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この国の支配者

 図書館に寄ってから部屋に戻ってきたローラはソファに腰掛けると、フィーミアに尋ねた。

「突然なんだけど、フィーミアは誰かに『見られている』と感じたことはある?」

 フィーミアは少し面食らった。

「フランシス様に何か言われましたか?」

  ローラはお茶会で言われた一言が気になっていると話す。

「私は感じた事はございませんが、私の両親の件で話しておかなければいけないことがございます」

 真剣なフィーミアにローラは自然と姿勢を正す。

「最近、誰かに見られているという強迫観念に取りつかれた精神病患者が下町で増えています。その為に聖ローズ教会の精神科の入院病棟がいっぱいになっているのです」

 思わずローラは両腕を抱えた。聖ローズ病院の運営者はローズ教会。 

 つまり最高責任者はヨハネ・イスカリア法王だ。

 ニタリと嗤ったヨハネが脳裏に過りローラは両腕を掴んでいた手に力を込める。  

 あの法王は完全にいかれてる。

「ローラ様、大丈夫ですか?」

 フィーミアの声ではっとした。

「ごめん。ローズ教会と聞いて、ヨハネ法王を思い出してしまって。そう言った話は聞いた事がなかったわ」

 考え込むローラにフィーミアが続ける。

「精神病棟の患者はいても一人か二人でしたがここ最近、急激に増えています」

 ローラは口元に手を当てた。

「監視されているという恐怖症は五年に一度のペースで流行していることを突き止めました。そして聖ローズ病院に収容された患者の半数は帰らぬ人となっています」

 ローラは息を飲む。

「どういうこと?それにどうしてそんなことを調べているの?」

 フィーミアが悲痛な面持ちでポツリと言う。

「育ての父がその病で亡くなりました」

 ローラは胸が張り裂けそうな思いがした。

「父は強迫観念に駆られ、日常生活に支障は出ていましたが、体は健康そのものでした。

 その父がローズ病院に入院させられ、一か月後には遺骨として家に戻って来たのです。詳しい死因すら聞く事が叶わない状況でした。

 なぜ父の笑顔は奪われたのか。

 なぜ父は死ななければならなかったのか。

 居ても立っても居られず、他にも病院で亡くなった人の事を聞き回ったりしているうちに、同じ恐怖症を患って亡くなった患者が多いことを知りました。

 この不自然な死について私は知る権利がある。

 だから王宮の侍女となったのです」

 ローラはあまりのことに何も言えず、ただ強い意志を宿したフィーミアを見つめた。

 ローラは躊躇いながらも覚悟を決めて聞く。

「お父様について少しお聞きしても?」

「何なりと」

 ローラは緊張を解くように小さく息を吸う。

「お父様は、もしかして異端者ではなかった?」

 フィーミアが息を飲んだ。やがてゆっくりと口を開く。

「実は父は友人からある集会へ出ないかと誘われ、参加したことがあるんです。その名も『異端者の集い』」

 ローラの心の中にあった疑念が確信に変わろうとしていた。

「父を誘った友人も同じローズ病院で亡くなりました」

「法王が言っていた。自分の仕事は異端者を裁くことだと」

 フィーミアが頷く。

「見られているという恐怖症を患った患者の九割が異端者であるという事実を知ってから、ローズ教会が何らかの方法で秘密裏に異端者を排除しているのではないかという思いが頭から離れませんでした。

 あの教会は血で穢れている。そんな気がしてならないのです」

「法王は私を鞭で打つことを愉しんでいた。あの男ならやりかねないと思う」

 フィーミアが力強く頷く。

「私は『異端者の集い』に参加したメンバーの情報をなんとか集めました。そのメンバーを追跡すると、大部分が死んでいるか行方不明になっていたのです」

 背筋が寒くなり、ローラの顔から血の気が失せた。

「本来なら、アランに一番に話したい。でも、アランに話すのは得策じゃない。

 アランはこの国の歴史を肯定していたもの」

 ローラは自分で言った言葉に、自分で傷ついた。

「ローラ様」

 フィーミアが不憫そうにローラを見た。

「法王が絶大な権力を持っていることは間違いありません。これがどういう意味かローラ様ならお分かりになりますね」

 王族ですら従わなければならないほどの権力を法王が持っている。

 ローラは苦しそうに、だが現実を認めなければと覚悟を決めたように、言葉を紡ぐ。

「この国の事実上の支配者はヨハネ法王だと言うのね」

 フィーミアが唇を噛んだ姿を見て、ローラは膝から崩れ落ちた。

 知っていたけど、信じたくなかった。ずっと嘘に決まっていると思うようにしてきた。私の妄想だと。

「気を強くお持ちください」

 フィーミアがローラに寄り添う。

「貴方様はこの状況を変える力がおありです」

 ローラは目を見開き、フィーミアを直視した。フィーミアは優しくローラの手を取る。

「この先どんなに辛いことがあっても私が傍にいます。ですので諦めないでください。どんなに絶望的なことが起ころうと、私はローラ様の味方です」


 ローラは声をかけられている間に、別の事を考えていた。


「私に力があるですって?フィーミア、あなたはどこまで知っているの?」


 今度はフィーミアが目を見開く。

「ローラン様?」

 ローラは父から貰ったロザリオを握りしめて言う。


「あなたは『帝国』の人間なの?」


 フィーミアが困惑して息を飲んだ。


「まさか?全てご存知なのですか?」


「全てと言うのがどの程度の事かは分からないけど、この国の平和が幻想である事くらい知っているわ」

 フィーミアは頭を抱えたくなった。


「全てを知った上で演じていたのですか?誰からお聞きになったのです?」


「今はまだ秘密」


 ローラは人差し指を唇に当てる。

「フィーミアも自分の正体を明かしてないのにフェアじゃないわよね?」

「私は……」

 ローラはフィーミアの唇に自分の人差し指を持っていく。

「今はまだ自分の役を演じなさい。私も愚か者を演じなければ。

 今日の事は誰にも秘密よ」

 フィーミアは目を見開き、分かりましたと頷いたが動揺は隠せない。


「私が思うより……ローラン様は、とてもお強いのですね」

「本当は強くなんてないけど……強くなったのかもしれない」

 そんな風に生きるしかなかったローラを思いフィーミアは胸が苦しくなった。

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