バイクのある人生 ――50歳で再びライダーに――
鍵をひねると、低く唸るエンジン音が胸の奥に響いた。
若い頃、当たり前のように跨っていたあの感覚が、一気に身体に戻ってくる。
「もう若くないし危ないよ」
周囲の声は、正直に言えばもっともだった。
五十歳。体力も反射神経も、確実に昔とは違う。
仕事に家庭、責任も山ほど増えた。バイクは、いつの間にか“卒業した遊び”になっていた。
それでも――。
ふと立ち寄った中古バイク屋で、一台のバイクと目が合った瞬間、胸の奥にしまっていた何かが、音を立てて動き出した。
跨った瞬間、思い出す。
風の匂い、エンジンの熱、夜の国道、コンビニの明かり、自販機の缶コーヒー。
あの頃の自分は、何も持っていなかった。でも、不思議と何でもできる気がしていた。
再びハンドルを握った今の自分は、若くはない。
だが、その代わりに “失う怖さ” と “守るもの” を知っている。
スピードを競う気はもうない。
派手な技もいらない。
ただ、少し遠回りをして帰りたくなる夜があるだけだ。
信号待ちで、ミラーに映る自分の姿を見る。
ヘルメットの中で、思わず笑ってしまう。
「……やっぱり、好きなんだな」
バイクは人生を変える道具ではない。
だが、人生に“風”を取り戻してくれる。
五十歳で再びライダーになるという選択は、若作りでも逃避でもない。
それは、忘れていた自分を迎えにいく旅だ。
アクセルを少しだけ開ける。
風が胸を押す。
人生は、まだ走れる。
バイクのある人生は、これからだ。




