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黒の砦

 ローラの指輪が発光したのと同時刻。



 ゲッカ男爵は部屋のベッドに横たわり透けたガラス天井の星を眺めていたが、急に起き上がり目を見開いた。


 誰かが城のキーを起動させた!

 誰が……!


 いや、そんなことわかってると、ゲッカは流れるような銀髪を手でぐしゃぐしゃにした。

 でもスカーレットは囚われの身。

 彼女でないなら誰だ?

 ゲッカはしばらく考え込んでいたが、ベッドから立ち上がり震えた。


 まさか、クローンか?


 だが、辻褄は合う。


 クローゼットからガウンを取り出したゲッカは羽織る。


 仕方ない。


 「異端者の集い」へ顔を出して『黒騎士』に会おう。奴なら何か知っているに違いない。


 ゲッカは自室を出て、迷路のようにカーブした廊下を足早に歩く。

「男爵、急いでどこへお出かけですか」

 こんな時に。

「フランシス様。特に用があるわけでは」

 笑顔を張り付けたゲッカが振り返ってフランシスに会釈した。

「ではたまには飲みに行きませんか?下町を案内してくださいよ」

  黙れ。

「ご冗談を。ガーネット様に私が怒られてしまいますよ。そういう場所に行く予定ですので失礼致します」

「母の信頼は得ていますのでご心配なく。お供しますよ」

 ガキのお守りはご免だ。どこかで撒こう。

「いいのですか?後悔するかもしれませんよ」

 涼しい顔をして「自己責任でついて行きますよ」と言ったフランシスに、こめかみの血管がぴくぴくする。

 こんなガキ、知ったこっちゃないとゲッカは自分を落ち着かせた。

「フランシス様。その言葉、忘れないでくださいね」


 二人は食事のあと片づけをしている侍女たちが出入りする食堂と厨房を避け、貯蔵室へ入る。貯蔵室に出入り口はない。

「男爵、どこから出るおつもりですか?」

 ゲッカは唇に人差し指を当て、ついて来いとジェスチャーする。野菜やパンが置いてある棚の間を通り、奥の壁際まで慣れた様子で来たゲッカはしゃがみこんだ。ちょうどゲッカの目線の高さにある薔薇のボタンに触れると、音もなく扉が現れる。

「行きますよ」

 ゲッカが近づくと扉は自動的に開く。外に出ると水路にある小舟に乗り込んだ。

「男爵はいつもこうやって外出を?」

 小船に乗り込むフランシスに手を差し出し「フランシス様もそうでは?」と感慨なく言う。

「僕は貯蔵室にも出入り口があるとは知りませんでした」

「では次回からお使いください」


 ゆっくりと小船を漕ぎ出したゲッカは、川下に見える町の明かりを見つめた。この国の明かりは、発光石と呼ばれる石を使った照明器具らしい。さまざまな色があり、色とりどりに光る明かりはなんだかおもちゃ箱のようだなとゲッカは思った。

「男爵はなぜこの国に来たのですか」

「話せば長くなりますよ。この夜じゃ足りないくらい」

「そんなに?」

「長い長い物語です」

「もちろん、物語の中では悪役でしょ?」

 からかうフランシスをゲッカは一瞥し、空を見上げた。

「悪役が板についてしまってね。そろそろ役を下りたい気分ですよ」

「どんな悪事をしてきたのやら」

「そういうあなたはどうなんです?ここでは出生不明の王子様」

「僕は悪役は遠慮しておきます。だってこんなに可愛い悪役なんていないでしょ♪」

 目をキラキラさせて笑顔を作るフランシスにゲッカは心底冷たい目を向けた。

「酷い。そんな目で見なくても。殺されるかと」

 王子を無視し、ゲッカは船を進める。町が近づき、船着き場のある店が見えてきた。 


「フランシス様、薬でもキメますか?」

「やめてよ~。仮にも王子だよ? 男爵はいつもそんなことしてるの?」

 引き気味のフランシスにゲッカは切り込む。

「あなたを振り切ろうかと」

「酷いなぁ。僕も連れてってよ。あなたの目的地へ」

 船をつけ、ロープで杭に巻くとゲッカは陸地に飛び移る。フランシスも軽々と飛び移り後に続いた。

 

 ローズ教会の関係者で賑わっている酒場『黒の砦』は、上から吊るされた発光石の周りにボトルが数十本置かれ、大きなシャンデリアのように煌めいていた。


「マスターのシルビアと申します。どうぞこちらへ」


 カウンター奥の個室に案内され、二人は向かい合って座る。ゲッカはフランシスの為に紅のワインを運ばせた。

 きめ細かなピンクの泡が浮かび、真っ赤な液体が入ったグラスの下から上に炭酸の気泡が揺らめく。

「市場でも希少価値が高くなかなか出回らないブラッディローズのスパークリングワインを下町の酒場で飲めるとは思っていませんでしたよ」

「『黒の砦』のマスタ―がローズ教会と繋がりが深いようですね」

 ゲッカは、乾杯と声をかけワインを一口飲む。フランシスは一気に飲み干した。

「は~♪ 格別ですね。一瞬で喉の渇きがなくなりました」

 頬を赤らめたフランシスは顔には似合わないギラついた眼をした。


「いつぶりですか?」


「前回飲んだのは、国王の誕生祭の時なので半年ぶりですね」

 意外だな。財をなげうってでも毎日飲みたいという貴族ばかりかと思っていたが。

「フランシス様は禁欲的ですね」

 俯いたために巻き毛が流れ、フランシスの首筋が妖艶に見えた。

「そんなことないですよ。本当に禁欲的であればこのワインを飲まない。いや、飲めないでしょう。男爵のように」

「私はブラッディローズが苦手なだけですよ」

 そう言って普通の方ワインを飲む。

「お代わりはいかがです?」

「止めておきましょう。男爵に置いて行かれるかもしれないので」

 ゲッカは苦笑した。

「本当に良いのですか?飲んだことで多幸感に満たされているのでは?」

 赤い唇でふふっとフランシスは笑う。

「そうですね。ただ、法王の手のひらで転がされるのはご免だ」

 思ったよりフランシスは見所があるとゲッカは思った。

「フランシス様はすごいですよ。ブラッディローズを飲んだら普通は正気を保つのもやっとのはずです」

「体質ですよ」

「ご謙遜を」

 テーブルに頬杖をついたフランシスは、窓から見える欠けた月を見上げた。ナッツを口に運びながら言う。

「実際、法王はよくやっていますね。

 ブラッディローズを使い、貴族から財産を奪い、意思を奪う。

 催眠術や記憶操作も使ってますしね」

 フランシスは身を乗り出し、ゲッカの金色の瞳を覗き込んだ。不思議な色気にゲッカは思わず目を逸らす。

「お願いがあります。あなたの目的が達せられたら、法王を打つために手を貸してくださいませんか?」

 おいおい、大胆な発言だなとゲッカは苦笑する。

「私のことをそもそも信用していないのでは?」

「まぁ、そうは言いましたが、お互い誤解している部分があると思いまして」

「先ほども言いましたが、ここはローズ教会と結びつきの強い酒場です。監視されているとは思いませんか?不用意なあなたには誰もついていかないのでは」

「あなたなら、コレをご存知でしょう」

 フランシスは首にかけた金のロザリオを襟元からチラリと見せた。

「それは……!」

 法王と同じロザリオをなぜこいつが持っている?

「少なくとも監視はされていませんね。男爵はどうしますか?」

「構いません」

 初めからヨハネは消すつもりだったしな。

「そう言ってくれると思った。あなたはいい人だ」

「それこそ、ご冗談を。なぜ法王を打とうと?」

「個人的な恨みですよ。因縁がありまして」

「個人的な恨みで、あの法王を倒そうとは、なかなか無謀ですね」

「そもそもあんな奴は地獄行きなのです。あとは誰がやるかですから」


 地獄行きか。確かにそうだな。そして俺も。


「正義は勝つということですね」

 フランシスは複雑そうにゲッカの言葉を聞いた。

「どちらが正しいのか、どちらが正義なのか。そんな道徳観を振りかざすつもりはありません。ただ、あの男を許すわけにはいかない事情が僕にはある」

「あの変態に何かされました?」

 壮絶な笑みを浮かべたフランシスに、さすがのゲッカも背中がぞくりとした。

「僕もですが、それよりも……ローラの母親です」

 驚くことの少ないゲッカが少し狼狽した。

 なんでここでローランが出てくる?

「ローランがどうかしましたか?」

「ご存知ないのですか?あなたは全てを知っていると思っていましたが」

 どういうことだ?あの小娘がなんだと言うんだ。

「ローラはスカーレットいえ、ローズの娘です」

 ゲッカは眉を顰め不快感を露わにした。

「何を言い出すかと思えば。奇跡でも起きない限りローズは子を成せる身体ではなかった筈だ」

 フランスの言う事はガセネタだな。何も分かっていない。

「人魚の呪いを真実の愛が解いたんです。

それに法王はローラが娘であると確認しました。しかも法王は娘を探していた」

 頭を思いっきり殴られたような衝撃を受け、ゲッカは震えた。

「ヨハネが?まさか!

 それにしても、ローランにあれほど行くなと言ったのに!そもそも、何故ガーネットはローランの事を隠していた?」

 少し苛立たしそうにゲッカは言う。

「ガーネット様はそもそもローラを表舞台に出したくなかったんです。ただ、あなたには反対出来なかったので、単独で候補から外そうとしていたんですよ」

 思うところもありゲッカは顔を顰めた。

「それぞれの思惑があるのは仕方がないが、大事な情報を隠されたら上手く行くものも上手く行かなくなる」

「申し訳ありません」

 ゲッカは溜息を吐く。

「それが本当なら、早くアランに死んでもらわないと不味いぞ」

 フランシスは頷く。

「それをさせまいと教会が手を回しているのでしょう。そうでなければこんなに長い間、暗殺に失敗するわけがない。

 アランは法王の手の内だ」

 ゲッカはフランシスを直視する。

「君は何者だ?」

「男爵がご自分のことを話してくれるなら、僕の正体を明かしましょう」

「ガーネットからは何も聞いていないのか?」

「残念ですが、何も」

 ゲッカは怪訝そうな顔をした。

「何を思って私の事を話さなかったのかは知らないが、困ったものだ。酒を頼むが、何かいるかい?」

「じゃあ、子羊のローストを」

 ゲッカはベルを鳴らした。


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