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ジュリアとのお茶会

 良く晴れた日が続いていた。王都ではほとんど雨が降らず、1年を通して気温も大きな変化はなく過ごしやすい気候となっている。

「ジュリア様、急な申し出にも関わらすお茶会にお越しいただきありがとうございます」

 侍女を三人従えてローラの前に現れたジュリアは軽く会釈する。長いブロンドの巻き毛がレーシーな紫のドレスに映えて本当に美しい。お人形みたいとローラは思った。

「少しお疲れのように見えますが大丈夫ですか?」

 ジュリアは眉をしかめた。

「最近、あまりよく眠れなくて」

「リラックスできるハーブティーをブレンドしましたのでよろしければいかがでしょうか」

 ローラが目配せし、フィーミアがカップにハーブティーを注ぐ。

「ありがとう」

 ジュリアは椅子に座ると、ハーブティーを口に運びほっとしたように息を吐いた。

「美味しいわね」

「特別に取り寄せたハーブで作りました」

「あなたがブレンドしたの?」

「はい。サリオットではハーブも栽培して自家製のハーブティーも作っていたんですよ」

 にこりとしたローラにジュリアはふっと笑った。

「あなたはライバルなのにどうも気が抜けちゃうわ。良くないことなのでしょうけど」

 ローラは困ったように微笑む。

「私のことをライバルと認めて下さるのですね」

 ジュリアは溜息を吐く。

「私が負けたのは今までの人生であなたが初めて」

 ローラは少し慌てた。

「まだ結果は出ていません」

 憂鬱そうな顔もまた気品高いジュリアはこめかみに長い指を差し込んだ。

「アラン様の態度を見ていれば嫌というほど思い知らされるわよ。花嫁候補だなんてこんなの茶番。こちらからしたら拷問だわ」

 思ったよりサバサバした物言いと、ジュリアの見た目とのギャップは反則だと思った。

「ごめんなさい。返事に困るわね」

 優雅にジュリアはお茶を飲む。

「私はジュリア様に何一つ勝るものはございませんし、この先どうなるか分かりませんが一生懸命やらせていただきます」

「先のことは分からない。私も精一杯やるわ」

 眩しいジュリアにローラは引け目をどうしても感じてしまう。アランに選ばれたのは幼い頃から交流があっただけ。もしそれがなければジュリアがアランと結ばれていただろう。

「ところで、軽く耳に挟んだのですが。

 ジュリア様は最近、誰かに監視されていると感じていらっしゃるとか」

 目を見開いたジュリアはソーサーにカップを戻し、膝の上に手を乗せた。

「ストレスが溜まっているのかもしれませんね」

 じとーっとこちらを見つめるジュリアに、思わずローラは吹き出してしまう。

 ジュリアも笑った。

「冗談はさておき、内密にと言ったのにアラン様、話してしまわれたのですね。お話しするのは構いませんが、私を招待してまでお聞きになりたいのはなぜです?」

「少し込み入った話になりますが」

 ジュリアはチラリと侍女を見て言う。

「私の侍女は信用できるから問題ないですわ」

 ローラは頷く。

「下町でも『誰かに見られている』という考えが流行しているのはご存知でしたか?」

「初耳ですね。町のことには疎くて」

「そういった強迫観念に悩まされている町民が多く、病院にかかる者まで現れたそうです。それで少し心配になりまして、余計なお世話だとは思いますがお話を伺えたらと思いました」

「ありがとうございます。実は少し悩んでいましたの。でも変に思われると思うと口に出来なくて……」

 疲れた顔に笑みを浮かべたジュリアが少し痛々しくローラの目に映る。

「監視されているというのはどういうことでしょう」

「文字通り、誰かに見られている気がするのです。それも場所や時間に関係なく常に」

「誰かというのは思い当たる人物などいますか?」

「特定の人物ではないですね。不特定多数の知らない誰かから見られている……そんな気がしてならないのです」

 ジュリアは俯いてしまった。

「不特定多数とは男女関係なくですか?」

「ええ。一度、数えきれないくらいの人々が私を見て何か話している……そんなおかしな夢を見たほどです。恐怖でした。

 率直に聞きます。私はおかしいのでしょうか?」

 真直ぐに見つめてくるジュリアにローラは首を振った。

「いいえ。私は何かしらの原因があると考えています」

 真摯にきっぱりとローラは言い切った。ジュリアの表情が少し緩む。

「ジュリア様、いつ頃からそう思うようになりましたか?」

「二週間ほど前から。ただ、七日前のガーネット様主催の仮面舞踏会に参加してから悪化したような気がします。途中で気分が悪くなってしまって。家に帰ってもなんとなく頭がぼんやりして調子が悪買ったのだけれど、その時、鮮明に誰かに見られているという映像が浮かんできたのです。」

 仮面舞踏会?あの時のゲッカが調合したおかしなハーブが原因とか?

「舞踏会には参加していたのですが、何かおかしな香りがしませんでしたか?」

「ええ、甘いバニラのような香りがしてきたかと思ったら、いつの間にか会が終わっていて……。あまりよく覚えてないのです。あぁ、でもそういえば……ピエロのお面を見た気がしますわ」

「ピエロのお面ですか?」

「確かではないのですが、そうあれを……どこかで」

 仮面舞踏会にピエロなんて気味が悪い。

「ピエロと言えば、今年の収花祭にもサーカス旅団は来るのでしょうか」

 顔を綻ばせながら話すジュリアにローラは素っ頓狂な声を上げた。

「旅団ですか?」

 面食らったジュリアだが気を取り直して話す。

「ローラン様は見たことがなかったのですね。収花祭のときにだけファンタジアからやってくるサーカス団で、それはそれは不思議な見世物を披露してくださるの」

「そう言えば、収花祭まであと三か月ですね。私も見ることができるのでしょうか」

 ジュリアは複雑な表情を見せた。

 あ、とローラは口を開ける。

 収花祭はもともとは薔薇の収穫を祝う祭りだったが、ローズ神に祈りを捧げる特別な行事として五年ごとの六月に町を上げて盛大に行われるようになった。

 収花祭で結婚する一六歳の娘は幸せになれると信じられており、今年の収花祭は今世紀最大の祭典になるだろうと言われている。

 それもそのはず、十六になるローラたち花嫁候補の中からアランの花嫁が遂に選ばれ、その花冠式も行われるからだ。平民のローラがサーカス団を見ることができるのはアランとの婚約が決まった時。つまりジュリアが敗北した時だ。

「私もブリリアント・ローズと呼ばれる収花祭の花嫁になりたいと思っていますわ」

 真直ぐローラを見つめるジュリアの瞳に闘志が宿る。ローラも心を落ち着けジュリアを見つめ返す。

「私もそう思っています。

 ジュリア様、旅団についてもう少し詳しく教えていただけませんか」

 ジュリアは優雅に頷く。

「団長は漆黒の髪にブルーの瞳を持つ美形の男性です。彼は女性から絶大な人気を誇っていますね。美形なのは認めますけど、私はアラン様の方が遥かに素敵だと思いますわ。 

 団長は魔法使いと呼ばれていて、宙に浮いたり、テントの中に虹を出したりとにかく!素晴らしいイリュージョンなのです!

 ナンバー2は怪力の筋肉男でウォーレンと呼ばれていますね。シルバーの無造作な長髪でイメージは狼ですね。文字通り人間業ではない怪力を披露してくれます。彼には一部のコアな男性ファンがいるのですよ。

 最後の一人はピエロのジェスターです。彼の素顔は秘密なのですけれど、空中ブランコやジャグリングはお手の物で、毒舌で会場を盛り上げてくださいます」

 やや興奮気味に微笑んでをじょうきさせて語るジュリアにローズも好奇心で一杯になる。

 彼らに会えたらどんな話が聞けるのかしら。外の世界を知るチャンスだわ。

「そうそう、熱狂的なファンと言えばヨハネ法王様もその一人でローズ大聖堂の客室に彼らを招待するほどなのです」

 ローラの心臓がドクンと波打つ。

「もしかしたら」とジュリアが首を傾げる。

「あの仮面舞踏会のピエロは法王様だったのかもしれません」

「なんですって!」

 ローラは目を見開き、大声を出した。

「どうかされました?」

 怪訝そうな顔のジュリアにレディらしからぬ態度を取ったローラの頬が赤く染まる。

「申し訳ありません。あの場に法王様がいたことに驚いてしまって」

「確かにそうですね。法王様はそういう場にはあまり来られないので、もしかしたら私の勘違いかもしれませんが。ただ……」

 ローラは息を飲む。

「あのピエロの仮面をローズ大聖堂の懺悔室で見たような気がするのです」

 ローズ大聖堂での出来事が頭を過り、ローラは無意識に手を握りしめる。

「ジュリア様は大聖堂へはよく行かれるのですか?」

「毎週日曜日の礼拝には行っていますね。ただこんな事を言うとまた変に思われるかもしれませんが」

 ジュリアは目を伏せる。

「ローズ大聖堂が怖いのです」

 ローラは大きく頷く。

「私も怖いです。とても恐ろしい体験をしたもので……。ジュリア様も何かございましたか?」

「恐ろしい体験?どうかされたの?」

 ローラが鞭で打たれた話をすると、ジュリアは眉を顰め手で口を覆った。

「なんてこと。私は特にそういった体験はないけれど、あの場所に言い知れぬ恐怖を感じているのです。 教会へ行くのが本当は嫌で仕方ないの。けれどそんなことを口にすることもできなくて、聖なる場所におぞましさすら覚える、そんな自分に嫌悪感すら抱いていました」

 ローラは思わずジュリアの手を取った。

「私も本当にそう思います!」

 ジュリアは吹き出す。

「本当に面白い方ですね。お話して気持ちが少し楽になりました。ありがとう」

とジュリアは微笑む。その笑顔にローラはドキドキした。

 可愛すぎて反則じゃない!

「ジュリア様が何もされていなくて安心しました。懺悔室のピエロのお面はどこにありましたか?」

 ジュリアは左上の方を見ながら話し始めた。

「あれは前回の収花祭の後だから私が一〇歳の時。ローズ教会の管理する薔薇園にかくれんぼをしているときに誤って入ってしまったの。大聖堂の裏にある薔薇園からは、大聖堂の中にある懺悔室が見えた。たまたま出てきた法王様の手にピエロのお面があったのよ」

 ローラは口元に手を当て考え込んだ。

 十歳の時に遠目で見たお面と、仮面舞踏会で見たお面が同じものだとする根拠は何だろう。それに五年前の記憶となると……。

「なぜ五年も前のピエロのお面を覚えているか不思議でしょう。

 実はピエロも苦手というか怖くて、印象に残っていたのもあるんだけど、法王様が持っていたピエロの仮面は少し変わったものだったのよ。

 赤で描かれた涙マークのピエロの仮面は、まるで血の涙を流しているようだった。それでよく覚えていたの」

「それは……覚えていて当然ですね」

 血の涙を流したピエロとヨハネ法王。なんて不気味な組み合わせなの。

 ローラは想像して身震いした。

「懺悔室から出てきたジェスターと目が合ったような気がして、私はその場から逃げ出しました。見てはいけないものを見たような気分になってしまって。あの時の白薔薇の咽るような甘い香りが今でも忘れられないわ。それもあって、白薔薇に囲まれた大聖堂には行きたくないのかもしれませんね」

「私も白薔薇はトラウマになってしまいました。今の話を聞いてピエロもダメになりそうです」

 くすっとジュリアは申し訳なさそうに笑ったが、すぐに表情を曇らせた。

「実は法王様に大聖堂に一人で来るように言われています」

「お一人で?」

 ローラも動揺を隠せない。

「ローズ神の祝福を与えたいと言われて……」

ジュリアはヨハネ法王の無表情な顔を思い出した。

(法王様、なぜ一人で行かなければならないのですか?)

(お一人では不安ですか?私を信頼できないと?)

(そういう訳ではないのですが)

 シルバーフレームのメガネを中指で押し上げた法王は冷たい目を向けた。

(では問題ないでしょう。月曜の夕方五時にお待ちしています)

 機械的で人間味を感じさせない態度にジュリアの不安は募るばかりだった。


「分かりました。私もついていきます」


 ジュリアは虚を衝かれたが、慌てて言う。

「大丈夫です。それに法王様が一人で来なさいと……」

「私もローズ神の祝福を受けたいと言えばいいのです。何か問題がありますか?」

「では私も一緒に参ります」

 控えていたフィーミアが口を開く。

「ご冗談を。皆さまを巻き込むわけにはいきません。一人で来いと言われた以上、一人で行かねばなりません。法王様のお言葉ですから」

「教会は開かれた場所。どんな時間に訪ねても良いはずです。私は一人でも行きます」

 断固としたローラの態度に、ジュリアは涙ぐんだ。

「貴方のことをローラと呼んでも?私のことはジュリアとお呼びください」

「もちろんです。午後からはまた授業がありますから、お茶会はお開きにしましょう」

 ジュリアは立ち上がり、ドレスの裾を持つと軽く会釈する。ローラはジュリアを見送るとフィーミアに向き直った。


「ヨハネ法王の裏の顔は、サイコパスの殺人鬼。血のピエロのお面なんて、似合い過ぎてまるでホラーね」


「ローラン様!お控えください!」

 ローラは舌を出した。

「言い過ぎた?当たらずとも遠からずだと思うけど。ジュリア様を一人で呼び出すなんて、異常だわ」

「それはそうですが、言葉が過ぎます」

「確かにそうね」

 認めた上でローラが言った。

「あいつの目的を突き止めないと」

 フィーミアが溜息を吐く。

「ローラン様には何を言っても無駄ですね。私がお止めしても大聖堂に行くでしょうし」

「もちろん。ジュリア様に何かあったら大変だわ」

 フィーミアが盛大な溜息を吐く。

「私はローラン様の方が心配です」

「武器か何か持っていく?」

 冗談めかした言い方にフィーミアは顔を顰めた。

「お止め下さい。私がご一緒しますから」

 きょとんとしたローラ。

「フィーミア強いの?」

「ローラン様を守り抜けるほどには」

「えぇ?意外」

「ご安心ください。命に代えてもお守り致します」

 ローラはびくっとした。

「縁起でもないことを言わないでよ」

「冗談ですよ。ですが大聖堂へ行くのはそれほどの覚悟が必要かと思いますが」

 ローラは唾を飲み込んだ。

「それでも、何もしないで後悔したくない」

「護身術くらいならばお教えできますが、いかが致します?」

「お願いします」

 ローラは大真面目に頭を下げた。フィーミアは冗談のつもりで言ったのだが、言い出せなくなってしまった。

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