんびり暮らせますから。あ、店員さん、お会計はこちらのエドワード様へ。今日も無理に呼び出したのですから、これくらいは払ってくださいな」
「ま、待って! これ、せめてこれを食べてから!」
「すみません。持ち帰りって出来ますか?」
ルルがスコーンにしがみついて離れないので、店員さんに頼んで紙袋に包んでもらうことにした。
エドワードは卑しいだの、食い逃げする気かなど言っていたが、パルマはすべて無視した。
人の時間を無理やり奪っておいて、お金まで払わせようとするなんて本当に卑しいのはどちらだと、パルマは心の中で悪態をつく。
それに、ほとんどの人が天使や悪魔のお願いに快く耳を貸すということを、一体いつになったら覚えるのだろう。
「ありがとー! これお礼ね」
「あ、ありがとうございます!」
ルルは、スコーンを包んでもらったお礼に小さな黒い球を店員さんにプレゼントしていた。
それを受け取った店員は、今にも飛び上がらんばかりに喜んでおり、慌てて平静を取り繕おっていた。
店員さんからスコーンを受け取ったパルマは、彼の前でコーヒーを一気飲みした後、カフェを後にした。
「……うう、苦い」
口の中が苦味でいっぱいだ。パルマは涙目になりながら、鼻から抜けていくコーヒーの匂いまで味わった。
「苦手なら残せばいいのに」
「だって、残すのは申し訳ないから……」
「パルマはコーヒー苦手なのに、なんでエドワードはいつもそれを頼むんだろ。嫌がらせ?」
パルマの肩の上に立ち、腰に手を当てながら怒るルルに、パルマは笑った。
自分のために怒ってくれる誰かがいるだけで、パルマは十分、幸せだなと思えたからだ。
「嫌がらせ以前に、私に興味がない人だったのよ。だから私の好みも、苦手なものも、知らないだけ」
爽やかな風を浴びた時、肩の荷が下りたような気分を覚えた。
どちらの有責になるとしても、あれと結婚することを思えば些細な事だと思えたのだ。
「すみません」
家に向かって歩いていると、背後から声をかけられた。
相手に不快感を与えないよう、配慮された柔らかな音の中にある切実な響きを感じ、パルマは振り返った。




