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表と裏

 黒の砦からフランシスが見た欠けた月を、大聖堂の窓から眺めていたヨハネ・イスカリア法王は、長椅子に座っているアラン王子に振り向いた。


「よく来てくれた」


「いつもの定例会だろう。早く終わらせよう」

 虫唾が走る。アランは無意識のうちに奥歯を噛み締めた。法皇の犬に成り下がっている現状を変えられない事に吐き気がした。

「それが事情が少し変わってね。ローランのことなんだが僕が手に入れる必要性が出てきた」

 アランは鋭い目で法王を睨んだ。

「なんだと?」

「やっぱりそういう反応ですよね」

 肩をすくめた法王は祭壇に腰かけた。

「あなたからこれ以上、取り上げたくなかったんだけど……。まぁでも、もともとアレは僕の獲物だから。選択肢がないことは嫌というほど分かってるよね」

 アラン王子がワナワナと震え法王を睨みつける。

「やる気?目が赤いけど」

 殺気を感じ取った法王は祭壇から降りた。

「ローラは渡せない」

「なぜ?ジュリアがいるだろう」

 哀れな目でアランは法王を見た。

「ローラは僕にとって特別な存在だ」

「不可解だった。なぜあなたが田舎者の小娘に目を止めるのか。どういうことだ?」

「子供の頃からの知り合いだ」

「そんなわけはない」

「いいや。僕は何回もここを抜け出して、サリオットで何回も会っている」

「手引きした者がいるのか?」

「お前の大嫌いな黒騎士だよ」

 法王はギリっと奥歯を噛みしめた。

「なるほど。だが、残念だったな。アランを意のままに操れるのはこの私だ」

 無意識に身構えたアランに法王はロザリオをかざした。

「どんなにあがこうとここから出ることはできない。その方が幸せだろう。終わらない幸せな夢をみていた方が」

 光が放たれアランは片膝をつく。

「これを飲みなさい」

 震える手でアランは小瓶に入った真紅の液体を受け取り、飲み干した。

「どういうつもりだ……」

「少し目が醒めたでしょう」

 金色の瞳が真紅に染まったアランは先ほどとは別人のように凄んだ。

「いつか絶対に殺してやるから、顔を洗って待っていろ」

 法王はロザリオの真ん中についているルビーを親指で押す。その途端、アランは床にうずくまり頭を抱え悶絶した。

「どちらが上か忘れるな」

 ルビーのボタンから手を離すと、アランは体の力が抜けぐったりとした。

「最強の戦士が無様だな」

 呼吸を整えているアランを見下ろしていた法王が吐き捨てるように言う。

「それで、ローランの事だが」

 なんとか起き上がり、片膝をついて頭を垂れていたアランは顔を上げた。

「お前に渡す気にはなれない」

「まさか情でも移ったか?じゃあ、教えてやろう。

 恐らくローランはこちら側の人間だ」

 アランが血走った目を見開く。

「なんだと?」

「しかも王家の血を引いている」

 法王はアランの湧き上がる殺気を肌で感じた。

「それでローランが欲しいということか」

 法王は頷く。

「好きにしろ」

 それは驚くほど冷たい口調だった。

「お前の意識は残しておく。収花祭ではジュリアを選べ」

 アランは頷く。

「それでいい」

 そう言った法王はもう一度、アランにロザリオの光を見せた。頭を押さえたアランが言う。

「……今、何の話を?」

「大した話ではない。アラン、今日はもう帰っていい」

 立ち上がろうとしたアランだったがよろめいてしまい、法王が肩を貸す。

「体調が悪いのかもしれない。体中が痛む」

「そんな時もあるさ。早く帰って寝たほうがいい」

 妙に優しい法王に、アランは寒気を感じた。

 

 教会の外に出たアランは、ゆっくりと歩いたが、小石につまずいて転んでしまう。

「くそ!」

 言いようのない苛立ちを感じ、腕を振り上げ地面を叩く。

 自分が自分でないような感覚。

 子供の頃から感じていたが最近は特に酷い。

 記憶が抜け落ちていることもあり、どうしてその場所のいたのか分からないこともあった。

「僕は何者だ?」

 返事があるわけでもなく、愚かな独り言に嗤ってしまう。立ち上がり、砂を払った。

 言いようのない憎しみを感じたり、ひどく残酷なことを考えたり、自分の凶暴性に恐怖すら感じることもあった。

 こんなこと、ローラにはとてもじゃないが言えない。

 ジュリアの監視されているかもしれない恐怖と似ているのかもしれない。

 会った時にもう少し詳しく聞いてみるべきか……。

 今夜は『黒の砦』へ行こうと思っていたけど、法王の言う通り、寝ていた方が良さそうだ。

 

「アラン!!」


 急に名前を呼ばれたアランは心臓が止まりそうなほど驚いた。相手が誰かわかると何故か嬉しいような悲しいような気持ちになる。

「ローラ……」

「こんな時間にどうしたの?」

 アランの背後にある教会へ続く小道を見たローラの直観が働く。

「まさか、教会へ?」

 気まずいアランは言葉を濁す。

「まぁ……」

「大丈夫?何もされなかった?」

 心配そうに覗き込んでくるローラの目を直視できず、思わず逸らしてしまう。

「何か……あったの?」

 深刻な表情で聞いてくるローラにアランは首を振る。

「でも、すごく辛そうだよ?」

「僕は大丈夫。それよりこんな時間にローラこそ何をしてるの?」

「えっと、ちょっと眠れなくて」

アランは溜息を吐く。

「夜に出歩いたら危ないじゃないか。もう少し自分の立場を考えようね」

「ごめんなさい」

 ローラは恥ずかしくて顔が上げられない。

「部屋まで送るよ」

 そう言い、ローラの手を握ったアランに電撃が走る。アランは頭を抱え、その場にしゃがみ込んだ。

「アラン?どうしたの?」

 驚いたローラがしゃがみ込んでアランに手を伸ばす。その手をアランが急に強くつかんだ。

「俺に触れるな」

 え?

 ローラは凍りつく。辺りの空気が急に冷え、重苦しくなったような気がした。

「汚らわしい帝国の血筋め」

 なに?

 ぞっとするような緊張感に包まれたローラは話すことができない。ただただ目の前にいるアランに恐怖を覚えた。

「俺が怖いか」

 掴まれていた手を急に離され、ローラは尻もちをつく。その上にアランが覆いかぶさってくる。

 逃げないと。危険を感じながらローラの体は石になったように動かない。 

 アランが首に手を伸ばしてくる。

「お前たちが俺たちにした仕打ちを、絶対に許さない」

 片手で首を絞め上げられ、苦痛にローラは顔を歪める。濡れた目に映るアランは笑っていた。

 息が……できない。

 ローラはアランの手つかむがびくりともしない。

 殺される。

 そう思った途端、首を絞めていた手がふいに緩んだ。ぼんやりする視界には青ざめたアランがいた。

「僕……今、何を?」

 ローラは咳込み、喉に手を当てた

 首元には赤い手跡がくっきりと残っている。アランは頭を思いっきり殴られたような衝撃を感じた。

「だいじょうぶ……だから」

 掠れた声でローラは絞りだす。

 背後に気配を感じたアランは「すまない」とだけ言った。

 そこにはフィーミアが立っていた。

「しばらく会わない方がいいと思う」

 酷いことを言っているアランの方が悲痛で泣き出しそうな顔をしていたので、ローラは泣くことができなかった。

 やっぱり、本当だったんだ。

 私は…私は……。

 去っていくアランの背中を、遠のいていく意識の中でローラは見ていた。


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