【コミカライズ】あくまでわたくしの考えなのだけど。〜嫌味たらしい公爵令嬢の口癖〜
「これはあくまでわたくしの考えなのだけど……」
と、お茶会の主であるエズメが話を切り出す。その瞬間、会場にピリリとした緊張感が漂った。
(今日はなにをおっしゃる気だろう)
アメリーがゴクリと息をのむ。ドキドキと鳴り響く心臓。エズメ以外のみんなが目配せをしつつ、何食わぬ雰囲気を装っている。
「白や銀のドレスばかり着ている女性って、見ていて恥ずかしい気持ちになりません? ご自分の年齢をわかっていないというか、純情ぶってるというか。『自分はいい子です』ってアピールをされているような気がして、なんだかむず痒くなりますの。似たような服ばかりじゃ貧乏くさい感じもしますし」
(今日は服装の話か……)
ホッとするやら傷つくやら、アメリーは自分の服装を見下ろしつつ、心の中で小さく息をつく。
「そ……そうかしら? 自分が好きなものをしっかりとお持ちの女性って素敵じゃありませんか?」
そう返事をしたのは出席者のひとりであるフルール侯爵令嬢だ。エズメのトゲトゲした口調に対し、至極柔らかい口調に笑顔。けれど、エズメはため息混じりに呆れ顔を浮かべた。
「自分をしっかりお持ちいただくことも結構だけど、少なくとも、わたくしは嫌な気持ちになりますわ。もっと小物を取り入れるとか、別の色合いのドレスを選んでみるとか、いろいろと工夫をなさればいいのに。ねえ、アメリー様もそう思いません?」
「え?」
唐突に同意を求められたアメリーは思わず目を丸くし、次いで苦笑いを浮かべる。彼女のドレスは白いシルク地に銀糸の刺繍のもの。エズメの批判が誰に向けられたものなのか――アメリーを指しているのは明らかだ。
「そ……そうですわね。エズメ様のおっしゃるとおりです」
「でしょう? やっぱりアメリー様はわかっていらっしゃいますわ! ……まあ、これはあくまでわたくしの考えなのだけど、ね」
エズメはそう言って、満面の笑みを浮かべる。
公爵令嬢エズメ・ロズフェリエはいつもこうだった。誰に対する批判かを明言せず、けれどそうとわかるように言及し、相手が傷つくのを見て楽しんでいる。いや――少なくとも周りからはそう見えた。
内容は茶会によって異なり、言葉遣いや立ち居振る舞い、服装や髪型、手土産のセンスなどなど、非常に多岐にわたる。しかも、それらは決してマナー違反や誤っているわけではなく、単にエズメの価値観と合わないというだけなのだ。
名指しをされていないため、それらの批判は一般論と言われたらしようがない。だが、内容を聞くに特定の誰かを――アメリーを批判しているとしか思えない。
だから、エズメが『誰のことってわけではないのだけど』と話を切り出すときにはいつも、お茶会の出席者全員に緊張が走るのだ。
「アメリー様、大丈夫ですか?」
会もお開きというタイミングで、他の出席者がアメリーに声をかけてくる。
「ありがとうございます。私は平気ですよ」
慣れているから、と付け加えたくなるのをグッとこらえ、アメリーはニコリと微笑んだ。
「本当に? わたくし、アメリー様はそろそろ怒ってもいいと思いますわ」
「そうですわ。わたくしたちも力になりますから」
令嬢たちはちらりとエズメを振り返りつつ、アメリーの手をぎゅっと握る。きっと本気で心配してくれているのだろう。彼女たちの気持ちに心から感謝しつつ、アメリーはそっと首を横に振った。
「ありがとうございます。けれど、お茶会の雰囲気を壊すわけにはいけませんし、相手は公爵令嬢です。下手に反発をすると、みなさまの立場がなくなってしまいます。それに、なんといってもこのお茶会の主催者はエズメ様ですから」
「そう……ですか?」
他の参加者たちは返事をしつつ、アメリーの表情をじっと見る。
「――ああ、エズメは今日もお茶会を開いていたんだね」
と、そのとき、ひとりの男性が彼女たちに声をかけてきて、アメリーの心臓が大きく跳ねた。
緊張と期待を胸にゆっくりと振り返る。そこにはこの家の長男でありエズメの兄――セヴラン・ロズフェリエがいた。
「セヴラン様、ごきげんよう」
令嬢たちがすぐにセヴランへと声をかける。アメリーはみんなの最後尾に回りつつ、そっとセヴランを覗き見た。
(ああ、セヴラン様はやっぱり素敵だなぁ……)
眩い金の髪に切れ長の紫色の瞳、目鼻立ちの美しく整った中性的な顔立ちに、スラリとした体型。それに加えて柔らかな物腰、高貴な雰囲気、笑顔に、優しい声音などなど……アメリーはセヴランのすべてがどうしようもないほど好きだった。
お茶会に来ればセヴランに会えるかもしれない――そんな思いがあるからこそ、アメリーはエズメにどれだけ傷つけられても平気だった。
とはいえ、内気なアメリーには自分からセヴランに話しかける勇気なんてない。いつも他の出席者たちの影に隠れ、彼をそっと覗き見るだけで終わるのだが……。
「こんにちは、アメリー嬢」
「え? あ、セヴラン様?」
と、唐突にセヴランに声をかけられ、アメリーは思わず目を丸くする。
(どうしよう……変な声を出してしまったわ。受けこたえもきちんとできなかったし)
大きな後悔に苛まれつつ、アメリーは急いでセヴランに向かって頭を下げた。
「ごきげんよう、セヴラン様。本日はお招きいただき、ありがとうございます」
「そんなにかしこまらないで。いつも妹と仲良くしてくれてありがとう」
セヴランがニコリと微笑む。アメリーは内心でキャー! と叫びながら、必死に笑顔を取り繕った。
「い、いえ、そんな……。私の方こそエズメ様にはいつも大変お世話になっております」
「お世話にって……君たちは友人同士だろう?」
ふふ、とセヴランは楽しげに笑うが、周囲の令嬢たちはみな苦笑いだ。なぜなら、アメリーとエズメはどう考えても『友人同士』なんて対等な間柄には見えない。もちろん、そんなことは口が裂けても言えないけれど。
「それにしても、アメリー嬢はいつも白いドレスを着ているんだね」
「え? えぇ、と」
まさに今日、エズメに指摘されたばかりのことに言及され、アメリーは思わず泣きそうになってしまう。
(どうしよう。やっぱりエズメ様の言う通りだったのかな? セヴラン様にまでいい子ぶってるって思われたら悲しすぎる)
今ならまだ印象回復は間に合うだろうか? アメリーは大急ぎで頭を下げた。
「す、すみません。癖でいつも同じ色ばかりを選んでしまって。これからはもう少し差し色を入れてみようかなって思ってるんですけど……」
「え? どうして? すごく似合っているし、とても可愛いと思うよ」
「え?」
セヴランから慈しむような瞳で見つめられ、アメリーの頬が真っ赤に染まる。
(やっぱり私、白い服を着ていてよかった……!)
心のなかでそう叫びつつ、彼女は喜びを噛みしめるのだった。
***
アメリーは翌日、王都にある神殿を訪れていた。
お祈りをしたり、神官たちと一緒になって礼拝堂を磨くことは、子どもの頃からの彼女の日課だった。それに加えて、身寄りのない子どもたちに勉強を教えたり、貧しい人々に寄付をするといった慈善活動が現在のアメリーのライフワークとなっている。
(それにしても、昨日はすごく幸せだったな……)
幸せな余韻にひたりながら、アメリーはうっとりとため息をつく。セヴランを一目見られるだけでも幸せなのに、声までかけてもらえたのだ。感謝しなければ罰が当たる。
「今日のアメリー様はなんだかすごく嬉しそうだね?」
「え? そ、そうかな?」
小さな子どもにまでわかってしまうほど浮かれているのだろうか? アメリーは頬に手を当て、表情をグッと引き締め直す。
(いけない。セヴラン様とあんなにお話することは、もう二度とないに違いないもの。きちんと地に足をつけて生活をしないと)
そもそも、好きな人に会うためにお茶会に通うという行為は、決して褒められたものではないし、きちんと現実に向き合わなければならない――はずなのだが。
「――こんにちは、アメリー嬢」
「え……?」
背後から声をかけられ、アメリーはドキッとする。この声、雰囲気――まさかとは思いつつ振り返ると、そこにいたのは彼女が思い描いた通りの人物だった。
「セヴラン様?」
どうして彼がここにいるのだろう? 真っ赤になって戸惑うアメリーに、セヴランは優しく微笑みかけた。
「神殿で小さな子どもたちに勉強を教えているって聞いて、興味があったから覗いてみたんだ。そしたら、アメリー嬢を見つけて、つい声をかけてしまったんだけど……迷惑だったかな?」
「そんな! 迷惑だなんて、とんでもないです」
むしろ、嬉しい――とは口が裂けても言えなかったが、アメリーは必死に笑顔を作る。
「誰? アメリー様の知り合い?」
と、子どもたちがアメリーに問いかける。しかし「そうだよ」と自分から言うのは気が引けるし、「違うよ」とこたえるわけにもいかない。
「えっと……」
「そうだよ。俺たちすごく仲良しなんだ」
アメリーがこたえるより先にセヴランがニコリと微笑む。
「そうなんだ!」
と、喜ぶ子どもたちをよそに、アメリーはドキドキと胸を高鳴らせた。
(仲良しって、仲良しって……!)
もちろん、子どもたちのためについた嘘だとわかっているが、好きな人からそんなふうに言われて嬉しくないはずがない。ちらりとセヴランを見上げたら、彼は少し照れくさそうな表情で笑った。
「子どもたちから慕われてるんだね」
「えっと、そう……でしょうか?」
「うん。少なくとも俺にはそう見えるよ。みんな君のことが大好きって顔してる」
セヴランが笑う。彼から発せられる『大好き』の言葉に、アメリーはまたもやドキドキしてしまった。もちろん、他意はないとわかっているが……。
「ねえアメリー様、ここ、教えて?」
「あっ……そこはね」
子どもの一人に手を引かれ、アメリーは急いで身体の向きを変える。
「アメリー様、僕も僕も!」
「ごめんね、少しだけ待っていてね。こっちを教え終わったら……」
「それじゃあ、君には俺が教えてあげるよ」
「本当?」
セヴランが男の子に向かって笑いかける。アメリーは思わず身を乗り出した。
「いいのですか、セヴラン様?」
「もちろん。俺にも手伝わせてよ」
セヴランはそう言って目を細める。とても優しくて温かい笑顔。
(ああ、やっぱり私、この人のことが大好きだなぁ)
深みにハマっていく己を自覚しながら、アメリーは「ありがとうございます」と返事をするのだった。
***
その日以降、セヴランは頻繁に神殿へと顔を出すようになった。彼はアメリーと一緒になって子どもたちに勉強を教えたり、チャリティ活動を手伝ってくれる。
当然、会話の回数も格段に増え、セヴランに恋するアメリーは嬉しくてたまらない。
(お屋敷で一目見られるだけでも幸せだったのに)
彼に会えば会うほど、知れば知るほど、強く強く惹かれていく。
「セヴラン様が活動に参加してくださるようになって嬉しいです」
あるとき、アメリーがそう伝えると、セヴランは少しだけ頬を染め「それはよかった」と返事をする。
今は貴族のなかでもこういった活動がはやっているし、彼のような高位貴族が率先して動くことで、それ以外の人間にも波及していくに違いない。そうなったらいいな、とアメリーは思う。
「これはあくまでわたくしの考えなのだけど……」
それから数日後のお茶会でのこと。エズメがいつものように話を切り出した。
(今日はなにをおっしゃる気だろう?)
出席者たちがドキドキしていると、エズメはちらりとアメリーのほうを見る。
「慈善活動をしている人たちって、いったいなにがしたいのでしょうね?」
「……え?」
場の空気が凍りつく。アメリーが慈善活動を行っているのはお茶会では周知の事実だ。
不穏な空気をよそに、エズメは小さくため息をついた。
「だってそうでしょう? 気の毒な人たちを助けたい、なんてわたくしには偽善としか思えませんもの。施しを与えて、自分が誰かの上に立つ気分を味わいたいのかしら?」
「エズメ様、いくらなんでもそれは……」
「違う? だって、本当になんとかしてあげたいと思うのなら、自分の全財産をなげうってでも、その人たちに衣食住を与えてあげればいいじゃない? ただ勉強を教えてあげたり、その場しのぎの寄付を与えたところで、なんの慰めにもなりませんわ。『ちょっといいことをしてあげた』気分を味わいたい――聖女を気取った誰かに付き合わされるなんて、かわいそうだとわたくしは思いますの」
エズメの言葉がアメリーの胸に突き刺さる。
「わ……私、そんなつもりじゃ……」
「まあ! わたくし別にアメリー様に向かって言ったわけではございませんのよ? これはあくまで一般論ですわ」
こたえつつ、エズメはニコリと微笑む。
すると、出席者の一人――侯爵令嬢フルールがおもむろに立ち上がった。
「わたくし用事を思い出しました。今日はこれで失礼いたします」
発せられる怒りのオーラに出席者たちが一斉に顔を見合わせる。エズメはきょとんと目を丸くし「あら、そうですの」と返事をした。
(偽善、か……)
アメリー自身、そんなふうに考えたことは一度もなかった。けれど、子どもたちや貧しい参拝者がそんなふうに感じていないとは言い切れない。
(やめたほうがいいのかな)
もしかしたら迷惑だったのかもしれない……そう思いつつも、足は自然と神殿へ向かう。エズメの言葉が頭の中で何度も何度も響くが、必死で聞こえないふりをした。
「――どうしたの、アメリー。今日はなんだか元気がないね?」
子どもたちに勉強を教えたあとのこと、アメリーはセヴランから声をかけられた。内心驚きつつ、アメリーは首を横に振る。
「いえいえ、そんなことありませんよ」
アメリーはちゃんと笑っていた。ちゃんといつもどおりに振る舞えていたはずだ。子どもたちからも、参拝客からも、他の誰にも指摘されなかったし、彼女自身自信がある。
「嘘つき。……ずっと見てたからわかるよ」
そっと頭を撫でられ、目頭がグッと熱くなる。泣いたらダメだと――そう思うのに、こらえることができなかった。
「……なにがあったの?」
セヴランがたずねる。……が、アメリーは首を横に振った。エズメの兄である彼に事の次第を伝えたくはない。知れば絶対に傷ついてしまう。
「わかった。理由は言わなくてもいいけど、俺の前でまで無理しないで」
ギュッと優しく抱き寄せられ、アメリーは涙が止まらなくなる。
「ありがとうございます」
と、そう伝えるのが精一杯だった。
***
それから数日後のこと、アメリーは侯爵令嬢フルールが開くお茶会へと招待されていた。
「いらっしゃい、アメリー様」
「ごきげんよう、フルール様。本日はお招きいただき、ありがとうございます」
屋敷にはすでに数人の令嬢がおり、和気あいあいと会話を交わしている。どうやらエズメのお茶会とほとんど同じメンバーのようだ。
「あの、エズメ様はまだいらっしゃってないのですか?」
「ああ、あの人は呼んでいませんから」
と、フルールがニコリと言い放つ。アメリーは「え?」と目を丸くした。
「これまでずっと我慢してきましたが、あの人の他者批判にはうんざりですの。不愉快きわまりありませんから――それで、これからはわたくしがお茶会を主催しようと思いまして」
フルールはそう言いながら微笑み、アメリーの手をぎゅっと握る。
「ですから、アメリー様ももうあの人の批判に苦しむ必要はないのです。これからはこちらで、楽しくお茶を飲みましょう?」
「え……と」
なぜだろう? アメリーの胸がちくりと痛む。ありがとうございますとこたえたものの、曖昧に微笑むことしかできなかった。
それから数日後、エズメ主催のお茶会が開かれた。
「あれ……? 今日、テレーズ様は?」
「ジョゼフィーヌ様もいらっしゃらないの?」
これまでより明らかに少ない参加者に、集まった令嬢たちが首を傾げる。
「――お二人とも、今日は都合がつかないのだそうよ」
エズメが不機嫌そうにこたえると、彼女たちは顔を見合わせつつ押し黙った。
けれど次のお茶会も、その次のお茶会も、参加者は減り続けるばかり。かわりにフルールが開くお茶会はどんどん参加者が増えていき、規模がどんどん大きくなっていった。
「――アメリー様ったら、まだあの方のお茶会に出ていらっしゃるの?」
「適当に理由をつけて断ればいいのに」
フルールのお茶会に出席するたびそう言われるが、アメリーはどうにも踏ん切りがつかない。
(どうしてだろう?)
今となってはセヴランには神殿に行けば会うことができる。なにもお茶会に通い続ける必要はない。そうわかっているのだが……
(ついに私とエズメ様の二人きり、か)
小さなテーブルに並べられたティーセット。エズメはそっとため息をつく。
「これはあくまでわたくしの考えなのだけど……」
話を切り出すエズメ。アメリーはほのかに身構える。
「そんなにお兄様に気に入られたいの?」
「……え?」
アメリーは思わず目を見開き、エズメのことを見つめ返した。
「わたくし、知っているのよ。あなたがわたくしのお兄様を好きだってこと。だからこの屋敷に通っているのでしょう? たった一人になっても、わたくしのお茶会に出席するのでしょう?」
「そ、れは……」
違う――とは即答できない。エズメはアメリーをにらみつけながら、勢いよく立ち上がった。
「帰って! もうこの屋敷に来ないでちょうだい!」
「けれど、エズメ様……」
「帰ってって言ってるの!」
エズメはそう叫ぶと、アメリーを残して行ってしまう。
「エズメ様……」
すっかり怒らせてしまった。しかし、どう対応するのが正解だったのだろう? アメリーはシュンと肩を落とした。
***
「アメリーは最近、家に来ないんだね?」
セヴランからそう問いかけられたのは、エズメと決別した数日後のことだ。
「……そうですね」
「エズメは最近、以前のようにはお茶会を開いていないみたいだし、少し気が塞いでいるみたいなんだ。アメリーが来てくれると嬉しいんだけど……」
彼は事情をなにも知らないのだろう。困ったような、心配そうな表情を浮かべている。
(私もエズメ様のことは心配だけど)
他でもないエズメがアメリーを嫌っているのだ。屋敷に行ってもまた怒らせてしまうだけだろう。
「――実はね、今度我が家でパーティーを開くんだ」
と、セヴランがおもむろに話を切り出す。「そうなんですね」と相槌を打ちつつ、アメリーはそっと目を細めた。
「それで……アメリーにもぜひ出席してほしいなぁと思っていて」
隣から、ちらりとセヴランの視線を感じる。アメリーは少し考えたのち、首を小さく横に振った。
「お気持ちはありがたいのですが、エズメ様は私が出席しても喜ばないと思います。実は、少々いきちがいが生じていて。私が行くとかえって怒らせてしまうだろうし……」
「いや、妹のこともあるんだけど、そうじゃなくて……」
セヴランが言う。随分と歯切れの悪い。
アメリーが隣を見ると、セヴランは真っ赤になって目を泳がせる。それから、観念したようにアメリーを見つめ、彼女の手をぎゅっと握った。
「アメリーには俺の――パートナーとして出席してもらいたいんだ」
「え?」
ドキン、ドキンとアメリーの心臓が大きく跳ねる。聞き間違いじゃなかろうか? ――そう思うが、手のひらからセヴランの熱が、想いが伝わってくる。
「わ……私でいいのでしょうか?」
「俺はアメリーがいいんだよ」
セヴランは真剣な表情でそう言うと、アメリーの頬に手を伸ばす。まるで心臓を鷲掴みにされたかのよう。アメリーは思わずギュッと目をつぶる。
「当日……楽しみにしてるから」
コツンと重なりあう二人の額。アメリーは泣き出しそうな、叫びだしそうな気持ちになりながら「はい」とつぶやくのだった。
***
(緊張するなぁ)
アメリーは鏡にうつった自分を見つめながら、大きく深呼吸をする。
彼女が着ているのはトレードマークの白色――ではあるのだが、刺繍やリボン、レースにこれでもかというほど紫色があしらわれたツートーンカラーのドレスだ。ネックレスやイヤリングも、サファイアとダイヤの二色ですっきりとまとめられており、上品で華やかな印象を受ける。
今着ているものはすべて、セヴランからの贈り物だ。紫は彼の瞳と同じ色。パートナーだからと準備をしてくれたのだ。
(本当にいいのかな?)
自分ではセヴランに不釣り合いじゃないか? ……そんな不安は当然ある。それでも『アメリーがいい』と言ってくれた彼の気持ちにこたえたい。
(だけど、エズメ様はなんておっしゃるかしら)
最後のやりとりがやりとりだ。ものすごく激怒される可能性はある。
『当日……楽しみにしてるから』
それでも、悲しいかな。好きな人からの一言には抗えない。
よし、と覚悟を決めて、アメリーはエズメの屋敷に向かう馬車へと飛び乗った。
「アメリー」
屋敷に着くとすぐに、セヴランがアメリーのことを迎えに来てくれた。
(ああ、セヴラン様……! なんて素敵なんだろう!)
白い夜会服と紫色のスカーフがとてもよく似合っている。服装に合わせて前髪を後ろに流しているのが艶っぽく、アメリーはクラクラしてしまう。興奮を必死に押し殺しながら、アメリーはセヴランから差し出された手をとった。
「ドレス、すごく似合っているよ。本当に可愛い」
――極限状態でそんなことをささやかれてはたまらない。アメリーの頬が真っ赤に染まった。
「パーティーがはじまるまで時間があるし、少し歩こうか」
セヴランにうながされ、アメリーは彼と並んで歩く。
(どうしよう……さらに緊張してしまう)
夕闇に二人きり。場所も、服装も、いつもとは違っているし、妙にドキドキしてしまう。もちろん、パートナーに誘われただけで、恋人になれるとか、将来の約束ができるだなんて、だいそれた期待はしていない。それでも、セヴランは多少なりとアメリーに好意を抱いてくれている可能性があるわけで……。
「――どうしてアメリー様がここにいるの?」
唐突に名前を呼ばれ、セヴランとアメリーはその場で歩を止める。
「エズメ様」
そこにはひどく浮かない表情をしたエズメがいた。最後に会ったときよりも痩せただろうか? どことなく顔色も悪い感じがする。
「わたくし言ったでしょう? 『帰って』って。それなのに、どうして……」
「アメリーは俺が招待したんだよ」
セヴランが言う。
「お兄様が……」
エズメは弾かれたような表情で二人を見ると、眉間にグッとシワを寄せた。
「――ねえ、あなたも、あの女のお茶会に出席しているんでしょう?」
「え?」
アメリーが首を傾げる。エズメはキッと目をつりあげた。
「フルール様よ! わたくしが思うに、あの女がわたくしからいろんなものを奪っていったの! もしかして、今夜わたくしの前に現れたのもあの女の差し金? わたくしのことを笑いに来たんでしょう! わたくしの周りに誰もいなくなって、いい気味だってみんなで笑っているんでしょう!?」
エズメの瞳から涙がポロポロとこぼれ落ちる。
「どうして? わたくし、なにも悪いことはしていないのに!」
「エズメ? 落ち着いて」
「落ち着いてなんていられないわ! お兄様はこの女に騙されているのよ! ねえ知ってる? アメリー様はお兄様のことが好きなの! だからこの屋敷に通っていたのよ! それに、聖女気取りで慈善活動までしているし、とんでもない偽善者で……!」
パン! と乾いた音が響く。突然のことに理解が追いつかず、アメリーはエズメとセヴランを交互に見た。
「お兄様……?」
エズメが左頬を押さえている。状況から判断するに、セヴランがエズメをぶったのだ。
ショックのあまり、エズメは涙も引っ込んでしまったらしい。ワナワナと震えながらセヴランのことを見上げていた。
「おまえはそんなひどいことをアメリーに言ったのか?」
普段温厚なセヴランから発せられる冷ややかな空気。エズメがヒッと息をのむ。
「え? そんな、いっ……いいじゃない。だって、あくまでわたくしの考えだもの。それに、そのときはアメリー様を名指ししたわけではなかったし。思ったことを口にすることのなにが悪いの?」
「……自分が思ったことならば、なにを口にしてもいいというわけではない」
セヴランはそう言って小さくため息をつく。
「ようやくおまえの周りに人がいなくなった理由がわかったよ。全部自業自得じゃないか。聞いていて不快になるような言葉を口にする人間の側にどうしていたいと思う? 離れていって当然だろう?」
「不快な言葉? わたくしはアメリー様のためを思っていったのよ! 白い服ばかりじゃよくないと指摘したのは、周りにいい子ぶってるって思われないようにだし、神殿通いも偽善者認定されちゃかわいそうだからで……」
「誰もおまえにそんな役割を求めちゃいない。むしろ迷惑だ。だいたい、そんなことが言える立場じゃないだろう?」
ピシャリとそう言い放たれ、エズメは顔をクシャクシャにする。
「それから、神殿に通って慈善活動をすることが偽善者だというなら、俺も偽善者だっていうことになる」
「え?」
エズメが真っ青な顔でセヴランを見上げる。
「お兄様が? ご、ごめんなさい! わたくしそんなこと、知らなくって……」
「――おまえが謝るべき相手は俺じゃないだろう? それとも、お前の考えは相手が誰か次第でコロコロ変わるものなのか?」
「え? あ……あぁ……」
エズメはセヴランとアメリーとを交互に見ながら唇をわななかせ――しばらくしたのち「すみませんでした、アメリー様」と消え入るような声でつぶやくのだった。
***
「妹がすまなかったね」
エズメが部屋に戻ったあと、セヴランとアメリーは再びふたりきりで庭を歩きはじめた。
「いえ、そんな。私もいけなかったんです。きっと、ついつい指摘をしたくなるなにかがあったんだと思うので」
おそろしいほどに肩を落とすセヴランが気の毒で、アメリーはつとめて明るく振る舞う。
「指摘をしたくなるなにか? ……そんなわけない。俺は君のすべてを愛しく思っているのに」
「え?」
ギュッと優しく抱きしめられ、アメリーは思わず目を見開く。
「俺、アメリーのことが好きなんだ。……ずっとずっと好きだった」
静寂のなか、互いの心臓の音がかすかに響く。アメリーは「はい」と返事をしながら、頬を真っ赤に染めた。
「妹とはあんなことになってしまったけど……どうか俺との将来を真剣に考えてもらえないだろうか?」
セヴランが膝を折り、アメリーに向かって懇願する。至極真剣な表情。アメリーは驚きと喜びに瞳をうるませたあと「実は……」と話を切り出す。
「エズメ様がおっしゃっていたこと、間違いばかりじゃないんです。キツイなって思ったこともありましたけど、もっともだなって思うことも多かったですし。くだらないおしゃべりもいっぱいして、たくさん笑いあったし、嫌なことばかりじゃありませんでした。それに……」
アメリーはそこで言葉を区切ると、セヴランのてのひらを握り返す。
「私、セヴラン様に会いたくて――そのためにこの屋敷に通い続けていたんです。あなたのことが好きでたまらなかったから。だから……」
ふわりと唇が重なり、心がじんわりと温かくなる。見つめ合い、微笑みあってから、二人はふふ、と笑い声を漏らす。
「そういえば――俺も同じだ。エズメの言ってたこと、間違いだけではなくて」
「え?」
きょとんと目を丸くするアメリーに、セヴランは照れくさそうな表情でそっぽを向いた。
「俺が神殿に通いはじめたこと――アメリーと親しくなりたかったのが理由だから。もちろん、今はそれだけが理由ではないけど……」
その瞬間、アメリーは弾かれたような表情で、セヴランのことをじっと見つめる。
「……やっぱり幻滅した?」
「まさか」
それから二人はもう一度笑い声を上げ、互いを抱きしめ合うのだった。