6_本
私は今日も王城への転移の準備をする。
道具の準備に加えて、私はミルクや砂糖を入れていないコーヒーをごくりと飲んだ。
「苦い……」
ブラックコーヒーは苦手だ。
でも、今回の作戦にはこれが不可欠なのだ。
今まで王城に転移するタイミングは、日が昇っている時間帯だった。
だが、ことごとくルーファスに捕まってしまった。
それなら、深夜に転移するのはどうだろう――そう考えたのだ。
普段は眠りにつく時間帯だけど、この時間ならばルーファスも眠っているかもしれない。
王城の警護も昼間よりは緩いかも。
三時や四時などの早朝帯ならば、ルーファス及び城の人間が寝ている確率は更に高くなるだろう。
だが、私も植物を世話したり、街に売れる道具は売りに行ったりと、ある程度人の生活に合わせて過ごす必要がある。あまり生活リズムを崩す訳にはいかないのだ。
故に、私は日付が変わる前後の時間帯に転移することに決めた。
++++
結果として、ルーファスは机にはいなかったが、ベッドで本を読んでいる最中だった。彼が読んでいる本の他にも何冊か本が置いてある。
転移したところをルーファスに見つかった私は、捕まってベッドサイドまで運ばれた。
「メルナ。こんな寝る時間に来るなんて驚いたな。まあ、君が来たから眠気も飛んだが……」
「おも、重いです」
ルーファスに捕まった私は、本のページの間に挟まれた。しかも、その上から二冊、三冊と追加の本を積まれる。紙が集まった本は重いということを身を持って体感していた。
「ははは。このまま重みをかければ、いつかは本のしおりのようにペラペラになるかもな」
「なりませんよっ! な、なんでこんなこと……」
「メルナ、君は前にお茶会している時に勝手に帰っただろう? ちょっとくらいは仕返しさせてくれてもいいじゃないか」
お茶会って何の話だろうと思ったが、そういえば前回紅茶を振る舞われたな――と思いだす。あれはルーファスからしてみればお茶会という認識だったのか?
私は必死に這いずって本から出てベッドの上に移動する。
ルーファスがじっとこちらを見下ろしていた。
「言っておくけど、今はあの紅茶は淹れないよ。寝る前だしね」
「は、はい。今の時間帯ではなくても、私には紅茶を出さなくていいです。お気遣い無く」
あの紅茶はとてもとてもおいしかった。
でも、前回ルーファスは密かに紅茶に服従の魔法をかけていて、それを飲ませようとしてきた。
あれ以来、彼からは飲食物を受け取らないようにしよう――と決めたのだ。
「寝る前にお邪魔してしまったことについては、すみませんでした。今回も私はじきに家に戻るようにしますので、ルーファスはもうお休みいただければと……」
「メルナは散歩のために転移魔法を使っていると言ってなかったっけ? 君は深夜に散歩するというのか?」
「夜の散歩も、たまにやると楽しいものですからね」
私はルーファスに言い訳を返した。
無論、嘘だ。
夜に散歩することはたまにあるが、流石にここまで遅い時間にやることは無い。私だって普段は寝床に入りたい時間だ。だけど地下室に行くためには背に腹は代えられなかった。
「メルナ。君一人で夜に歩いたら危ないと思うよ」
「…………」
ルーファスがまっとうなことを言っている。
だが、本当に私のことを心配している人は、本で私を押し潰そうとはしない気がする……。
「メルナが夜道を歩いていたら……魔獣に襲われるかもしれないし、人攫いに攫われるかもしれないし、襲われないとしても暗い中転んで一人で落ち込むかもしれないし、灯りが無い中で見た物陰を幽霊だと勘違いするかもしれないし、それが忘れられなくて家に戻っても眠れなくて震えてるかもしれないし、……くくく……」
ルーファスは夜道を歩くことでのデメリットを延々と挙げつつ、笑い声を上げている。
(私を心配している訳じゃないよね。酷い目に逢っている私を想像して楽しんでいるだけだわ)
頭の中でそう結論づけて、私は息をつく。
ルーファスが私に対して当たりが強いのは今に始まったことではない。
それに、私の方もルーファスの部屋に度々侵入しているのだから、お互い様だ。
ルーファスの言うことは流すようにしよう。
そして、転移魔法が使えるまで、時間を適当に潰すことにしよう……。
そう決意した私をよそに一人で笑っていたルーファスは、やがてベッドに置かれた本を示しながら言った。
「夜は家で読書でもすることをお勧めする。俺みたいにね」
「ルーファスは、寝る前にいつも本を読んでいるんですか?」
私がそう聞くと、彼は頷いた。
「読書は寝る前にするのが一番いいな。面白い本は色々な場所を旅しているような気持ちになる。夢の中で本の世界に行けるような気がする」
その言葉を聞いて、私は何だか意外な気がした。
私も本を読んでいてそういう気持ちになったことはある。
でも、それは私の家が貧乏で、中々遠出をするのが難しい状態にあったからだ。
「……ルーファスは王族だと以前に言っていましたよね。なら、実際に各地を旅することも出来るのではないですか?」
「それは視察なんかの仕事がある時だけだからね。自由に行きたい場所に行ける訳じゃない」
「なるほど……」
「ま、俺が駄々をこねたら、もしかしたら他の人間は譲歩してくれるのかもしれない。でも、せっかくなら、俺の我儘はもっと別のことで通したいんでね」
ルーファスの我儘……。なんだろう。
なんとなく聞くのが憚られて、私は曖昧な笑みを返した。
――でも、ルーファスの話を聞いていると、少し彼の印象が変わるかも。
第四王子に生まれて、地位と財産を持っているとはいえ、彼は自由な振舞いが出来るわけではないみたいだ。
ルーファスの部屋に転移するたびに彼に遭遇して、どうしてルーファスはずっと部屋にいるんだと不思議だったけど、彼は自室でくらいしか伸び伸びと過ごせないのかもしれない……。
そう思うと、彼は部屋にいてもらった方がいいような……。
(……いやいや。何考えてるの、私。
ルーファスには部屋を留守にしてもらわないと困るのに。そうしないと地下室を探せない。私は闇魔術師の未来のためにここに来てるんだから)
ルーファスのことは深く知ろうとしない方が良さそうだ。
生活リズムなどを知るのはいい。
でも、彼が日々過ごしていて何を思っているかは私が気にするべきことではない。
私は別の話題を出すことにした。
「えっと……あなたの読んでいる本、私も気になります。読ませていただいていいですか?」
「いや。これは俺が今読みたいから、メルナに読ませるのはなしだな」
「す、すみません」
「でも、他のものならいいよ」
そう言って、ルーファスは本棚からいくつか本を取り出した。
私は彼が差し出したうちのひとつの本を取り出して読み始める。
それは、挿絵が頁の半分程度に大きく描かれた本だった。小説と絵本を足して二で割ったようなつくりになっている。
(わあ……)
ルーファスの本を読みたいと言ったのは、転移魔法を発動させるまでの時間稼ぎのためだ。
でも、思いの外面白い。
近年は家の家事や魔法の練習で日々を過ごすことが多く、読む本は料理の作り方など実用的なものに限られていた。
でも、こういうファンタジックな本も好きだ。
私はこの手の本に馴染みがあることもあって、ページをめくる手が止まらなかった。
「その本、気に入ったの?」
いつの間にかルーファスは自分の本を閉じ、こちらを見つめている。
「ええ。これと同じ作者の本を子どもの頃に読んだことがあるんです。こちらは少し対象年齢が上がっているようですけど、だからこそ面白いです」
「ふうん……」
ルーファスは、無言で私が読んでいた本を取り上げ、私が届かないような高い場所の棚に置いた。
「……あの、ルーファス? なんで本を取り上げたんでしょうか?」
「ん? うーん。なんか、メルナがずっと本を読んでいると嫌だなと不意に思って」
「…………」
「読みたいなら読んでいいよ。でも条件がある。俺の質問に――」
「いえ、もういいです。失礼しました」
うっかりルーファスとの時間を楽しんでしまった自分が恥ずかしい――そう思いながら私は転移魔法を発動し、家へと帰っていった。