エネルギーをどうやって確保するかではなく、いかにエネルギー消費を減らすかが大事では?
例えば、電力を確保する方法として火力、原子力、太陽光、風力などの発電方式を巡って様々な議論がされています。どの方法、どの組み合わせがもっとも効率的か、環境への負荷が少ないか、どれくらいのリスクがあるかといった観点で主張が分かれているように思います。環境への負荷という観点で言えば、どの方法を選んだとしても何らかの影響は避けられないというのがオチです。発電の仕組みで色々な工夫はされていると思いますが、火力発電では二酸化炭素が発生しますし、原子力は放射線の問題があります。クリーンエネルギーと称される風力発電だって、自然の風の流れを変えることで何かしら自然に影響を与えるはずですし、太陽光を取り込む装置の作成や廃棄は自然の破壊に繋がります。地球は途方もなく巨大な複雑系で、様々な事象が複雑に影響しあっているのですから、環境に優しいという言葉には建前的なニュアンスが強いなという印象です。もちろんできるだけ負荷を少なくしようという心構えは大切ですが。
どの発電方法が正解かという問題にははっきりしたゴールはないと考えます。効率的かどうかは視点によって評価が違うでしょうし、今は安全とされている方法でも、将来において危険性が明らかになる可能性だってあります。昔は良いと言われていたことが、現代では不適切と言われることがあるのと同じです。
そもそもどこかでエネルギーを得るということは、別のどこかでそれが失われるということを意味します。エネルギーを確保するという行為そのものが常に何らかの影響力、リスクを孕んでいると考えて差し支えないでしょう。
決着を見ることがないであろう発電方法を巡っては議論が活発で、意見の対立も目立ちますが、いずれの立場でも共通しているのは人類が今後も現状と同等もしくはより多くのエネルギー消費を続けていくことを念頭に置いている点です。エネルギーの大量消費を前提に回っている社会の仕組みを問題視する意見はあまり真剣に扱われていないような印象を受けます。
社会を少しでも長く存続させようとするならば、有限な資源、エネルギーの消費をいかに抑えるかが優先的に議論されるべきだと思うのですが、そこから目を逸らして、その次の段階である手段の議論に話が飛んでいるように感じます。
最近、運輸コストを減らすためにガソリンにかけられている税金を廃止するという話が話題になりましたが、ガソリンが安くなればその分消費が促進されることになります。目先の経済という視点で見ればそれは望ましいことなのでしょうが、長期的なエネルギー確保の面からはマイナスの結果に繋がります。経済を回すというお題目が妙に支持される風潮がありますから、将来的なリスクは無視されているのでしょう。経済が回って得をするのは大金を積んで投資を行なっている層がメインで、大多数の人間には大した恩恵はないと思うのですが。
省エネルギーという言葉も持て囃されていますが、前面に出ているのは家庭単位での節約に留まり、一夜で何千世帯分もの電力を消費する野球のナイターゲームを控えようとか、移動に伴うエネルギー消費を抑えるため連休中は遠出をせず近所で過ごしましょうという提案はなかなか表明されません。目の前の大きな課題に手をつけず、気休めにすぐに対応できる問題の解決でお茶を濁しているようなものです。
もちろん消費せざるを得ないエネルギーというものは存在します。生命の存続にはエネルギーが不可欠です。だからこそ、有限であるそれらを消費するにあたっては慎重な判断が求められます。しかし、他の生物と違い、人間は必要以上のエネルギー消費を行なっており、その程度は時代を経るごとに大きくなっています。
なぜ人間はそれほどのエネルギーを必要としているのだろうか。生命、生活の維持という目的を超えて、経済、社会の発展にエネルギーが注がれているのは、根底に人間は前進、進歩しなければならないという脅迫観念に近い思想があるように思います。
何かを前に進めるという言葉は肯定的な受け取られ方をします。その過程で何かを破壊し、傷つけることになろうとも、最終的に成果が得られれば許されるという考えを多くの人が受け入れています。
前進、進歩を至上とする考えがなぜ生まれるのかというと、自身の死、もっと大きく言うと人類の滅亡を受け入れたくないという意志があるからではないかと考えました。人類に限らず地球に生きる生物はみな地球と運命を共にすることになります。遠い未来の話ですが、地球の滅びは必ず訪れます。永遠に生きる生命は存在しない、人類もいずれ滅亡すると分かっていても、それに反抗する意志が人類を発展に突き動かしてきたのではないでしょうか。人類がこれまでに生み出してきたもの、思想や学問、社会制度や科学技術、そして芸術といったものはいずれも何らかの形で永遠を指向しているように思えるのです。
宇宙開発も地球から飛び出すことで永遠を獲得したいという思惑があるのかもしれません。人類が地球外で生きるのは無理だと思いますが、宇宙もいずれ滅びるものであり、永遠はどうあっても手の届かないものだと感じます。
生命の永遠の存続を願って発展を焦る気持ちが、却って人類の寿命を縮めることになっているのではないでしょうか。人類が今のような有様を続ければ、地球が滅びるよりも前に地球上からその姿を消す結果になりかねないと感じます。それでは本末転倒です。
今を生きる人間にとっては、エネルギーの枯渇という状況をリアルに感じることは難しいと思いますが、将来、芯に差し迫った状況に陥れば、我々の子孫はエネルギー消費のあり方を真剣に見直すであろうと想像します。
病気とは最も影響のある医者であるという言葉もありますが、普段は医者による節制の指示に曖昧な返事をする患者も、病気による耐え難い苦痛がその身を襲えば医者の指示を愚直に守るようになるのと同じです。
きっと、その時代の人間は問題を放置していた時代の人間に呆れ返り、怨嗟の声をあげることになるでしょう。永遠を指向するのであれば、将来世代に自分たちがどのような目を向けられることになるか、それを想像できるようになりたいものです。終わり




