回想-2
「母子手帳か~……うっかりしてたわ、はは。」
どうしようもないと言いたげな母の失笑は、初めて聞く声色だった。俺達の前では決して明るさを失わなかった人が、表情を強張らせている。今まで子供の前で愚痴一つこぼしたことの無い強き母が、俺達の前で“緊張”している。けれど逸らした目をすぐに戻し、真っすぐこちらへ向き直った。
「うん、そう。竜刃さん……お父さんが親戚から引き取ったのが、辰真。本当のご両親はもう亡くなっているわ。」
「うん。そのへんも全部、誤魔化さず教えて。」
ピクリ、母の眉が震えた。あからさまな動揺に、竜衛と目を合わせる。彼の言う通り『訳アリ』なのだろう、俺の本当の両親は。母はしばし無言になったものの、何度か呼吸を整えて覚悟を決めたようだ。
「勘付いてるなら、仕方ないか。」
変に誤魔化すより、ハッキリ話したほうが良いと判断したのだろう。
「辰真のお父さんは放火の常習犯で、辰真が一歳になる前に死刑が執行された。」
「辰真のお母さんも夫を匿っていたことで捕まっていたけど、出所してすぐ自殺した。」
「だから、警察官である竜刃さんのところへ養子縁組の話が来た。そして、私と話し合って引き取ることを決めた。」
母は全てを、一息で話してしまった。簡潔で淀みのない、流れるようでかつ分かりやすい説明。これ以上は追求しようのないぐらい、何一つ誤魔化さなかった。
「私が知っていることは、これで全部よ。竜刃さんなら、もっと何か知ってるかもしれないけど。」
「…………そっか。」
「何か変わった?」
「えっ」
「別に何も?なぁ?」
質問の意味を聞き直す間もなく、竜衛が頷く。当然のように同意を求められて、困惑するしかない。
「赤ん坊の時から一緒だから、タツが居なかった頃の記憶なんて無ぇし。」
「それは、俺もそうだけど。」
「ほら、兄弟じゃないのは生物学上の話で戸籍上は兄弟だし。」
「そりゃ、まぁ。」
「じゃ、今までと同じだろ?」
本人が喋る前に、随分と勝手を言うものだ。竜衛の言葉は正論で、確かに「その通り」としか返しようが無い。だけどそれじゃ、さっきまで戸惑っていた俺が馬鹿みたいじゃないか。何だかんだ言われて安心している自分も、単純過ぎて呆れる。
「…………あぁ、そうだな。」
何も変わらないのは本当のことなので、結局は頷くしかなかった。
鱗音は鱗音で、ちゃっかり俺達と母の話を盗み聞きしていた。女の勘だろうか、重要な話をしているのを察したらしい。
「驚きはしたけど、特に気にする話でもなかったなぁ。」
「は?」
「リュウ兄の言う通り、タツ兄が私のお兄ちゃんじゃなくなるワケじゃないもん。」
まだ小学生だったはずの妹は、それしか言わなかった。ワザとらしく「宿題しなきゃ」などと言って、何事もなかったかのように自室に戻った。羨ましいほど、芯の強い妹である。
俺も、兄と妹に倣い『何事もなかったかのように』いつも通り過ごす他なかった。そして、そのことにどうしようもなく救われた。
実はもう一つ、母子手帳から『無視できない事実』が発覚したりしたのだが。
それはもう少し後で、暇があったら語るとしよう。