第二王子フランシス
お茶会から戻ってきたガーネットは夕食もとらず自室に引きこもっていた。
部屋のガラス天井からは満天の星空が見え、砕け散った氷の破片のように冴えた光を放っていた。
淡い光を放つ発光石が一つ灯っているだけなので星がよく見える。
赤いベルベットの上質なソファにガーネットは身を預けていた。左右ともボルスタークッションのあるシンメトリーなデザインのソファの中央には、王冠を思わせるような彫刻が施されている。S字スクロールを描く肘置きにガーネットは腕を乗せ、その手には深紅のローズワインの注がれたグラスが握られている。
「大丈夫?」
暗がりから現れたフランシス第二王子は水の入ったグラスを右手に持っていた。
緩い巻き毛の金髪の美少年は、長いまつ毛をしばたかせ、伏し目がちに言った。
「飲みすぎじゃない?」
上気した頬に虚ろな目でフランシスを一瞥したガーネットは、ブラッディーローズで作られたワインを一口飲んで言う。
「そんなことないわ」
フランシスは大きなため息をつき、ガーネットの手からワイングラスを奪うと代わりに水の入ったグラスを持たせた。
「次はこっち」
仕方なくガーネットは水を口に含み、天を仰ぐ。
「煌めく星々が美しいわね。本当に残酷な輝き」
フランシスも空を見上げ少しの間、星を眺めていたが、悲痛な面持ちで頷いた。
「もう休んだ方が良いね」
跪いたフランシスは、ガーネットの顔を覗き込んで促す。
「あなたももう一六。大きくなったわね」
ガーネットの細くて形の良い指が、フランシスの白い頬に触れ、愛おしそうに撫でた。
「そうだね。ここへ来てだいぶ時間が経ったもの」
「幼くて子犬のようだったあなたが、そんな顔をするようになったのね」
口を結び憂いを帯びた目つきをしていたフランシスは、口元を緩めた。
「僕だってもう子供じゃないよ」
伸ばされたガーネットの手を握り、まっすぐに見つめ返す。
「ローランを花嫁候補から引きずり落とす事もできる」
息を飲んだガーネットの目から、少しして涙が零れ落ちた。
「泣かないで」
フランシスはガーネットを抱きしめる。
「大丈夫だよ。大丈夫。あなたの願いは必ず叶えるから」
そこにはいつもの傲慢で、きつい顔をしたガーネットからは想像できないような、家臣たちが見かけたら別人かと見紛うような王妃がいた。身を震わせているガーネットの頭をフランシスは優しく撫でた。
「泣き顔はあなたらしくない」
「私らしさなど、遠い昔に置いてきたわ」
「……あなたはずっと苦しんできた」
「いいえ。私の苦しみなど、お姉様の比ではないわ」
「ガーネット様……」
「フランシス、ローランに近づいて信頼を得なさい。そして候補から外すのです」
「仰せのままに」
フランシスは頭を垂れた。
「ガーネットは眠ったのか」
ええ、と返事をしたフランシスは音もなく入ってきたゲッカに目を向ける。
「母はともかく、僕はあなたを信用してはいませんよ」
ゲッカは悲しそうな顔をした。
「それは残念ですね。私はあなたのことを慕っていますよ」
フランシスの顔が青ざめたのが薄暗い部屋でも分かり、ゲッカは内心、にやりとした。
「そういえば、ローランを花嫁候補から引きずり落とすとか。誘惑などできるのですか?」
椅子から立ち上がり、ゲッカが優雅に近づいくる。そんなゲッカから距離を取ろうと後ずさりしたフランシスの華奢な背中が壁に当たった。頭一つ分、背の高いゲッカはフランシスを上から見下ろし、壁に手をつく。
「こんなことで狼狽えているようでは、あなたの策も大したことはなさそうですね」
「それ以上、近づくな」
俯いているフランシスの顎を掴み、顔を上へ向かせたゲッカはへぇ、と感心した。恐怖に慄いているかと思ったが、挑発的な目をしていた。
「さすがはゲッカ男爵。地位を得るためにはどんな手段も厭わない。男でも、女でもこうやって何人に取り入ったのでしょう。尊敬しますよ」
ゲッカは微笑む。
「私の中ではあなたが一番、意外性のある登場人物ですね。一番、謎に満ちている。あなたこそどうやってガーネットに取り入ったのです?血の繋がりなどないのでしょう」
フランシスは鈍器で頭を殴られたような衝撃を受けた。血の気が引き、ふらつきそうになるのを必死で堪える。
「私を愚弄するのか?場合によっては死罪だぞ!」
喉がからからに乾いてきたが、それを隠すように怒鳴りつけた。
「誤解しないでくださいね。私はガーネットの願いを叶える者。あなた方の秘密を暴露するメリットも今のところない。私は大抵のことは知っていると自負していますが、あなたのデータはどこを探しても見つからない」
目を見開いたフランシスは震えていた。
「証拠などどこにもない」
「まぁ、そうなのですが。ただ、あなた方は全く似ていない。それに王宮で退屈している貴族達にとってゴシップは甘い蜜のようなもの。あっという間に尾ひれをつけて広まるでしょう。良からぬ噂が流れて困るのはガーネットでは?」
「男爵、あなたの望みは?」
ショックから立ち直れないフランシスはなんとか言葉を紡ぐ。
「あなたたちと同じ。アラン皇子の死。そのためにはローランが必要です。その話は何度もした筈ですよ」
フランシスは悔しそうに唇を噛むと、爪が手のひらに食い込むほど強く握りしめた。
「分かりました。花嫁候補から下ろすのは諦めます。ただ、別のアプローチはかけても良いでしょう?」
ゲッカは優しい笑みを浮かべた。
「花嫁候補の地位を奪うことを除けば、どんなことをしていただいても結構ですよ」
「分かりました。兄上の暗殺はあなたにお任せします」
苦々しい顔でフランシスは言い、ゲッカ男爵を押し除ける。
「あなたは、フィーミアという侍女をご存知で?」
「いいえ。何故です?」
背を向けたままのフランシスが不意打ちを食らったように動かない。
ゲッカは少し遠くを見て、腕組みした。
「それが彼女のデータもないのです。そう、あなたと同じように」
微動だにしないフランシスの背中を、ゲッカは凝視する。
「フィーミアという侍女について、僕も調べてみますよ」
心臓の脈打つ音が煩い。足早にフランシスはその場を離れた。一刻も早くゲッカから離れたかった。
フランシスは無意識に首に手を当てる。
喉が……乾いた。




