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白いワニ

 ――わたし、泊里 穂香(とまり ほのか)は、またしても局長の無茶ぶりに巻き込まれようとしていた。

 正確に言えば、局長が私の机にぽん、と置いたのはA3の地図と、謎の長靴と、匂いの説明が不可能な銀色のスプレー缶。それだけ。


「はい“ハピネス”、本日の任務は簡単だ。下水道に行って、白いワニを探してきてくれ」


「簡単じゃねぇよ! てか下水道!? 臭いだけじゃなく命の危険までセットってことですか!?」


「安心したまえ。僕は本部から全力で応援する。ホットココアでも飲みながらね」


「現地に来いよォォォ!!」


 話を聞くと、ニューヨーク由来の「下水道ワニ」の日本版らしい。局長曰く、最近都内の下水管に“視力を失ったアルビノの巨大ワニ”が出没するとの通報が相次ぎ、しかも現場付近では不審死体や荷物の紛失事件まで発生しているという。


「まあ、大半は噂だ。だが今回は違う。目撃情報が複数のルートから入ってる。で――君の仕事は現地で実際に確認して、もし見つけたらこれを使ってマーキング」


 局長が示した銀色のスプレー缶には、デカデカと「WANI SAFE No.5」とラベルが貼られている。安全そうな名前なのに、たぶん中身は安全じゃない。


「局長……それ、ワニに効くんですか?」


「効くかどうかは使ってみればわかる。人生は実験だよ、ハピネス」


「死ぬのも実験結果に入ってるじゃないですかそれ」


 渋々、私は長靴と懐中電灯を手に、指定された下水道入口へ向かった。



ーーーーーー



 夕方。排水溝の蓋を外した瞬間、錆びた鉄の匂いと生ぬるい空気が顔にまとわりついた。

 ガコン、と金属音を響かせて蓋を路肩に押しやり、梯子に足をかける。降りるごとに光が遠ざかり、かわりに湿気と暗闇が膨らんでくる。靴底が梯子の段を踏むたび、じわりと水滴が染み出して靴の中まで冷たくなった。


 最後の段を降りた瞬間――世界が変わった。

 湿ったコンクリートの匂い。鼻の奥を突く、どこか甘ったるい腐敗臭。遠くで反響する水音が、無人の地下空間を冷たく撫でる。

 ライトをつけると、壁面のタイルは所々剥がれ、黒カビが地図のように広がっている。水面には油膜が虹色の渦を描き、時おり、正体不明の何かがポチャンと沈んだ。


(うわぁ……さすが下水道、二度と来たくないランキング余裕の一位)


 膝まである長靴をジャバジャバと鳴らしながら、足元の濁流をかき分けて奥へ進む。天井からは水滴が落ち、首筋をつつくたびに心臓が変な跳ね方をした。

 やがて壁に沿って、何かのマークが途切れ途切れに続いているのに気づく。スプレーで描かれた落書き……にしては線が荒い。よく見ると、壁のコンクリートそのものがえぐれている。


(あれ……爪痕? いや、引っかいた跡? ってかこれ、デカくない?)


 指を近づけると、溝は私の指先がすっぽり入るほど深く、幅も太い。背筋をひやりと冷たいものが走った、その瞬間――


 「ガシャーン!」


 背後で鉄パイプが倒れるような甲高い音。

 振り向くと、通路いっぱいに何か巨大な影が立ちはだかっていた。ライトを当てた瞬間、鼓動が耳の奥で爆ぜた。


 全長3メートルはあろうかという白いワニ。真珠色の鱗は光を受けて鈍く輝き、瞳は血のように赤い。瞬きひとつせず、何故か鉄パイプを口にくわえながら真っ直ぐにこちらを見据えている。


(やっば……やっぱ実在した!? てか近い近い近い!)


 腰のスプレー缶を慌てて構える。指先が震えて、噴射口がこっちを向きそうになるのを必死で制御した――その時。

 白いワニは、信じられない動きをした。

 ――口にくわえていた鉄パイプをそっと地面に置くと、私の背後へを見た。


 その瞬間、風を裂く音と共に黒い影が飛び出した。

 柄の悪い男二人。泥水に濡れたジャンパーのポケットには何か金属の光が覗く。一体全体なんなんだ。

 それをワニは巨体とは思えない速さで尾を一閃――ドガァンッ!

 空気が弾ける衝撃音とともに、男たちは壁際まで吹っ飛び、膝から崩れた。水しぶきがシャワーのように降りかかる。あの威力だ、人体が絶対ろくなことになっていないのは想像に難くない。


 ワニはそのまま低く唸り、二人を壁際に追い込む。噛みつく……と思ったところで、ぴたりと動きを止めた。

 赤い瞳が、わずかに私の方へ流れる。


(……助けられた? え、私、今ワニに助けられた??それとも次はお前だってこと!?)


 呆然と立ち尽くしていると、背後の水路でドボン、と大きな音。

 振り返ると、暗闇の中から、金属の軋む音と共にもう一体のワニが現れた。塗装で真っ白に塗られたボディ、目は無機質なガラス玉。明らかに生き物じゃない。


「おお、成功だなハピネス!」

 耳元のインカムが唐突に喋り出し、心臓が一拍飛んだ。

「そいつは僕の特製“WANI Mk.1”だ。AI搭載、自動追尾、攻撃力は控えめで可愛げあり!」


「いや、控えめでも怖いんですけど!? てかじゃあ今こっちにいるワニは――」


 言い終える前に、ロボワニと白いワニが同時にこちらを見た。

 冷たく光る金属の瞳と、濁りのない赤い瞳。違いは一瞬でわかった。


「局長……こっち、二体目、本物です。本物いるんですけど!?」


 次の瞬間、本物の白いワニは水面を割り、音もなく深みに消えた。残されたのは、カシャンカシャンとぎこちない足音を立てるロボワニだけ。


「……逃がしたか」

 局長が珍しく低い声を出す。

「まあいい。今日の収穫は大きい。このエリアに本物がいるとわかっただけで価値がある」


「いや、そんな冷静に...私の寿命は減ったんですけど!?」


 地上に戻ると、局長は相変わらず湯呑みを持って待っていた。

 ロボワニはトラックに積み込まれ、本物のワニは再び都市伝説の闇へ。局長は涼しい顔で言う。


「ハピネス、次の任務はその本物のワニを捕まえることだ」


「えっ……また行くんですか!?」


「もちろん。危険手当は出す。……だいたい安全だ」


「だいたいって何%ですか!?」


「この湯呑みから白湯をこぼさない確率くらいだね」


 ……またそのパターンかよ。

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