2_ショットグラス
『王城の地下室を目指して欲しい』
それが亡くなった私の師匠の願いだ。
彼は亡くなる寸前に、王城に転移するためのキーになる魔道具を残してくれた。
私は魔道具を使い、王城に転移魔法で侵入した。
城の人間に気付かれないように身体を小さくする魔法も使った。事情があって、私は城に正面から入る訳にはいかない立場なのである。
だが男に見つかって拘束されて、地下室を探すことは出来なかった。
とりあえず、初めて転移して起きたことを振り返ってみたけど……。
「王城にも無事転移出来たし、見つかったとはいえこうして戻ってくることが出来たんだから、まあまあ及第点って言っていいよね。うん」
私は自室でぐっと魔道具の羅針盤を握り、そして魔力回復のための薬草を煎じる作業に入った。
転移先の地点が部屋の中というのは予想外だったけど、あの男がずっと部屋の中にいるとは考えにくい。次に転移するときは留守にしているかもしれないのだ。
うまく誰もいない時に部屋に侵入出来れば、部屋の隙間を通って地下室を目指すことは難しくないだろう。
次こそはうまくやってみせる!
++++
そして転移魔法を使い、私は王城の部屋に転移した。
私は以前遭遇した赤い髪の男にまたもや見つかり、手近なところにあった透明なショットグラスを被せられた。
机の上で私は動けなくなる。
(頑張ればグラスを持ち上げて外に出れそうだけど、目の前の男がすかさず阻止してきそうな気がする……)
動けない状態の私を前にして、赤い髪の男がこちらを覗き込みながら口を開く。
「もう会えないものかと思っていたよ。また来てくれたということは……君はこの部屋が気に入ったの?」
「…………」
「……返事が無いな。前回は揺らしてみたけど、今回はつついて様子を見てみようか……」
「喋れます喋れます。私は元気です。いっぱい喋れます」
「あ、そうなんだ。それなら良かった」
私は必死に口を動かすと、赤い髪の男は笑顔を浮かべた。とりあえずつつかれる事は回避出来たみたいだ。
「この間はあまり話せなかったね。俺は君に聞きたいことが色々あるから、教えて欲しい。まず、君は何をしにここに来たの?」
「……ええと……さっ……散歩」
「散歩?」
「私は……時々、ランダムにワープする魔法を使えるんです。それで、行き先を決めずに散歩するのが好きで。転移魔法を使ったら、たまたまあなたの部屋に繋がってしまったみたいです。前回も今回も同じ場所に出るなんてびっくりしました。はは……」
「ふうん……?」
私が答えると、赤い髪の男が静かにこちらを見つめている。
(疑われてるのかな……。どうなんだろう。彼の反応だけだと、何を考えてるかわからない……)
私は内心冷や汗をかく。
でも、私は城に侵入する本当の理由を王城の人間に言う訳にはいかないのだ。表向きの理由はこれで貫き通すつもりだ。
暫くして、赤い髪の男は頷いて言った。
「まあ、魔法はまだまだわかっていないこともいっぱいあるからね。魔法の効果を術者が指定出来ない、ということもあるか……」
「そ、そうなのです。不思議ですよね……」
「うん。じゃあ、他のことも聞いてみたいな。君の名前はなんて言うんだ?」
「名前?」
「あ、待って。折角だから俺が当ててみようかな」
私の返答を静止した赤い髪の男は、少しの時間目を瞑り、そして切り出した。
「……君の髪、淡い紫のライラックみたいな色をしているよね。だから……ライラ。君の名前は、ライラって言うんじゃないか?」
「あー、わあ。そう、そうですね。当たりです!」
私は、赤い髪の男に笑いかけた。
本当のところは違う。
私の名前はメルナだ。確かに髪の色は彼が言うとおりだけど、それと名前は関係ない。
でも、適当に男の言うことに話を合わせることにした。
私は用事を済ませたらさっさと王城から去りたいのだ。この男に余計な情報を与えるべきではなかった。
赤い髪の男は、私の返答を聞いて笑みを浮かべる。
そして、静かな声で言った。
「君、嘘をついているね」
「えっ……」
「君の名前は、メルナ、だろ? この前ここに来たとき、ハンカチを落としていっただろう。そこに名前が書いてあった」
「……!」
赤い髪の男の指摘に、私は内心動揺する。
緊張で言葉が出ない私とは対照的に、赤い髪の男は呟きを続けていた。
「メルナ、メルナ。君は嘘をついていた。たまたま王城に転移したというのも、やっぱり嘘なのかな?」
「うっ……」
赤い髪の男は、上から私の入ったショットグラスを掴んで、机の上で揺らした。木の机にグラスが触れて、ゴリゴリと鈍い音がする。
――まずい。
赤い髪の男はある程度友好的だと思っていたけど、そうじゃなかった。何も知らないふりをして、私の素性を探っていたんだ。
王城の人間がその気になったら、私はすぐに捕まってしまう。
それだけじゃない。私は孤児だし、育て親の師匠も亡くなってしまった。正直なところ、いなくなっても誰にも気付かれないような存在だ。
素性がわかったら、さっさと始末されてもおかしくない……。
「メルナ。君は……」
「ぼ、防犯です。嘘をついた訳ではないんです。防犯をしたんです!」
「ん?」
私は精一杯声を出す。赤い髪の男は意表を突かれたように首を傾げた。
「あ、あのっ……、知らない人に名前を教えてはいけないという教えがあるじゃないですか。私はあれを忠実に守っていて、そしたらあなたに嘘をつくような形になってしまったんですけど、悪気があった訳ではないんです!」
「そんなことある……?」
「ほ、ほら、あなただって名前を私に教えたりしないでしょう。みだりに名前を教えないのは防犯のためであって、悪意がある訳ではないんです。わかってください!」
「……」
私が必死に言い訳を連ねていると、赤い髪の男はどこか思案するように目線を泳がせた。
そして、ショットグラスの指先で撫でながら口を開く。
「ルーファスだよ」
「……?」
「言われてみれば、こちらは名前も教えていないのに、他人の素性を問いただすのは良くなかったかもしれないね。
俺はルーファス・アニムスカラー。この国の第四王子だよ」
「ルーファス……さん」
「呼び捨てでいい。こちらもメルナと呼ぶから」
そう呟いたルーファスは、弄っていたショットグラスを握り、別の場所に置いた。
ずっと閉じ込められていたグラスが無くなって、私は一瞬開放感で息をつく。
そうしている間に、ルーファスはぬっとこちらへ手を差し出してきた。
――明らかに、私の身体を掴もうとしている。
(――やばい!)
私は焦る。
巨大な相手に触られるのが怖い、というだけではない。人間に身体を触られると転移魔法に必要な魔力を練ることが難しくなるため、転移魔法がうまく発動出来なくなるのだ。
このまま部屋から帰れなくなるかもしれない……!
(お願い、やめて……!)
++++
私は身を固くして目を瞑ったが、いつまで経っても私に指が触れることは無かった。
目を開けると、自室へ戻ってきていた。
今回も、転移魔法でうまく帰れたようだ。
私は胸を撫で下ろす。
そして、王城で赤い髪の男……ルーファスと話したことを思い出す。
「第四王子、かぁ……。あんな人が、他に三人もいるってことなのかな……」
私は一人呟き、自室でぶるりと身体を震わせた。