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金閣寺の池を泳いで渡り

 金閣寺の池を泳いで渡り、放火を試みたところ未遂で捕まった。現在、白い部屋に収容されている。

 実をいうとここへ来たばかりの頃の記憶は曖昧だ。部屋は狭く、鍵は内側からは開かない。手元には一冊、詩集がある。元来もう一冊三島の本があったが、『事件の関連物』として逮捕時に没収されてしまった。裁判時には不快な顔の中年男が、桐紋の風呂敷から出したり入れたりしていた。

 裁判長は三人いた。チャップリン髭に小柄な法服の肩を怒らせ、一人は木槌を小刻みに叩き、一人はぎょろりと目を動かす、更に一人はしきりに欠伸を噛み殺すことで、各々私にメッセージを送っていた。彼らは揃って好意的な顔つきだった。しかしメッセージの伝達方法がやや難解であった為に、私はうまく返答ができないまま閉廷とあいなった。白い部屋に戻ってからは、しばらく横になり落ち込んだ。

 幼少時より度々、他人の行為や言動の裏にある意図が読み切れず、コミュニケーションに齟齬を起こすことがあった。彼ら三人を傷付けてしまったのだろうか、自責の念が湧き起こる。それは水底に沈む泥の形をして、一時(いっとき)掻き混ざれば吹き上がる様相で、視界や思考を一面に濁らせた。私はベッドと枕の間に頭を挟んで呻いた。固く、清潔な匂いがした。

 ガンガンガン。非・好意的な金属を叩く音に責められる。私はベッドに頭を擦りつけ、やめてくれ……と口の中で呻いた。ガンガン、音は続く。

「ダサイさん、ダサイさん! 返事がないから開けますよ、夕食、置いておきますからね!」

 白衣の中年女が呆気なく扉を開け、床へガジャリと食事の載ったトレーを置く。

「40分後に食器の回収に来ます。7割以上食べ残す日が3日続いたら点滴に切り替えますから、ちゃんと食べるんですよ!」

 女の声は酷く脳を揺らし、利き腕が痙攣した。黙らせるべきか。しかし女は喋っているので、まず対話を試みてもいいはずだ。

 見つめると「何です」と鼻息荒く言われる。

「あ、の……」

「何です? ハッキリおっしゃいなさい」

「金閣は、どうなりましたか。あの後、少しでも黒く焼けたのでしょうか。貴女はご存じですか」

 女は肉のたっぷり付いた顔をフンと歪め、数歩で立ち去り扉をガダリと閉じた。無音になった。

 遅れて恥辱が来て、顔が熱くなる。フンという鼻音一つで私のコミュニケーションのミスを責め、同時に頭が不出来だと詰られた心地がした。何故意図が伝わらなかったのか、どうして言葉を受け取ってもらえなかったのか。

 私の日本語に訛りは無いはずだが、会話相手が意味を汲み取らない事がこれまでにも時折あった。それは相手の聴解力に問題がある場合もあり、私の説明が不足していた場面もあった。

 次あの女が来たら簡素な英語で話してやろうと決め、次いで腹が立ってきた。何故私が一方的に女のレベルに合わせてやらねばならないのか。言葉でのコミュニケーションは、前提と文脈の共有が相互に無ければ成り立たない。何と不自由なことか。比べ、美しい物の胸を打つ力の強さたるや。

 部屋は低いベッドが殆どを占めている。木製の丸椅子がぽつんとあり、端には鍵の無い洋式トイレの個室に、鏡の無い洗面台、その下には箒に塵取りと腐った臭いの雑巾が各一つある。窓は無い。

 家庭的な薄い香りを漂わす夕食からは、どうしても中年女の裸の両手の気配を感じ、一汁三菜はベチャベチャと、いずれも目を瞑りトイレへ流した。


 夕飯時を過ぎると下の階から床をしつこく殴打された。私は蟀谷(こめかみ)を痙攣させ布団に深く潜った。音は永遠を打つ秒針の如く絶え間ない。両耳を塞いでも防げずに堪え切れず、布団を跳ね除け起き上がる。逆に耳を澄ますと、くぐもった声が聞こえた。

『この、ここから! こここここから出せ! こんなっ壁今にも箒で打ち抜いてやるんだからな!』

「うるせえ!!!」

 反射で声が出て丸椅子を床に叩きつける。爆発物に似た音が驚くほど響き、下からはヒィッと悲鳴が上がった。

『こ、殺される! 早く、早く出してくれ!!』

 下の人間は喚いて物を割った。ガラス状の音が砕けて飛び散る。ヒィ殺さないでヒィィ、狼狽えた悲鳴が続き、遅れて罪悪感が来る。浅く息を吐く。

「あー……大丈夫ですか? 落ち着いて、しかし迷惑なので音は止めて下さい」

『助けてくれ助けて! こここここ』

「落ち着いて、迷惑なので音は止めて」

 折れた椅子の足で軽く床を叩く。

「静かにしなさーい!!」食事係の中年女が怒鳴り込んできた。

 女は勢いよく入ってきて、私の利き手の椅子の足の断面を見て固まった。ぼってり皮の剥けた唇が縦に開く。

「あー……Sorry,Can I ask you? あー」

 女は何故か中腰になった。

「My name is Dasai, It means unfashionable in Japaneseハハ」

「い、イエス……いえ……」

 女の唇と太腿が震える。

「ハハハThank you,あー、そうだった。すみませんが、金閣は」

「そ、裏から出てまっすぐ西の方角にバスで40分程です」

「Thank you」

 達成した! 口角が上がる。感謝を込めウインクして椅子の足を渡すと、女は受け取った。逸る気を抑え廊下に出る。

 暗く細長く続く先、窓は夕暮れで焼けていた。消える寸前の燃える彩度! 後ろで女が喚き始める。


『高圧電流・扉に触れると感電注意』

 張り紙を無視して裏口を押した。何事もなく開いて、幸運を感じながら続く高い塀によじ登る。宵の明星がチカリと瞬く。西の頭上に、檸檬が出ていた。

 檸檬は且に今沈まんとしていた。滴るかの如く発光する、横倒しの金色の紡錘形!


「……嗚呼」

 檸檬は膨張、破裂し街を焼いた。金閣を、銀閣を焼き、高層ビル群や羽蟻の群れの如き人間、そして裸足に水色の縞柄の患者衣ガウンの、矮小な私も等しく焼いた。地上で悲鳴が上がり、痺れに似た熱量に撫でられ頭から焦げていく。檸檬が瞬いた。

「私は……私は、不出来な人間なんです。吃音でもないのに対話は難しい、人が当たり前に簡単にこなす他の全ても。やらないのではなく、できないのだとせめて知られる為に、人に尽くし、言葉を尽くし、努力と根気を重ねた、それなのに。どうして、貴方はあるが儘で、そんな――……」

 檸檬は、私へ好意的に瞬いた。しかしそのメッセージの伝達方法はやや難解であった為に、私はまたうまく返答ができなかった。

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