一日目-4
「人に見られない場所へ移ろう。」
俺からそう提案して、女子生徒を連れて特別教室棟に入った。
無人の理科室の隅、机に隠れるようにして床へ座る。女子生徒は「高野といいます」と、礼儀正しい自己紹介をしてから話し始めた。
「厩戸くんには……両親が決めたっていう、婚約者がいたんです。」
「婚約者ァ?漫画でしか見たことねぇ話だな。」
「で、ですよね。その人は、志野崎尊古さんっていって…………」
またも新たに出てきた人間の名前を、脳内で何度か繰り返す。吉人君から「婚約者」の話など、一言も聞いていない。まあ、本命の恋人がいるのに言うはずもないか。
「でも、火災で厩戸くんの両親が亡くなって……婚約は、ナシになったらしいんですけど…………志野崎さん、本気で厩戸くんが好きみたいで。」
「だから恋敵の鱗音に嫌がらせしてるってか?」
「…………はい。」
「厩戸君は、そのことを……」
「知ってます。何度も止めに入っているのを見ました。」
「……鱗音のことだ、口止めしてたんだろ。」
「自分の問題は是が非でも自分で解決しようとするもんな、アイツ。」
鱗音の性格からして、虎の威を借りるような真似はしない。俺達の名前が有名だとしても、意地でも出すまいとしている筈だ。我が妹ながら、強くも厄介な頑固者である。
「女に手を上げるのはつまらなそうだけどな~。」
「やめろ。」
「いてっ。」
本当にやりかねない、反射的に竜衛の頭を引っぱたいた。俺だって今、必死に怒りを抑えている。妹が嫌がらせを受けていると聞いて、兄としては腸が煮えくり返る思いだ。だが暴力的手段に出たところで、鱗音の望まぬ結末になることぐらい分かっている。そんな俺達に、高野さんは「ごめんなさい……」と肩を縮こまらせた。
「私、見ているだけで、何もできなくて……」
「しゃーないしゃーない。」
竜衛がヒラヒラと手を振るのに合わせて、俺も頷く。目を付けられたくない、標的になりたくない、そんな恐怖を感じるのは当然のこと。罪悪感を持ってくれているだけでも、身内としては十分だ。話を聞く限り、吉人君は積極的に庇っていてくれたようだし。
しかし、だとすると。
(逆に吉人君の容疑が、強くなっている。)
そう思わずにはいられなかった。
高野さんには礼を言って、こちらの連絡先を伝えておいた。何かあったら、いつでも助けになるという意味で。
「いざとなったら、俺達に脅されたって言っていいから。」
「そんな」
「じゃ、ありがとな。」
戸惑う彼女を遮るようにもう一度礼を言い、俺達は理科室を出た。
*
帰る途中。
俺達はまた、厩戸邸の前に居た。竜衛が「もっぺん見て行こうぜ」と言ったので、仕方なく。朝に見た時と印象は何も変わらず、意味の無い寄り道に思えた。
「やっぱり、本当は吉人君が犯人なんだろーか。」
「さーな。でも疑われる理由としてはケッコー妥当じゃねーの?」
思わず出た言葉に、竜衛は身も蓋も無いことを返してきた。実際、これらの証言を踏まえて警察は焦点を絞っているのだろう。確執のあった男子生徒、婚約者だった女子生徒。吉人君と鱗音の人間関係は思いのほか複雑だった、それは何を意味しているのだろう。ぼんやりと考えながら、黒焦げの館を見上げる。
「どう?」
「どうってなんだよ。」
顔を覗き込んできた竜衛は、何を思っているのか嫌らしくニヤついている。兄が何を聞きたいのか、わからないワケじゃない。コレに関しては俺が、気付かない素振りをしていたいだけ。知らんぷりをしていれば、竜衛が無遠慮に畳みかけてくる。
「お前はさ“放火された家”ってのを見て、何か感じねーの?」
「俺は別に。」
別に。
そうとしか、言いようが無い。
俺にそんなことを言われても、困る。
竜衛も、わかっているだろうに。
本当に悪趣味な兄を持ってしまったと思う。
実父が『放火魔』だったからといって、俺には知ったこっちゃないのに。